45カオス 詩は言葉の向こうにある
「詩は、言葉の向こうにある」
『100分de名著』には、詩人、中原中也を取り上げた回があります。冒頭の言葉は、第三回、中也の「サーカス」という詩が朗読された後に言及されました。
中原中也は「サーカス」のなかで、空中ブランコが揺れるさまを
ゆあーん ゆよーん
ゆやゆよん
と表現します。
これを受けて、MCを勤める伊集院光さんが、知り合いに
目の前の薄い膜が一枚、剥がされたような新鮮さを感じたのです。それは…
世界のあらゆる事象は、言葉を得てはじめて、具体的な形を為すということ。
そして、言葉があてがわれることによって、扱いやすくなる反面、その本質が損なわれてしまうこと。
ゆあーん ゆよーん
ゆやゆよん
にしてもそう。
スナフ
にしてもそう。
すばらしい表現と言語感覚ですが、この言葉だけにとらわれていると、その向こうにある(もしかすると手前かもしれない)、そのものの本質――空中ブランコや最中に出会ったときの魂の振動――をとりこぼしてしまう危険性と表裏一体に思われるのです。
「詩は、言葉の向こうにある」
詩は、こうした言葉の限界を自覚しながら、それでも言葉を使って、事象の本質を描こうとしている。詩の本質は、そこに書きつけられた言葉ではなく、その向こう側にあるといえるのです。
どうも詩を書く人たちはこのことにきわめて自覚的で、そうしたものとして言葉を操っている。だから、詩の中に言葉が並ぶと、ふだん私たちが使っているものが、まったく違う表情を私たちに向けるのです。
そこで小説を書いている私のことを振り返ると、言葉を使って自分の表現したいことを追いかけてばかり、むやみに書き付けるばかり、でいたにもかかわらず、「自分が書きたいと感じていることに至らない。届かない」と嘆いてしかこなかったことが思い出されて恥ずかしくなります。
言葉は
私は誤解していました。
そこへ架けるものと。
言葉は突破孔です。
そこへ向けて
開かれた窓なのです。
そして、もっと詩や短歌、俳句といったものに触れなければならないのではないかと思いはじめています。
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