47カオス 大人の視線 子供の視線
最近、なるべく色々な本を読もうとしていて、書店や古書店に足を運んでは本を物色しているのですが、子供の頃読んだ児童書を再読するのも面白いかもしれないと、読んだのが『ドリトル先生アフリカゆき』(ヒュー・ロフティング、井伏鱒二訳、岩波少年文庫)です。
「ドリトル先生シリーズ」ご存知ですか? 動物の言葉を理解できるお医者さま、ドリトル先生が家族の動物たちと繰り広げる冒険のお話――なんですが、子供のころの私は、この『アフリカゆき』と『ドリトル先生航海記』それから『ドリトル先生の動物園』を持っていて、なかでも『動物園』がお気に入り。なんども読んだことを覚えています。
井伏鱒二の訳文は名訳ですが、なにぶん戦中から戦後の時期に書かれた文章。かなり古くさくて、新訳の「ドリトル先生」もあるようです。ま、私はノスタルジーもあって井伏鱒二訳で読んでいますが、おもしろいですね、やっぱり。
――オランダボウフウってなんだろ?
子供のころと同じことを考えたり(笑)
動物たちと会話できるドリトル先生は、物語全体がとてもメルヘンチックなのですが、よく読むと先生はほのぼのとばかりした人ではないのでした。
ドリトル先生はお医者さまですが、動物たちに構いすぎるがために、人間との付き合いがあまりありません。周囲の人からはかなり浮いていて「変な人」と思われています。
動物たちからは、唯一無二の動物の言葉がわかるお医者さまとして絶対の信頼と尊敬を集めるドリトル先生ですが、人間たちから見ると、ぶつぶつ動物たちと話している奇妙な人、近づきたくない人なのです。たったひとりの妹は、先生を理解できずに家を出てしまいました。ドリトル先生は人とのつながりを失った寂しい人なのです。
子供のころは、おもしろいだけで読んでいましたが、大人目線で読むと先生の別の姿が見えてきて興味深いです。
あと、ドリトル先生は徹底的に
先生は、絵に描いたような紳士なのですが、今の世の中を見回してみると、こんな紳士はどこにもいないですね。人々の心の中にもいないんじゃあないでしょうか。
昔は、確かにこういう大人がいて(いるように思えて)、物語にリアリティが感じられたものですが、いまの時代はどうでしょう。
だれも彼もが、お金…お金…お金…な世の中じゃないですか。
(――そういえば、私もリワードがどうのこうのと書いたばかりでした!)
息子がまったくこの本に興味を示さないというのもなんだか寂しいような、当然のような……。
と、嘆いていてもはじまらない。読書体験ってものは個人的なもの、人に感動を強要するなんて愚の骨頂です。自分の思い出は、自身の胸の中にしまっておいて、次の小説を書こう。ぜんぜん書いてないぞ!
駄文、失礼しました。
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