9カオス 愚痴を書いても読んでもらえない

 ルサンチマンという言葉を知ってますか。聞いたこと(もしくは見たこと)はあるけれど、どういうことを示しているのかよく知らない(知る必要もない)――という言葉の一つではないかと思っているのですが、みなさんはどうでしょう。


 私はずっと「インテリがその知識をひけらかすために使ういけ好かない言葉のひとつ。意味はわからないし、そこがムカつく」と感じていました。

 実はこうした感情が、まさにルサンチマンと呼ばれるのだと、最近知って深く納得することになります。ルサンチマンとは、弱者が強者に対して抱く、嫉妬や恨み、反感の感情をいう言葉だったのです。


 ――なんだ。そうだったのか。


 キルケゴールやニーチェといった哲学者が定義した概念は、いかにもインテリが好んで使いそうな言葉ではあります。


 今回、なぜこんなことを書いているかというと、『別冊NHK100分de名著 読書の学校 西研特別授業 ソクラテスの弁明』(――長いタイトルやな……。)という本を読んだのですが、内容が西研(にし けん。東京医科大学哲学教室教授だそうです)が早稲田高等学校の生徒を相手に「ソクラテスの弁明」をテキストに使った特別授業を行うという内容だったからなんです。


 本の内容はとても面白かったのですが、文句というか疑問があるのは――ことはこの本に限らないのですが、一般にメディアが企画するこの手の企画には使んですよね。


 どうしてだ?


 世の中の若者の半数は、偏差値50以下なんですよ? 大人や教師の言うことを斜めに聞く習慣しか持ち合わせていないんですよ? 偏差値高くて、外面だけは素直な高校生(「悪意」じゃなくて「リアル」を込めてます)が、若者の代表然としてこうした企画に参加するのには、非常に違和感を感じます。


 これもルサンチマンです(笑


 私は、偏差値50辺りをうろつきながら、世の中を斜めに見ていた高校生で、偏差値の高い同年代の高校生には、嫉妬と反感を持ってました。

 わかってます。わかってます。彼ら自体はいい人たちですよ。そうではなくて、彼らに対する世の中(大人たち)の向き合い方に恨みを抱いていたのです。おっと、自分をごまかすところでした(笑)

 


 ただ、私も大人になりました。

 こうした企画をする人が、どうして彼らのような高校生を使うのか、その理由はわかります。

 彼らなら、講師の質問にも打てば響くようなリアクションがとれるだろうし、講師を困らせるような授業態度をとることもないでしょう。企画を成功させるためには、ある程度察しが良くて、従順な高校生がいいに決まってます。


 しかし、私にはその作り物めいた講師と高校生との関係が、なんだか許されない欺瞞のように感じられてならないのです。


 もちろん、特別授業を行った西研と早稲田高等学校の生徒になんの落ち度もありません。講師にとっても生徒にとっても、有意義な時間となったことでしょう。

 私がするのは、「ソクラテスの弁明」を用いたこんなにおもしろい特別授業を、聞き分けのいい高校生というありきたりのフォーマットの中で行わせたこの本の企画者と、に対してなのです。


 ちょっと今回は本を読んでのグチになってしまいました。すみませんでした。でも、私自身再認識したのですが、ルサンチマンというのはエネルギーになりますね(笑)1500字くらい、ちょいちょいと書けてしまいました。この調子で小説の方も……。ただグチっているだけではおもしろくないので、おもしろい小説に仕立て直さないと……難しいなあ。

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