274カオス あこがれる作品があった方がよい?
先日、「万年筆を買いました」ということをエッセイにしました。あれから職場で万年筆を使うようになったのですが、使いはじめると、どうもしっくりこない。
むむ。
予感はあったというか、はなから分かっていたことで、文字がきれいじゃない。もちろん、罪は万年筆にあるのではなくて、汚い字しか書けないわたしにあるのですが、どうも納得がいきません。
きれいな字を書きたいのです。
字のきれいな人にはわかってもらえませんが、ことさら汚い字を書こうとしている訳ではありません。字の汚い人は、フツーに書いただけで汚くなるのです!
うちの奥さんは、ちょちょっとかいた走り書きも整っていて読みやすいですが、わたしの走り書きは本人も解読不能。字の上手下手は習慣や努力より、生まれ持った資質の占める割合が大きいと思います。
ちょっと脱線しましたが――きれいに書くコツはあるのか、そもそも下手くそがきれいに書けるようになるものか、検索してみました。
「ペン習字」などのサイトがヒットしてきます。お金払ってまで、習いたいとは思わないんだよねと画面をスクロールさせてゆくと、――通信講座でペン習字を習ってみて、じっさい上手になったのか――という検証記録を見つけました。
そのサイトによると、結論は、「上手にならないわけではない」というやや微妙なもの。こうした講座は、本人のやる気や、根気に負う部分が大きいようで、だけでも上手になれるわけではないと。
まず、お手本をみて、よーくみて、なんどもなんども繰り返し文字を書く練習をしなければならないのですが、そのことに興味が持てないと、手本通り書くというただそれだけのことで心が折れるのです。
ただ、それを避けるためには秘訣があって、それは「あこがれられるお手本に出会う」ことらしい。このお手本のように書けるようになりたい! と思えるお手本なら、お手本通り書く練習も辛くない。結果として、続けられるので字がきれいになると。
なるほど!
わたしの小説がイマイチなのは、憧れられる小説に出会えていないからなのか? いつのまにか字が、小説に置き換わってしまっているわたし。
たしかに。好きな小説はあります、こういうのを書きたいと思う小説もありますが、習字のお手本をなぞるように小説を書いたことはないですね(『青海剣客伝』は例外。あれは藤沢周平をなぞるように書いてます)。「もっといいものを書いてやる」という自惚れと敵愾心をミックスしたような気持ちが常に持っているので(そして、いつも大したものは書けない 泣)。
小説が上手になるのなら、なぞって書いてみようかなー。万年筆で原稿用紙に写し書きすると、字も上手になるという一石二鳥なことにならないだろうか……。
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