第87話 分をわきまえる者ども
―― やあ旅の人、一ついかがかな?
―― そこ行くあんつぁん、いいものあるよ。寄ってってよ。
―― あーら素敵なおにいさん、ちょっと遊んでかなぁい?
「………」
シオニュークにとって町中を歩くというのは、多少の苦痛を感じるもの。といっても我慢できないような事ではない。雑音が耳障り、というだけのことだ。
低俗な者が低俗な言動を取っている―――それはある意味、低俗な彼らの存在に
生物とはかくあるべきであり、己の領分、在り方というものをわきまえるべきこそが真であり重要である、と。
ふと公衆浴場の看板が目に入り、迷わず足を向ける。
「ちょうど良い機会だ、念のため……しかと洗っておくか」
一つの村を消すために、老若男女問わず殺戮し尽くしたのだ。適当に洗い流しただけでは、身体にまだ何か痕跡が残ってないとも限らない。
配下のンニァーハに事後処理を命じてきたものの、シオニュークにもやるべき事はまだまだ山とある。
どこかで不審に思われないよう、一切の痕跡は綺麗さっぱり消してしまわねばならなかった。
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公衆浴場のある町は少ない。
潤沢な水を必要とする大浴場を整備できる場所は、砂漠や荒野の多い地域においては相当に限られ、貴重だ。
ザバ~ァ……
「(ふー……、これでとりあえずは全て流せたか……?)」
2mを超す巨体は、鍛え抜かれていて一切の無駄がない。
褐色肌―――というよりは野生味ある獣の肌を思わせるような濃い茶色。
本人にとっては自然体のつもりでも、言い知れぬ迫力を周囲に
「おー、すげぇ身体してんなぁにいちゃん。傭兵か何かかい?」
この手の施設にはどこにでもいる、見ず知らずの相手にも物怖じせずに話しかけてくる中年男性。
シオニュークは彼を
「ええ、まぁ……そんなところです」
穏やかながらギラリと目を光らせる。
それは警戒や威圧のためではない。そういう世界で生きている者を装う
「ほほぉ、相当に危ねぇ戦いを潜り抜けてるようだ……目が違うねぇ」
「どうも」
こういう他人に物怖じしない人間とは、存外観察力に長けていたりする。まさか見破られまいと思いつつも、油断はできない。
都合のいい勘違いをしてもらうのが一番、それを前提にして適当に会話を合わせていれば一番楽に誤魔化せるのだと、シオニュークは長年の経験から
「(さて、我はしかと溶けこめているが……他の者は上手くやれているか?)」
仲間たちが問題なく動けているのかどうか、この休息時でさえも考えずにはいられない。その理由は、やはり先だって感じたあの不快な波動にあった。
「(あの時は場の輪を乱すべきでないと思い、なだめたが……)」
(※「第31話 警戒する暗衣」参照)
服を着て、長年使っている黄色じみた暗いローブを羽織ると、物思いにふけながら公衆浴場を後にするシオニューク。
恐らく、彼を怪しむ者はこの世にはいないだろう。あるいは仲間達の間でも、一番うまくやれているのではないかと思うほど自信があった。
――――――しかし、そんな彼を捉えている者はいる。
「(……動きからして、
いつもの
「(そういえば今日の買い出しは?)」
「(もう終えているよ。もっとも、サファ様の一声でまた走る事になるだろう)」
「(はは、違いない。まぁそのくらい、たいして苦労でもないだろ)」
気楽にしながらも、きちんと仕事の事を話し合っている。主の奇行の意味など考えるだけ無駄なので、自分達の領分をしっかりと果たそうという姿勢には大変好感が持てた。
「(……。やっぱり、イザって時を考えると、こいつらにもいい武器持たせとくべきかしら?)」
別にケチっているわけではないが、今の暮らしの中でそこまで危険なことはない。なので取り巻き達に持たせている武装は、広く普及しているモノよりかはやや良さげ程度にとどまっていた。
もちろん彼らの仕事には護衛も込みだ―――ムシュサファにとっては下僕に過ぎない男達だが、同時に自分の所有物でもある。
一番が自分の命なのは言うまでもないにしろ、彼らとて簡単に散らせたくはない。
しかしその点について、ムシュサファは少し困っていた。
「(武器とか防具とかって、いまいち何がいいんだか全然わかんないのよね)」
なので最初に取り巻きたちの装備を揃えさせた時は、業者に大金渡して向こう任せにしたのだが、結果として選ばれた武具がいいんだか悪いんだか、ムシュサファにはまるで分らなかった。
お嬢様育ちゆえ、調度品や工芸、嗜好品や美術品などの良し悪しは判別できても、武器とか鎧とか、武骨な世界にはまったく興味がないので、どれも大差ないように見えるのだ。
「(けど “ 連中 ” 相手じゃ適当っていうわけにもねー……金たたきつければいいものは手に入るんでしょーけど、それで大丈夫なのかしら??)」
そういうのに疎いムシュサファでも、武具なら何でもいいわけじゃないのは何となくだがわかる。
幼いころ、教養の一環として少しばかり剣や槍を持たせられたことがあったが、自分的には剣よりも槍の方が持ちやすかった事を、彼女は思い返していた。
人によって扱いやすいものと扱いにくいものがあるのだと、幼い頃に漠然と理解したことが彼女の根底にあり、それが取り巻きたちに与える装備品で悩む原因でもあった。
「……自分にとっての最高の武器だなんて、世の中の
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「? ……ぶぇっくしょぉん!! むう、誰か噂しとるか? もしやシャルーアちゃんかの? いやーモテる男はつらいわい、フォッフォッフォッ♪」
盛大なクシャミで一度止めた手をマルサマは再び動かし始める。
熱く焼けた金属を叩く音が、アイアオネの町にこだましていた。
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