230カオス 写真と小説の共通点

 前回、Twitterになにをつぶやくか、という話を書いたときに「写真を撮ってツイートする」というようなことを書いたのですが、写真を撮るということが小説を書くということと、とても似てるとずっと思ってます。


 やってることはぜんぜん違うのですが、写真をTwitterにさらしてどのくらい見てもらえるのかなと反応を見ていると、なんだかカクヨムに小説をさらして読んでもらっているときと同じような気持ちになってくるのです。


 写真を見る人にとっては、どうでもいいようなことを写真を撮る側のわたしはこだわっていて。たとえば、


 ・ スマホで撮るのではなくて、カメラで撮る。

 ・ 被写体や撮影距離に応じたレンズを選択する。

 ・ なるべく精密にピント合わせを行う。


といったようなことですが、これって撮る側の自己満足の部分が大きく、この部分にこだわったからといって見てくれる人が増えるということは、まずないということがよく分かりました。


 写真を見る人にとっては、一目見て写真にインパクトがあるかないかが、数多ある写真の中から、特にその写真を見てみようという動機付けになるようなんですね。具体的には、


 ・ いままで見たことのないモノや情景が写されている。

 ・ ありふれたものを普通ではありえない構図でとらえている。

 ・ 理屈抜きに美しい。


といった写真が見てもらえています。カメラがどうとか、ピントがこうとか、見る人にとってようです。どういう被写体をどう見えるように撮影するか、なんでしょう。




 こういう写真の評価って、とても小説の評価に似ていると思う。

 写真でいう「機材や技術」は、小説でいうところの、文章作法や表現技術です。人称をどうするとか、文体はこうするとか……。小説の場合も、わたしはこちらに凝ってしまいがちなのですが、読んでもらいたいなら、写真と同様に「アイデア」に知恵を絞るべきなのかもしれません。


 書くべきは、


 ・ いままで書かれたことのないテーマの小説

 ・ 斬新で意外な構成をもった小説

 ・ 有無をいわせぬ面白さをもった小説


です。


 公募賞の審査員がよく言ってるヤツです。

 ハードル高いなあ(笑)


 逆にいうと、わたしの小説があまり読まれないのは、


 ・ いつか読んだようなテーマ

 ・ ありきたりの構成

 ・ 特別おもしろいわけではない


と三拍子そろっているからなのかもしれません。

 じぶんで書いていて凹みますが……。


 三拍子そろった小説を書けるとはなかなか思えませんが、ひとつでもクリアしていままでとは違う「おっ」と感じてもらえるような小説を書けるよう頑張りたいと思います。


 なんだ今日のエッセイ。なんの決意表明だ?

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