167カオス 小説にもっとも大事なもの

 朝ごはんを食べながら、いろいろと妄想するうちにふと思いついたのです。ずっと前からわかっていたのですが、やっと形を成したというか……。


 小説を書く上で、かんじんなことを。


 小説にとってかんじんなことは、どう書くかではなくて、どう書こうとです。


 書き言葉を操るようになれれば、だれだって「小説」は書けると思います。書いたのが中学生だって、小学生だってかまいません。文章の上手下手も関係ないと思います。


 人称がどうの、視点がどうの、描写がどうの……と何度も書いてきましたが、これらは小説のかんじんな部分ではないのではないか、と気付いたのです。


 架空の物語をひとつ作り上げれば、それはもう「小説」です。そして、それをお父さんやお母さんに読んでもらって「おもしろいよ」とか「上手だね」と言ってもらえたときに「小説」は小説になる――と思います。


 カクヨムを続けていてようやくわかったのですが、小説って、フィクションを通じて書き手と読み手のあいだで交わされるコミュニケーションなんです。非常にまどろっこしい方法ですけど。


 だから書かれただけの「小説」は、まだ小説でなくて、だれかに受けとってもらえてはじめて小説になる。小説を介して書き手と読み手に意思が働き、気持ちが動く。そういうものが小説でしょう。


 これまで小説の書き方についていろいろと試行錯誤してきましたが、どんな突飛な形をした小説であれ「あなたの小説を読んで、心を動かされました!」という読者さんを得られたなら、それは小説として大成功なんじゃないかと考えが変わってきました。


 こんなのは小説じゃないとか、もっとこういう描写をしないと賞は取れないとか、大きなお世話ですよ(わたしもそういう態度をとりがちですが……)。書籍や雑誌の形でしか小説を発表する場のなかった昔ならいざ知らず、カクヨムのようなサイトなどで小説を発表することができるようになったいまでは、小説に従来のような定型や不文律を求めるのは無意味ではないでしょうか。


 結局。この「小説」すごくよかった! 感動した! という作品が、どんな型破りであれ、いまの小説なんじゃないかな〜と考えたのでした。


 読んでもらうって、マジで難しい。

 人を感動させる? わたしの小説で? ハードル高いな〜。

 じっさい、Webメディアの発達は、小説とみとめられる作品のハードルをかなり上げてますよ。読む人にとってはうれしいですが、書く方にしてみれば辛い時代になったなあと思います(笑)

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