7-10
「フカミ。ミソラ。お前たちは私の孫だ。その意味が分かるね?」
――認められたと、そう思った。ミツの孫だと。島の子供だと。
「もちろんだよ、お祖母ちゃん!」
なのに振り返ってみればフカミは辛そうな顔を見せていた。
「行きなさい」
手を取られた。歩き出して手を引かれた。その意味がわからなかった。美空は島の子供であるのに。
「フカミちゃん?」
フカミの足は止まらなかった。廊下を戻り外へ出る。坂の方へ向かっていく。
ふと目に入った食堂が見慣れない気がしてそして気づいた。
「屋根が」
屋根が捲れあがっていた。あわてて振り返って見た堂の前は屋根のがれきで埋まっていた。
強制するように腕が引かれ。
「フカミちゃん待って!」
美空はフカミの腕を振り払った。
美空は医療棟を振り返る。堂の隣にありながらも、医療棟に影響は見られない。思わず安堵の息が漏れ、憤りが沸いてくる。
「おばあちゃんを一人にするの?」
フカミは振り返らなかった。僅かに俯き海岸の方をむいたまま、鼻を啜る音だけがした。
なんで、と。口を開こうとして先にフカミから声がした。
「するよ」
腕が顔を拭っている。啜りあげる音がする。
「置いていくの?」
なんで、と、頭の中で言葉が回る。
島人で、孫で、怪我をしていて、もう辺りには誰もいなくて。ミツは一人で、シノはまだ集会場のその下に。
「あんな所に一人ぼっちで、置いていくの!?」
「島長は!」
悲鳴のような、怒声だった。
美空は思わず息を呑んだ。追ってじわりと視界が滲んだ。
フカミの肩は揺れていた。細かく細かく、耐えるように。
「残るって決めたから」
続いた言葉は押し殺したものだった。
わかってる、知ってる。
美空は思い、震える声で音にする。
「わかってるよ。私たちはその孫、でしょう? お母さんだって助けなきゃ。あんな音がして下は一体どうなってるのか――」
「助けない!」
言葉を続けられなかった。フカミは坂の下へ向いたまま、肩を震わせ湿った声を絞るように出し続ける。
「わたしたちは島を出るの! 神様から、島から、島長を置いて、お母さんを置いて、みんなで新しい場所に行くの!」
フカミの足元に滴が落ちる。一つ、二つ、いくつも、いくつも。
「わたしは孫だ。みんなを、みんなを安全な場所まで連れて行く。最後の長の直系としてそれを見届ける」
フカミはミソラへ振り返る。涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔を向けてくる。声はとうに涙声で、嗚咽ばかりが耳に残った。
再び突き上げるような揺れが起きた。美空は大きくたたらを踏む。フカミはその場にしゃがみこんだ。
上空を鳥はぎゃぁぎゃぁ鳴きつつ旋回を続けている。生ぬるい風が吹き上がり、木々がざわりと音をたてる。まるで悲鳴のようだと美空は思う。
――嫌だ。
浮かんだ言葉が美空の心のうちを占める。
フカミが伸ばしてきた手を振り払う。一歩、下がった。
フカミは涙を拭いじっと美空を見つめてくる。
その手に掴まれたら。美空は思う。
フカミは島から逃げると言った。島を返して新しい場所に行くのだと。
フカミが逃げようとする先には東京が待っている。そこは美空の暮らす場所でありながら、かつて美空を拒絶した街で、美空が溶け込むことを拒否した街でもあった。
還ってきたのに――還りたいのに。
どこまでも高い空の中に。青々とした風の中に。
――そう、か。
思いついて美空はフカミの方を見る。青い海と白い浜がその向こうに広がっている。泣きたくなるほどに青く白く深く何者をも包み込んでくれる場所。
美空を無条件に受け入れてくれる場所。
――還ってしまえばいいのだ。
この空と海の中に。
「私、残る」
「ミソラ?」
フカミは怪訝な顔を向けてくる。心配するフリばかりが上手い、クラスメイトのような顔だと美空は思う。双子なのにいつの間にか、こんなにも似ていない。
「お祖母ちゃんといる。さいごまで」
踵を返した。走り出す。そのまま医療舎のドアへ手を伸ばし。腕を捕まれ引き寄せられて。
高い音が自分の頬からしたことを。美空はどこか遠くの音のように聞いた。
「ミソラは島人じゃない」
フカミの目が正面から美空を覗き込んでくる。
フカミは一字一句区切るように言葉を続ける。
「ミソラが残るなんて、島長もお母さんも認めない。わたしも許さない。最後の島長として、絶対に許さない。ミソラはトウキョウに帰るの。お父さんがいて、トモダチがいて。待ってる人がいる場所に」
友達なんて。言おうとして口は音を出さなかった。
――気をつけて。無事帰ってきてね。
文字が浮かんだ。返信出来なかったメッセージだ。
表情豊かな小動物のような笑顔が浮かんだ。美空が約束を破っても、自身は決して破ろうとはしなかった。
調べものを手伝ってくれた。一緒に島を案じてくれた。新戸に引き合わせてくれた。それがあるから、いま美空はここにいる。
数学を教えるのだと、約束した。
――あのメッセージになんと返そうとしていただろうか。
張られた頬が熱を持ち、じんじんと痛みを訴え始める。
幾度目かの揺れが来て、手が引かれた。
地面も海も空も滲んだ視界の向こうにあって。もう美空には見えなかった。
――美空を引いて導く手は、ただ温かかった。
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