覚えている風


 広場には多くのハーピィがスタートはまだかまだかとレースを待ち望んでいる。


 真っ白な翼、真っ白な髪、真紅の瞳を持つサクヤもその一人である。

 この数か月間に思いを馳せる。

 

 森でかの美しい男性に見とれて怪我してしまったあの日からずっと耐えてきた。

 

 何を言っても、何を話しても誰にも何も信じてもらえない。天嵐狼に恐れて逃げ帰った際に怪我をした罵倒される毎日。

 引きこもって毎日毎日泣いたあの夜。いじめにきたクラモト達に怯える夜。

 私を慕ってくれていた奴らも一人また一人とソッポを向いていき、ついにはタカタカとワシワシしか残ってくれなかった。

 布団にずっと泣きついて、何度も何度も泣いて…泣きつかれた後も嗚咽が止まらなかった。眼も喉も腫らしながらそれでも感情は止まらなかった。


「でも…そんなことはどうでもいい…」


 そんな自分の辛さを否定する。

 

 ワシワシやタカタカがどんな陰口をたたかれているのも知っている。それでも私には立ち向かう勇気が湧かなかった。

 母にあった日にみんなに罵倒されて、あまつさえ彼の名誉さえも傷つけられてしまった。

 みんなが傷つけられている時に何もできなかった私の弱さに反吐が出る。

 

 

「そんなこともどうでもいい…」


 自分の弱さも否定をする。

 

 

 優勝せよと掛けられた重圧。初レースに相手はあのクラモト…。

 怪我の後遺症で上手く動かない体、他のハーピィ達に比べても平均的な体躯。

 タカタカと笑いあって、お嬢が優勝するのは10年後くらいですかね?と笑いあった日々を思い出す。

 勝てるわけがないと何度も考えた。それでも飛び続けて飛べない毎日、不安がないわけがない。

 

「だが、それでもいい…」


 自分の不安も否定をする。

 

 今この心には辛さも、弱さも、不安も何一つ存在しない。

 あの少年が私をいやしてくれた。

 

 あの少年が笑いかけてくれた。それだけで私の心は飛び跳ねる。

 甘えても、怒ってもただ笑って私に微笑んでくれる。それだけでどれほど私の心が救われただろうか。

 

 

 あの少年が怒ってくれた。それだけで私の心はどれだけ熱くなっただろうか。

 私がどれだけいじめられていても、相手がどれだけ強かろうと、彼は私の味方なのだ。どれだけ安心できただろう。

 

 

 あの少年が励ましてくれた。私の言葉が正しいって証明してくれた。

 少年だって怖いのに、私のために全力で応援してくれた。

 私の心はどれだけ晴れただろう?

 

 

<<スタート3分前です!!選手のみなさんは指定した位置から動かないでください!!>>


 会場アナウンスの声が響く。

 

 気負いはない。心は羽根のように軽い。

 ポンコツの体だが負ける気はしない。彼が私の不安をすべて取り払ってくれて、心の中を彼の笑顔で埋め尽くしてくれた。

 顔が自然と綻ぶ。

 

<<スタート30秒前!!>>


 羽根をゆっくり羽ばたかせてスタートに備える。

 心が軽い。錆びついた体に鋼の動力を吹き込んでくれた彼には感謝しかない。

 どこまでも飛んでいけそうな気がする。

 

「会場の奴ら見ておけよ、里に住まう全ハーピィよ…いや…違うな…アル見ていてくれ…私の全部をここで出し切る」


<<スタート3秒前!!3、2、1!!スタートオオォォオオオオ!!!>>



 ドヒュウゥウウウウウ!!!!

 足に力を込めてロケットように空へ飛び出した。

 周りの世界が一瞬で青色に変わる。眼下には他のハーピィの真っ白な翼で埋め尽くされている。

 

 見ていてくれよ、アル!!そして一番にここに戻ってきたらその時は…


「大好きだ…アル…」


 風が軽く頬を撫でる。羽ばたく度にその体は大きく空へ舞い上がる。背中にあたるわずかな日差しが暖かい。なびく白い髪が肩にあたる。


「懐かしい…」

 

 自然と言葉が漏れる。

 この体がこの空を覚えているのだ。この浮遊感を…このスピード感を…この気持ちよさを…まるで、空があたしの帰りを待ち望んでいるようだ。

 見渡せば一面に白い雲と空の水色。この白っぽい水色が懐かしい。

 蒼いなあ…そう思っているときにふとしたことに気づく。


「あたし…地面を見てない…」


 この一週間、飛ぶときは落ちるの恐れて下を見ながら飛行していた。だからスピードも出なかったし、バランスも取りにくかったのだ。たったそれだけの事…。しかし、たったそれだけのことができなかった。それをアルがしてくれたと思うと心が温かくなる。


「アル…ありがとね…」


 翼が風受けない様にギリギリまで確度を寝かせる。ブレーキを掛けない様に両足をぴっちりと閉じる。今まで忘れていたことが頭の中に次々と浮かびそのたびに体はスピードと高度を上げていく。

