着ぐるみの僕

ワタリヅキ

『着ぐるみの僕』

 目の前を、数え切れない程の大勢の人たちが通り過ぎて行く。

 カラフルな風船が空を舞い、子連れの夫婦や若いカップル、制服姿の高校生など、様々な人が行き交う。皆に共通して言えるのは、今この時間を幸せそうに過ごしているということだった。誰もが現実から離れ、日常生活の不満や苦悩を忘れてしまったかのような表情をしている。僕はただそこに立ち、洪水のように流れて行く人々の姿を見ていた。

「ねえ、クマさん」

 突然声をかけられ、驚きのあまり「ヒェ」という変な声を出してしまう。

「変なの」

 小学校中学年位の女の子は、僕の反応に呆れたように冷めた声でそう言うと、僕の元から走り去っていった。

――変なの、か。

 ため息と共に僕は深く落ち込んだ。やっぱり僕にこの仕事は向いていない。僕はクマになった両手を見ながらそう思う。子供たちを楽しませる存在であるはずのクマの着ぐるみが、子供の何気ない一言に落ち込んでいるなんて、とても情けないと思う。

 俯きながらふと足元を見ると、小さな赤いキーホルダーが落ちていることに気がついた。なんだろう、と拾ってみる。それは、今子供たちの間で人気のアニメキャラクターのキーホルダーだった。

「あっ」

 さっきの女の子の落とし物だ、と思った時にはもう遅かった。周りを見回すが、もうその女の子の姿は見つけられなかった。日曜日のテーマパークは大勢の人々で溢れている。

 どうしたものか、と思っていると、

「おい、福西」

 と背後から誰かが近づいてくる。

 振り返ると、テーマパークの責任者である近藤が、僕を呼びながら手招きしていた。慌てて近づいて行くと、彼はアトラクションの建物の陰に僕を連れていく。

「お前、さっきから見てたけど、ちょっとひどいぞ」

 近藤は眉間に皺を寄せてそう言った。

「ひどい?」

「お前の勤務態度だよ」

 そう言うと、彼は僕の前身を見回した。「お前はただクマの着ぐるみを着ているだけだ。ただ着ているだけ。全然、クマになりきれてない」

 そう言われても、クマになりきるってどうしたら良いんですか、と思ったが、そんな僕の心を見透かしたように「サービスだよ。サービス精神が足りないんだ。たまにはダンスでも踊ってみたらどうだ」と彼は言う。

「ダンスなんて、バイトの募集要項になかったですよ」

「はぁ、これだから最近の若者は。すぐ規定だとか要項だとか言いやがる」

 近藤は深いため息つき首を左右に振ると「一人で良い」とおもむろに言った。

「えっ」

「一人でも良いから、今日中に人を最高に喜ばせること。最高の笑顔にさせること。それが出来なければお前はクビだ。決して難しい試練ではないはずだが、それがアルバイト初日の最低限の合格ラインだ。いいな」

 そう言うと彼は僕の肩を叩き、「期待してるぞ」と言って去ってしまった。


 試しに両手を交互に上げ下げして、慣れないダンスを踊ってみたが、女子高生たちが不審そうな目で僕を見てきて泣けた。

 変わるきっかけが欲しい。そんな志望動機で僕はこのアルバイトに応募した。自分を変えるために新しいことを始めてみたいんです。もちろん、大変なのはわかっています。でも、やってみたいんです。

 どうせまた不合格だろうと思っていると、それじゃあ、さっそく明日から来て欲しいという返事があって、僕は逆に狼狽えてしまった。明日から? まだ心の準備が出来ていません、なんて意味のわからない言い訳を零して延期を要求したが、あえなく却下された。

 実際、今日から始まったこのアルバイトは、僕にはとても耐えがたいものだった。もともと人と接するのが苦手で、明るい立ち振る舞いなんて出来なかった。着ぐるみを着ればそんな自分の殻を破り、新しい自分を見つけられるのではないか、という希望は一瞬にして消え去ってしまった。

