第88話 嫋やかなる先輩のコーチング




――――――ヴァヴロナ国、北方都市シェスキヒルの高級宿。




「改めてお礼申し上げます、シャイト=タムル=パルミュラと申します。助けていただき、誠にありがとうございます」

 息子の危機を助けてもらったとあってか、丁寧に礼を述べるシャイト。パルミュラの家名にアンネスは覚えがあった。


「まぁ~、パルミュラと言えばヴァヴロナでも有数の公爵家では~? どうぞお顔を御上げくださいまし~」

「いえいえ、同じパルミュラの名でも私達は傍流ですから……あ、これは失礼いたしました、レシュティエラ=タムル=パルミュラと申します。以後お見知りおきを、アンネス様」

 傍流―――しかしアンネスは理解している。


 その国において特に著名なる家名に連なった縁者の場合、本当に・・・傍流であるなら、異なる家名を名乗らなくてはならない。

 著名であるだけに、傍流の者が本家と同じ家名を名乗るのは、何かと問題が生じるからだ。


 しかし傍流でも同じ家名を名乗るケースがある。本家後継者の弟妹きょうだいや当代当主の子供など、いわゆる直近の血族者である場合だ。



「(つまり、傍流といっても本家に限りなく近い傍流……所作やお話の仕方から考えましてぇ……奥様の方がパルミュラ家御息女なのでしょうね~)」

 明らかにシャイトは婿養子といった感じだ。しかしレシュティエラも、貴族淑女としてはかなり青い・・雰囲気がある。

 おそらく大貴族の令嬢なだけに、寵愛されて育ってきたのだろう。子供を産んでいる女性としては、まだまだ大人の淑女らしくない幼さが感じられた。



 シャラン……


「!」「!」

 二人は驚く。


 その優雅さたるや、何やら音まで聞こえたようにさえ思えた。


 ……アンネスは名乗り返すため、ただ自分のスカートの裾を持ち上げて返礼のための、ごく短い所作を取っただけ。


 しかし、それだけで二人には足りない本物の気品が室内を支配する。


 いかに自分達がまだその域に達していないといえど、彼らも貴族に生れ、貴族として教育され、貴族として生きてきた者――――――高級宿の一角の、しかない部屋の空気が、気配が、雰囲気が、まるで社交界の夜会の如き高貴さに覆われたことを肌で感じた。


「ターリクィン皇国はローディクス相談役夫人、アンネス=リンド=ローディクスでございます~……以後、お見知りおきを~」

 間延びした口調が、滑らかな極上のクリームを塗られるかのように肌と耳で感じられる。

 女性の色気が乗ったその妖艶さは、異性を誘うものではない。


 一国の大役を務める夫の家名に泥を塗らないため。

 またその妻として己は優れた女であると誇示して自分を妻とした夫の、女を見る目に間違いがないことを証明。

 それでいて自身もまた、夫を愛する者としての自信を示し……



 わずか10秒にも満たない間に述べられた口上と一連の所作は、そこに込められている大量の意を二人に汲み取らせ、格の違いを一瞬で悟らせた。



 ……別になっていない・・・・・・若い二人への嫌味のつもりはない。


 むしろアンネスにとって、この二人はとても好感が持てる夫婦だ。


 しかし相手がハイレベルな家柄の貴族であると名乗られた以上、こちらも名乗り返さなければならない。その際に夫がわずかでも侮られるような事があってはならないのだ。


 自分の夫が優れた貴族であるということを、言葉ではなく自らの対人所作の全てにおいて体現しなければならない。それが貴族の妻たる者に求められるモノ――――すなわちアンネスは、何一つ特別なことはしていない。


 コレがローディクス卿の愛する妻として、あるべき当たり前なのである。




  ・


  ・


  ・


 お忍び旅行ではあったが、友邦国の公爵家ともなれば話は違う。また、位の高さでいえば互いの家格は同等だ。

 厳密にいえば当主の妻であるアンネスの方がやや上かもしれないが、そこは国による爵位の捉え方に微妙な違いがあるのでハッキリとした上下の区別はつけがたい。


 それでも若い貴族夫婦にとっては、アンネスを貴族の先輩と呼べるほど両者の差は大きく、それがこの奇妙な状況へと繋がっていた。



「……ええ、そこで力を抜いてください~、シャイ様。ずっと気張りたくなってしまうお気持ちはよく分かります~、ですがタイミングよく脱力することで、逆に余裕ある男性を醸し出すことが出来るのですよ~。レシュティさんはぁ、上手く歩調を合わせて差し上げてくださいねぇ」

「は、はい……ふぅ~……はぁ~、よ、よし」

「こんな感じ……かしら? ええっと……」

 貴族作法のちょっとしたコツを教授―――アンネス自身も、なんでこんな事になったのか、不思議でたまらない。


「(これも何かのご縁でしょうからぁ。大事にして損はないですよね~?)」

 本来、貴族なら誰かに借りを作るというのは眉をひそめる行為。だが二人はとても素直な性格で、いい意味で実直だ。アンネスに教えを願い出る時も、何ら貴族の貸し借りといった面倒を感じさせなかった。

 何かを隠したり、腹の中で企んだりするような類の人間ではない二人に、彼女もつい面倒見がよくなってしまう。


 それでもまさかアサマラの兵産院で絶望の日々を送っていた自分が、一国の大権力者の妻となり、他の貴族に貴族作法の何たるかを教える日が来るとは……


「クスッ」

「? どうかしましたかアンネス様? どこか間違えていましたでしょうか??」

「いえいえ~、間違えてはいませんよ~。ですが……そうですねぇ、少しばかり足元に意識が向きすぎているようですから、目線はなるべく上げるようにした方がよろしいかもしれません~」


 人生とは本当に分からないものだ。


 ……いや、あるいは救われ恵まれたからこそ、今度は他者に教えを施すという形で、自分への使命として回ってきたのかもしれないと、アンネスは感慨深いものを感じながら、微笑みをたたえていた。





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