△閑話 赤い悪魔




 それは、ムーがグラヴァースの嫁になる事が決まってから、結婚式まであと1週間という頃のことだった。




「ふぁ~、……やっぱり朝早い番は辛いなぁ。やっぱ昼まで寝ていられる午後から番が一番だな、早く次のローテに変わらないかな~」

 エル・ゲジャレーヴァ宮殿勤めの下っ端兵士であるアルモスは、大あくびをかきながら廊下を歩いていた。


「よー、アルモス。これから仕事か? 朝早いと起きるの大変だな、頑張れよ」

「そっちこそ夜番お疲れ、ロッコ。まぁ明後日までの辛抱だね、次は昼番になるし」

「そうすっと、今度は俺は朝番かー……あー、やだやだ。ホント夜通しと早朝の番はキツいよなー」

 廊下ですれ違いかけた同僚と、兵士あるあるな時間勤務ローテーションで愚痴を言い合う。


 とはいえ、今の職場が気に入らないわけじゃない。兵士という手前、危険も覚悟しなければならないが、それでもこのグラヴァース将軍直下なので、同僚の数は多く、それだけ危険度も分散していて、割と安穏としている。


 何より宮殿詰めだ。外に出て魔物の討伐に向かったりする事が少ない部署だけに、むしろ勤務が辛い時間帯のことを除けば、彼らに不満は何もなかった。



「じゃ、ワリィけど俺はこれから眠らせてもらうわ。仕事頑張れよー」

「ああ、お疲れー。ゆっくりしろなー」

 お互い下っ端とはいえ、新兵の域は2年前に卒業した。若手ではあるがこの勤務にも慣れてきて要領も良くなっている。


 苦労は少なく、充実した職場での日々。



 そんな悪くない気分を覚えながら仕事に向けて気合いを入れ直すアルモス。

 その視界の外で柱の影を、赤い何かが走り抜けていった。





  ・


  ・


  ・


 次の日。


「ふぁ~……、ぁっと。さーて、今日も朝早くから頑張りますかー」

 アルモスが思いっきり背伸びをしながら槍を軽くクルクル回し、持ち手の感触を遊び半分に確認しつつ、昨日と同じ廊下を歩く。


 すると、向こうから昨日も見た人影が歩いてくるのが見えた。


「お? よう、ロッコ。奇遇だなー、昨日と同じ時間にぶつか――……ロッコ、お前どうしたんだ!?」

 昨日と同じ同僚との遭遇。だが昨日と違い、ロッコはやたらとやつれていた。


「……へへ、よ、ようアルモス。……なぁに、ちょっとばかし……疲れちまっただけさぁ……へへ、へ……」

「いやいやいや、疲れちまったどころじゃないだろ!? 何があったんだ? まさか夜、賊が……いや、魔物が出たとかか!?」

 宮殿の守りが彼らの仕事だ。侵入者と戦闘があったのならその疲労具合も頷ける。


「……魔物、か……へへ、ある意味ありゃあ、魔物と言えるかもしんねぇな……。なぁアルモス、お前はあのウワサ知ってるか?」

「ウワサ?」

「赤い悪魔が出るってヤツ」

「ああ、それか。あれだろ? 兵の数人がその悪魔に生気を吸われたとかっていう……。でもズル休みする言い訳が真相なんだろう? それがどうかしたのか??」

 するとロッコは、力なく頭を左右に振った。


「……本当だったのさ、赤い悪魔は……いたんだ」

「な、なんだって!? そんな魔物がこの宮殿内に!? 大変だ、すぐ上に報告しなきゃ―――」

 しかしそんなアルモスを、ロッコが止める。


「待て、別にヤバイ魔物じゃない。それに魔物ってのはモノの例えだよ、慌てんなって」

「だが、そのやつれようは……―――その赤い悪魔ってのは一体?」

 聞かれたロッコは、フッと意味深にカッコつけて笑う。

 そしてただ一言だけ呟いた。



「そのうち分かる……最初は天国。やがて地獄……けどトータルで言えば極楽……かな……ハハハ」

 そう言い残してロッコは、フラフラと歩いていってしまった。


「……な、なんなんだ、一体??」






――――――次の日の夜。


「明日から昼番。しばらく昼まで思いっきり寝ていられるぞ、へへへ」

 明日からローテーションが変わり、アルモスはホクホク笑顔で床につく。枕元には3本の安酒の瓶があり、2本開けたところでいい感じの酔いのまま就寝する。


 ……しかし、そんな気分のいいアルモスを、足元から何かが覆ってくるような感触が這い上がって来た。


「!?」

 驚いて掛け布をめくる―――と、そこには赤褐色の、遠目に見たことのある女性がいた。


「お? やっほー、こんばんわー。気付くの早かったねーキミ」

「なななな!? む、むむ、ムー様!???」

「ノンノンノン。私は妹のナーちゃんでーす、よろしくぅ~♪」

 よろしくではない。

 どちらにしろ、最上司のお嫁さんの妹様だ。一番下っ端な兵士が気楽に接する事のできる相手じゃない。


 アルモスは慌てて床から飛び出そうとした。が、全身でガッチリと抱き抑えられてしまう。


「(!? う、動けない!?? なんで!!?)」

 明らかに細い……中学生レベルの女子の体躯。なのに下っ端とはいえ兵として日々鍛えているはずの自分が力で負ける? そんなバカなとアルモスは困惑する。


「ふふーん、ちょっとしたコツがあってねー。ま、それはともかく……私とお姉ちゃんってば双子だからさー、お姉ちゃんがハッスルしてると、私もなんかこう、モヤってしてくるんだよね~。だ・か・ら~……ジュルリ♪」

 言ってもその出自はアサマラ共和国の姫。赤褐色の肌は美しく、顔立ちも良い。舌舐めずりする表情には、非道なる王家の、獲物を捕食せんとするギラつきが垣間見える。



「あの、ちょっと……その、い、いけません、その、あ、あ……アッーーー!!!」







 翌昼。


 一番人気のある午後からの番は、昼まで睡眠をとるので皆元気だ。しかし……


「お、おいどうしたアルモス??」

「だ、大丈夫か!? 10年くらい年取ったみたいな顔してるぞお前!?」

「だ、大丈夫大丈夫……はは、はははは……は……」

 同じ昼番の、元気はつらつな同僚らが、一人だけ疲労限界のその先の領域に達してるかのようなアルモスを心配する。


 だが、さすがに彼は言えなかった。


 グラヴァース様の奥さんになる女性の双子の妹様に、昨日の宵からついさっきまで搾り取られていた、などとは。


「(赤い……悪魔……)」

 目を閉じても開いても、ナーの女性的な夜の魅力ある姿しか見えない。

 思い返すは快楽の限り―――だが、身体はもう何ら反応しない。



 精気を吸いつくされた気分というものを、初めて味わったアルモスは、同僚にその体験を語ることなく、白目をむいてその場に倒れ、医務室へと運ばれてしまった。




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