 周りを見ると、カッコいい風の動きや可愛げのある仕草をして人気を集めている着ぐるみたちの姿が目に入る。彼らの周りには沢山の子供たちがいて、同じように着ぐるみを着ているのにここまで差があるものなのか、と情けなくなるほど、僕の周りには誰も近寄ってこない。

 やっぱり今日で辞めよう。そう思ってパークの端の方に目をやると、ベンチに座って俯いている女の子の姿があった。さっき僕に話しかけてきた女の子だ。彼女はなぜか暗い表情をしてベンチに腰掛け、足をブラブラさせていた。

 僕はそっと彼女に近づいて「どうしたの」と声をかけてみる。

 ゆっくりと顔を上げた彼女は、「あっ、さっきの変なクマ」と小さな声で言った。

 思わずむっとしたが、「落ち込んでるみたいだけど、何かあったの」と聞いてみた。

「なんでもないよ」

 そう言って彼女は、僕から地面へと視線を落とした。

 彼女がなんでもないようには見えず、このまま離れてしまうのはどうにも不安だった。僕は思い切って「実は、僕は魔法を使えるクマなんだ。魔法を使ってなんでも解決できるんだよ」と言ってみた。言った後で、変なことを言ってしまったかなと後悔が襲ってくる。

「ほんと?」と女の子が聞いてきて、僕は少しほっとした。意外と素直な面もある子なのかもしれない。

「実は、パパとママとはぐれちゃって」と彼女は言った。

「迷子?」

「うん。でも……」

「でも?」

「パパもママも、きっと私を探してないと思う」

 そう言うと、女の子はまた俯いてしまった。

「パパとママと、ケンカしたんだね?」と尋ねると、彼女はゆっくりと頷いた。なるほど。少女は両親とはぐれたのではなく、ケンカをして自ら離れたのだ。そうして行き場もなくこのベンチに座っていたと言うことらしい。

「何があったのかはわからないけど、一つだけ言えることがある」

 僕はゆっくりと話しかけた。

「なに?」

「パパもママも、君のことを嫌いにはなってないよ」

「うそだ」彼女は僕を見上げて首を振った。「だって……」

「何か気に入らないことがあったかもしれないけれど、親子っていうのは離れられないものなんだよ」

 しばらくの沈黙の後、女の子は再び視線を落とすと、小さな涙声で「パパとママに会いたい」と零した。

「わかった。僕の魔法でなんとかしよう」


 少女にそこで待っているように伝えてその場を離れたのはいいものの、果たしてこの大人数のお客さんの中から彼女の両親を探し出せるものなのか、正直なところ自信がなかった。

 パーク内放送で迷子の案内が流れればすぐにわかるけれど、今のところ放送はなかった。

 仕方なく、途方にくれる様なやり方ではあったけれど、僕は必至に辺りを見回しながらパーク内を走り回った。近くの人に「迷子を探している人を見かけませんでしたか」と声をかけ、情報収集もしていった。

 着ぐるみを着たまま動き回るのは想像以上に体力を消耗し、暑さもあって次第に目眩がしてくる。足元がふらふらしてきて、意識が遠のいていく。なんでこんなことをしているんだろう。次第にそんな思いが心に浮かんだ。両親を探してテーマパークを走り回るなんて、バイトの募集要項にはなかったよな、なんて思う。

