29カオス 書かないことで描いてみせる

 いくつかの松が描かれている。


 ただそれだけの絵なので、人によってはとても寂しいと感じられるだろうし、まだ完成していないように見えるかもしれない。あるいは絵画としてまったく値打ちがないと判断されるかもしれない。


 ――松林図屏風。


 安土桃山時代を代表する絵師のひとり、長谷川等伯の描いた水墨画『松林図屏風』は、見る人によって様々に解釈されうる絵です。


 芸術という、いかにもつかみどころのないものを手がけている人にとって、「様々に解釈されうる」というのは、最高の賛辞でなはないかと私は思うのですが……それにしてもこの絵、余白が多い。


 スマホで、松林図屏風――と検索してみるとすぐに画像で見ることができると思うので、興味のある人は確認してみてください。





 霧の立ち込めてきた松林が描かれて(私にはそう見える)います。余白の部分は、濃く立ち込めた霧を表現しているのですが――表現している? 描いていないのに? 


 そうなんです。余白部分に絵師はなんの手も加えていません。しかし、描いてはいないけれど、そこには明らかに霧が描かれているのです。


 なんて不思議なことでしょう!


 しかも、私には絵の中の霧の向こうに、鬱蒼とした松林まで感じることができるのです。


 



 私は、松林図屏風の「余白」のように、描いていないことによって描く、というのを文章でやりたいと考えています。

 「書く」という当たり前の方法のではなく、あえて「書かない」という表現方法は、スマートでスタイリッシュに感じるし、自由だと思うんです。


 そんなに難しいことじゃないんです。小説を書く人なら、みんな当たり前にやっていることです。一から十までキャラクターの行動を記述する小説なんて、うざくてうるさいでしょう? 書かない部分はたくさんあるし、「……」や改行で、時間経過を表現することもある。ときには何行も改行して時間的、空間的広がりを表現するのは、Web小説でよく見ます。


 それをもっともっとさりげなくスマートにやってみたい。そして、そんな小説こそ私自身が読みたいと考えている小説なんだろうなと思います。




 でも、そうして書くのは難しいんですよね……(笑)

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