第247話 脅しをかける者と臆病で卑しい視線




 いくらケチな小悪党あがりとはいえ、アワバとてメサイヤ一家の一員になってからというもの、己を鍛えてきた。

 小間使いと雑用が主任務である側近ゆえに、実働の仲間達には劣りはしても世間一般でいえば、歴戦の名のある傭兵とも互角にやり合えるだけの能力はある。


 とりわけ彼が得意としたのは、気配を殺して隙を突く技術だった。元々が裏社会でも底辺であった弱者ゆえに、真っ向からよりも相手の隙を突く力を磨くことは、その性分に合っていた。




「……」

 シャルーアは素直に黙り、じっとしたまま。それを受けて、ヨシと小さく呟くと、アワバはシャルーアを静かに地面に押し倒した。


 その際の相手と自分の身の動かし方は実に見事で、相当な手練れでもない限り対応できないほど少ない隙でもって、かつ最小限の労力でシャルーアの拘束体制を完成させた。


「いいか……アンタが親分の元親分だろーがなんだろーが関係ねぇ……親分の生きがいを奪うなんざ、許せねぇ……。たとえ親分が許しても、アッシが許さない、決してな」

 そう言って、アワバはシャルーアの顔の横に短剣を突き立てた。ピッと頬に微かなすり傷が走り、髪の毛の数本が切断される。

 だがシャルーアは、それに怯えることもなく真っすぐに自分を見るアワバと目線を合わせたまま、見返していた。


「………それでも、メサイヤに彼を殺させるわけにはいきません」

「っ!」

 脅しには屈しないと―――まだガキの割にはいい根性していると、アワバは軽く感心する。

 同時に、親分が苦悩するわけだと何となく得心した。この小娘には、言い知れない存在感がある。それは自分の憧れであるメサイヤとはまったくの異質の、それでいてより大きな何かだ。


 こんな人物が元雇用主であるならば、アワバとて解雇された後も忠誠心を抱いてしまうだろう。いや、他の誰であってもそうに違いない。

 だがメサイヤは、その忠義を捧げた相手のためにと思って鋭い殺意を研ぎ続けてきたのに、その本人から “ それはダメ ” と制止の言葉を受けた。


 それは生きる意味や価値、意義というものを否定されたも同じだ。メサイヤの心の苦しみがいかほどか……アワバには痛いほど理解できた。



「そうかい……なら、その身体に分らせるしかねぇようだな」




  ・


  ・


  ・



――――――2時間後。


 パチパチ……パチンッ……


 焚火にくべられている薪の1本が、軽くぜる。

 この砂漠と荒地の多い地域において、薪はそこそこ貴重ではあるが、まったくないわけではない。


 ガサガサ……バサ……


「シャルーアさん、交代の時間です。続きは私が番をしますので、どうぞお休みください」

「はい、ありがとうございます。エッケリフさん」

 町長補佐のエッケリフ。

 ファーベイナの町の治政の一翼を担っていて、ちょっと食生活が心配になる痩せ長な身体の真面目そうな男性だ。


「……? 何かありましたか?」

 シャルーアが座っている足元あたりの地面の砂が、何やら乱れているように見えたエッケリフ。しかしシャルーアは笑顔で……


「いえ、特に何かは……夜番はさすがに退屈でしたので、つい無意識に」

 そう言いながら両足で地面をかき回すような仕草をする。


「はは、確かに。しかも一人での夜番はなかなか暇も潰せませんからね。ご苦労さまでした」

 エッケリフと夜番を交代したシャルーアは、何事もなかったようにテントへと入っていった。



 しかし……1人、見ていた者がいた。


『……―――ゴクッ』







――――――2時間ほど前。シャルーアが前の夜番のジャーラバと交代してまださほど時間が経っていない時。


「ぅうむ……目が覚めてしまったわい……エッケリフはよくこのような野宿で眠れるもんだのう」

 テントは3つ。

 シャルーアが1人で1つ、リュッグとジャーラバとヤンゼビックで1つ、そしてエッケリフとファーベイナ町長ことダレコヴィッテで1つ、という分かれ方をしていた。


「仕方ない……少々夜風にでも当たって―――……!?」

 ほんの1、2cm、テントの入り口の幕をズラしたところでダレコヴィッテの全身が固まった。

 夜番をしていたシャルーアに背後から、その豊かな胸元へと短剣を突きつけ、口を塞いでいる男がいるのが見えたからだ。


「(な、なあななななな!!!?)」

 本当なら、ここで大きな声をあげ、エッケリフや他のテントの者たちを起こすべきだ。しかしダレコヴィッテは極度に小心者だった。


 明らかに緊急事態だというのに、声をあげるのが怖い。助けようと動くのが怖い。


 そのうち、下手に声を出したり動いたりしたら余計にシャルーアちゃんの命が危なくなるかも、などともっともらしい言い訳を考えついては不甲斐ない自分を正当化する始末。




『………それでも、メサイヤに彼を殺させるわけにはいきません』

『っ! そうかい……なら、その身体に分らせるしかねぇようだな』



 そして、ダレコヴィッテは両目をギンギラギンにして、テントの隙間からそれを余すことなく自分の目に焼き付けた。


 ――――――シャルーアがアワバによって乱暴される、その始終の全てを。


 あまつさえアワバが夜の闇に消えた後も、テントから飛び出して彼女を介抱しようとすらしなかった。



 自分で身だしなみを整えなおし、何事もなかったかのように夜番を続ける気丈な姿さえも目にしていながら、小心者の町長の心に沸いていたのは大人としての庇護すべき責任感や何もできなかった自分への罪悪感ではなく、強い情欲であった。




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