11カオス 戦士はペンをとれ!
ラグビーのワールドカップに興味はありますか。ありませんか。テレビ中継をみていますか。みていませんか。スタジアムへ観戦に出かけたりしますか。それともPV? それとも、まるでなんのことかわかりませんか。
妻はほとんど興味を示しません。スポーツイベントにはほとんど興味がないようです。カクヨム作家さんもそうなんでしょうか。
スポーツ中継の食わず嫌いはしない私は、なんでも見ます。一応の興味もあります。ラグビーのワールドカップも見ました。対スコットランド戦はとてもいい試合でした。
いやいや、ラグビーのことを書きたいのではなくて、小説のことを書きたいのです。
スポーツをする人ならぴんとくるものがあると思うのですが、敵となる相手と対峙し、実際に対戦してみると実際には言葉を交わすことはないのに、多くの事柄が対戦相手から伝わってくることがあります。
競技に関する才能。
これまで積み上げてきた努力。
競技にかける情熱。
それらを総合した相手と自分の力量の違い――といったものです。
相手を間近にして、拳を交わしたり、お互いに組み合ったり、ボールを交換するうちに、そのことを語り合っているわけではないのに、どんどん、そのことが自分の中に流れ込んできて、敵であるのに尊敬する気持ちが湧いてきたり、逆にさらに憎らしくなったりします。言葉を介さない、スポーツを通じて体感する不思議な感覚です。
敵も味方も、相手も自分も、大勢の人がいま戦っている競技――その「ひとつのこと」に意識が収斂され、寄り添っているからこそ生まれる感覚なのかもしれません。
ひるがえって文章はどうかというと、これとは逆に書き手が言葉を使って自分の描きたいことを伝えようとしているにも関わらず、読み手にそれを伝えるのはなかなかに難しいものです。
ベストセラー作家というのが、一握りの人たちに限られているのを考えると、これはプロの作家でも非常に難しいことだとわかります。ましてや私のような泡沫Web作家などいうまでもないというわけで……。
スポーツでなら比較的容易な「ひとつのこと」の共有も、言葉を介した文章になると途端に難しくなる。ひとつの物語を書き手と読み手で共有できなくなるということは、言葉というもののもつの制約、そして限界を思い知らされます。
小説を書く人は、この言葉の不自由さをわきまえて文章を書かないといけません。読み手に伝わる自分の考えは、言葉だけでは結局不十分でしかないのが当たり前。
もしあなたが、自作の小説の意図が十分読み手に伝わらないときに――。
「おれの文学を理解できない、文盲野郎め!」
なんて、腹を立てているとしたら、それはお門違いです。むしろ、言葉の持つ特性に対する認識不足を自ら晒しているようなもの。
私たちは、言葉というとても不自由なものを武器に、人の心を揺さぶろうという勝ち目の薄い勝負に賭けた戦士なのです。
でも、前評判はそれほどでもなかったラグビーの日本代表が、全勝でワールドカップの決勝トーナメントに進んだくらいです。
腐ることなく、あなたの言葉を磨き続ければ、きっと、読む人の心に届く小説が書けるようになるんじゃないかなあ――と、スコットランド戦に勝利した日本テームを見た私は考えたのでした。
がんばりましょう。
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