『パパとママに会いたい』

 ふいに頭の中で、さっきの少女の声が聞こえてきた。

 僕は首を振った。こんなところで倒れちゃいけない。

 不安を抱えた少女の期待に応えなければ。

 そう思って探し回っていると、「そういえばさっき、メリーゴーランドのあたりで誰かを探している夫婦を見かけたよ」という情報が入ってきた。

「ありがとうございます」情報をくれた男性に頭を下げて、メリーゴーランドのある場所へと急いだ。

 向かっていく途中で、周囲を見回して歩いている夫婦と出会い、僕は直感であの子の両親だと悟った。

「あの」

 二人に声をかけたが、息が上がってしまっていてしばらく上手く話せなかった。

 夫婦は僕の声に足を止めて「あの、もしかして」と彼らも言った。

「迷子の女の子を、探していませんか」

 僕はようやくその言葉を口に出すことができた。


 二人を少女の元へと案内した僕は、「これはあの子の落し物です。渡してあげてください」と例の赤いキーホルダーを差し出した。仲直りのきっかけになるといいな、と思いながら。

「本当に、ありがとうございます」

 彼らはそのキーホルダーを受け取ると僕に深く頭を下げて、心配そうな顔をして少女の元へと走っていった。

 これでもう大丈夫だ、そう思った僕は、彼らの後ろ姿を見届けて、その場を去りパークの事務室へと向かった。


「そうか、本当に辞めるんだな」

 近藤は残念そうにそう言ってため息をついた。

「すみません。やっぱり僕にこの仕事は向いていませんでした」

 僕はそう言って頭を下げた。「それに」

「それに?」

「近藤さんから出された課題、やっぱり僕にはできませんでしたし」

「一人でもいいから最高の笑顔にすること、か?」

「はい。ダンスもしてみたんですけど、女子高生に冷たい目で見られただけでしたよ」

 そう言って、両手を交互に上げ下げする妙なダンスを披露したら、近藤はプッと吹き出し「なんだよ、そのダンス」と笑った。

「明日からまた別の仕事を探そうと思います。短い間でしたけれど、本当にお世話になりました」

 クマの着ぐるみを彼に返し、僕は頭を下げた。

 こうして、僕の短いアルバイトは幕を降ろしたのだった。


 テーマパークからの帰り道、ふと思い立って最後にもう一度例のダンスを踊ってみた。意外と気に入っているんだけどな、そう思っていたところだった。

「あっ、クマのお兄さん」

 と、後ろから声が聞こえてくる。

 振り返ると、さっきの少女が両親と手を繋いで歩いていた。

「そのダンス、癖が強すぎ」と笑っている少女。

「あっ、もしかして、さっきの」と夫婦も僕に気がつき、「先程はありがとうございました」と笑顔で礼を言った。

「ねえ、知ってる? このお兄さん、魔法が使えるんだよ」

 女の子は自信満々に両親にそう言うと、例のキーホルダーを出して僕に笑いかけた。

 僕は必死に涙を堪えながら、「魔法の効果があったみたいだね」と言って僕も笑った。それから、彼女の両親に「実は僕も昔、遊園地で親とケンカして、ひとりぼっちになったことがあったんです」と話しかけた。

「その時、着ぐるみの人に助けてもらって、親と仲直りすることができたんです。この子を見ていたら、その時のことを思い出して、放っておけませんでした」

「そうだったんですか。本当にあなたのおかげで助かりました。些細なことだったんですが、娘とケンカして、迷子の放送をしてもきっと出てこないだろうと思って、自分たちで探し回っていたんです。でも全然見つからなくて、すごく焦っていて」

 少女の父親は恥ずかしそうに頭を掻きながら「本当にありがとうございました」と頭を下げた。

「ねえ、またここの遊園地に遊びに来たい」

 少女が両親の手を引っ張って言うと「そうだね。また来ようか」と彼らも応えて言った。

「お役に立ててよかったです。僕の方こそ、とても大きなものを得ることができて感謝しています。ありがとうございました」

 そう言って僕も彼らに頭を下げた。

 僕の心は温かいものに包まれ、涙は止め処なく流れ続けた。


 着ぐるみの僕は、今日もテーマパークで妙なダンスを踊り続けている。

 一人でも多くの、最高の笑顔を作り続けるために。



――了。

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