 現在のスピードは間違いなく、怪我前の最高速度に到達している。

 他のハーピィなど山の辺のはるか向こうだ。有象無象など敵ではない。


 しかし、

 ふと横から、体当たりがかまされる。


「おっと~悪いなあ!!ちっこくて見えなくってよ~!!あれ!?腰抜けお嬢様じゃないか?」


 クラモトだ。こんな時にまであたしの足を引っ張るのか。ここ数か月を思い出す。こいつにされたこと…あたしの旦那のアルを愚弄したこと。


「序盤飛ばして、あの男にいいとこ見せようってか…!?そんなんじゃゴールもできないじゃないか!?」

 

 僅かにあたしの前へで進路を防いでくるクラモト。間違いなく速い、それでいて巧い。的確に逆転のチャンスをつぶしてくる。有象無象などとはレベルが違う相手。


「ほらほら、置いてっちゃうよ~!!」


 あたしを焦らすように、前で蛇行しながら飛行している。現在、怪我前の最高速度も越え始めている…それでもクラモトを追い抜くことはできない。


「じゃあな小娘!!お前は引きこもって、ずっと一人エッチでもしてな!!」


 暴言を投げかけるクラモトはさらにそのスピードを一段階上げる。

 あたしとクラモトの距離は体二つ分ほど開く…それをみてニヤつくクラモト。


 しかし…。肩に思いきり力を込め、翼を大きくひと掻き。

 ただそれだけでその体はクラモトに並ぶ。


「あら?別れの挨拶をしたばかりなのに奇遇ね、また会っちゃったみたい?」

「は?、て…てめえ…」


 怒りに顔を歪めるクラモト。その大きな翼をバサバサと何度も羽ばたかせてスピードをあげようとする。たしかに、ひと掻きごとにクラモトの体は少しずつ前へと出る。

 しかし、あたしのひと掻き…その位置関係はもう一度入れ替わる。


「あれ?クラモトってそんなに遅かったっけ?それじゃまた!」

 

 背中に力を入れ、翼から力を抜く。最高の形を空で作りながら大空を翔る。

 もうクラモトなど敵ではない。あとは気持ちよく空をかけるだけだ…。


▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲


 場所は変わって山の中。僕は檻の中に囚われて、両手両足を縛られていた。近くには少し木が生えていて、見通しが悪く簡単には救出されなさそうな場所だ。

 そして、周りには下卑た笑顔を浮かべるハーピィが二人…クラモトの部下だ。


「おーい、少年お姉さんにも白いのしっかり出してくれよお?」

「テルモト、先に服破るぞ手伝え!!」


 そんなことを言いながら、器用にその足の爪で僕の服を破り始める。

 両手両足が使えない僕にそれを防ぐ術はない。


「ちょ…ちょっと…やめてよ」

 

 いくらそんなことを言っても聞くような奴らではない。

 むしろ嬉々として僕の服を破っている。

 破り終えればテルモトというハーピィはその顔を僕のへそのあたりに近付ける。


「んぬお!?なんて香ばしい臭いなんだ!!早く舐めてえええ!!」

「おいおい、あたしが今下も脱がしてんだからそれまで待ってくれよ、クハハ」


 二人のハーピィは互いに顔を見合わせ笑いあう。

 そうしている間にも、少しずつ僕の服は破られ剥がされていく。残されている衣服も後は少しの布切れと下着だけ。

 二人はもう我慢できないとばかりに僕の体にのしかかる。一人は胸のあたり、もう一人は太ももの上にまたがっている。少しずつ恐怖が僕の心を支配し始めている。


「おい、こいつ震えてるぜ!!」

「なんだ、可愛いじゃねえか!!今からお姉さんが気持ちよくしてやるから」


 その瞬間、すさまじい殺気が降り注ぎ一陣の黒い風が凪ぐ。僕の上にのしかかっている二人は吹き飛ばされ、檻の壁に激突する。


「な…なんだ!?ぐぅ…ぐわぁああ!!」

「く…くぅ…ぎゃあ!!」


 そこにいたのは吸血鬼クロスアルメカ…裸に真っ黒なマントをひらめかせ、仁王立ちだ。

 クロスアルメカさんはハーピィの二人を一瞥する。


「我が寝ている間に何をしている、まさか我の婿に何かしたわけではあるまいな…」


 その問いかけにハーピィの二人はブンブンと首を振るのみ。まさか、ここまで怒るとは思っていなかったのであろう。正座をして姿勢を低くすることしかできない。


「まあ、許してやる…しかし、これは我のものだ…今後二度と手を出さない様に。それに、誰か助けに来るかもしれないからな、お前らは見回りをしてこい」


 その紅い眼をギロリと光らせながら、二人のハーピィに命令を出す。

 その瞬間二人は殺気から解放されたのか、大急ぎで檻から飛び出し空へ飛び出していった。

 すると、クロスアルメカはニッコリと僕に微笑んで…


「よし…やっと二人きりになれたな」


 そう呟いた。

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