31カオス 時代遅れの教養主義者

 『ノルウェイの森』『海辺のカフカ』『1Q84』などの小説で知られ、ノーベル文学賞候補としても取りざたされる作家、村上春樹の言葉に「世の中には二種類の人がいる。『カラマーゾフの兄弟』を読破したことのある人と、読破しとことのない人だ」というのがあるそうです。


 いかにも「作家」が口にしそうな言葉で、さして文学に興味のない知人に「村上春樹がこういってるらしいよ」などと語ろうものなら、「ふうん」という言葉とも鼻息ともつかない音声が彼(または彼女)の口から発せられ、座の空気が白けることに間違いはないのですが、こうした話に「へえ。そうなんですか」と食いつき気味に興味を持ってもらえる時代が、過去にはありました。


「日本文学全集」や「世界文学全集」が「応接間」の目立つ位置にある棚に並べられ、小学校に上がった子供たちに「百科事典」や「世界偉人伝」を買い与えていた時代。


 ――教養主義。


 という言葉が、特に意識されることなく(だからこそ、その言葉がもつ負の側面も意識されることなく)、皆が「文化人」や「知識人」に素朴な憧れや漠然とした尊崇の念を抱いていた、そんな昔のことではなく少し前――70年代までのこと。


 ……。


 私は、薄れゆく教養主義の残光を追いかけながら成長した世代です。本を読むのが好きなのも、「本を読んで偉いねえ」と子供の頃に大人たちから褒められた経験と不可分に結びついています。ある意味読書は高尚な行為だったといっていいでしょう。


 いまとなっては「本を読む」という行為は、高尚なことでもなんでもなく、「物好きなことですね」と思われているにすぎません。

 本を読む代わりに現代人は何をしているのか? もちろんスマホをいじっているのです。通勤電車でも、病院の待合でも、公園のベンチでも、どこでもそうです。あなたもそうでしょう?


 かつて、私たちが本を読んで身につけていたものは「教養」でしたが、いま私たちがスマホから手に入れているものは単なる「情報」でしかありません。いま情報は大切にされますが、教養は顧みられない時代なのです。



 今月のNHKEテレ『100分de名著』は、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』です。私も光文社古典新訳文庫の『カラマーゾフの兄弟』を読み始めました(笑)


 100分de名著は、典型的な教養番組だと思います。視聴者の中心も仕事をリタイヤした高齢者だそうです。教養主義の最中に成長した人たちですね。


 そして『カラマーゾフの兄弟』は、「ザ・教養小説」って感じがする小説です(笑)正直言っておもしろくありません(すごいと思う箇所はいくつもありますよ。ただ、それを差し引いてもおもしろくないと言っていい)。これは「これが教養だ」と確信的に読まない限り、この分厚い小説は読めないと思います。これをおもしろいと感じるには、読む人にしてそのための知識と教養と感性と三拍子揃っている必要があります。


 ハードル高いなあ。


 でも効率重視で打算的な今の世の中に異議申し立てする意味からも、私は教養主義を続けていきたいと思いますね。だって、生きにくいんだ――ぎすぎすしてていまの世の中は。


『カラマーゾフの兄弟』の続き読もうっと。

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