83カオス あなたは自作を拙作と呼ぶか
小説を読むだけでなく、自分でも小説を書くようになって、はじめて使うようになった言葉のひとつに「
自分のことを「拙者」とか「小生」といったり、奥さんのことを「愚妻」、息子のことを「愚息」といったりするのと同じで、自分(や身近な存在)のことをへりくだって表現することにより、ひるがえって相手方を敬う気持ちを表すという、高度な敬語テクニックです。尊敬語、丁寧語と合わせて国語の時間に習いますよね。
ただ、昨今謙譲語というものは、どうも流行らないらしく、「拙作」という言葉に違和感を覚える読者さんもいるらしい。
曰く、
――自分でもつまらないと感じる小説を人に読ませるなんて、読者を馬鹿にしており失礼ではないか。
読者に対する敬語として自作を「拙作」と呼んでいる作家さんにとってみれば、思いもよらないびっくり仰天な言い分でしょう。いや……そんなつもりじゃないんですけど」
また、次のように感じている読者さんもいるようです。
――「拙作」が謙譲語なのはわかるが、実際には下手くそというよりはむしろ上手な作品。殊更へりくだっているところが逆に嫌味ったらしくて不愉快。
これはある意味正しい。本当に下手くそだと思う作品を他人の目の前に晒すわけがなく、ある程度読める作品だという自覚があるからこそ公開している場合がほとんどだからです。
ただ、そうした場合であっても、自らへりくだってみせるというのが従来の敬語表現であり、多少嫌味ったらしさは感じながらも「これは私を立てようという相手の気持ちの表れだから」と目くじらをたてないというのが、敬語を使われた人に課された不文律でした。
ところが、最近は、感情表現も婉曲であるよりは、率直であるほうがよいと考える人が多くなってきているようで、謙譲語をまどろっこしい言い回しの“悪い日本語”と嫌っている人がいるのかもしれません。
いま、小川洋子さんのエッセイ『とにかく散歩いたしましょう』を読んでいます。めちゃくちゃおもしろいです! 笑えるという意味ではありません。心にしみじみきて、笑ってしまうものもあれば泣いてしまうものもあるエッセイだという意味です。小川さんの物事に対する感じ方、言葉のセンスいずれも最高だと思います。
この素晴らしいエッセイという布を小川さんは謙譲の美徳という糸でで織り上げていきます。ご自身の作品のことを拙作と呼ぶことはもちろん、仕事ぶりに関しても「ぜんぜんアイデアが浮かばない」とか「つまらない小説ばかり書いている」とか、芥川賞をはじめ本屋大賞、読売文学賞など数々の賞を受賞したこの国第一流の作家がへりくだりまくりなのです。嫌味ったらしいといえばこんなに嫌味なこともないでしょう。
もちろん小川さんのエッセイに嫌味ったらしいところは毛筋ほどもなく、読後はきわめて清々しいです。言葉の名手にかかれば謙譲語というものはこんなに美しいものかとわかるでしょう。
拙作とは大違いだ……(笑)
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