第79話 少女は欲望を抱きしめる



 これからもクァッブの店で働くことになった男たち―――彼らは、このジューバの町では珍しい、路地裏の住人だった。



 他の大き目の町のそういったところに比べれば遥かに小規模かつ平和で、彼らも普段は犯罪行為ではなく、ちゃんとした日雇い仕事で小銭を稼いでいる。

 犯罪者やゴロツキには一歩及ばないが、それでも比較的ガラの悪い者達であり、町の住人はもとより、旅人らも近づかない連中だった。




 そんな彼らに驚くべき転機が訪れたのが昨晩のこと。


 怖れる事もなく堂々と暗がりの路地裏に入ってきた一人の美少女。男達は、このところ日雇いですら仕事が少なくなり、収入が減って安酒もままならなくなっていたイライラから、少女に絡み、押し倒し、襲った。


 久しぶりの色に手加減を忘れた彼らだったが驚くことに、30分としないうちに男達と少女の立場は逆転する。



『も、もう無理だって!』

『や、やめてくれ、オレらが悪かったから!』

『何ならこれから出頭して自首したっていいから!!』


 大の男が泣き言を言いながらか弱いはずの少女に許しを乞う。そんな光景がありえるだろうか?

 しかしそれは実際に起っていた。


 色を求めた自分達が悪いのは百も承知だが、それに応じた少女は、彼らの悪欲を満たしてなお止まらなかった―――食欲に置き換えるだけでは解消しきれなかったものが少女に火をつけ、そして炎となって複数の男達を相手に、なお不足と言わんばかりに激しく燃え盛る。


 だが不思議なことが起こった。少女のパッションが汗となって辺りに振りまかれる中、一人の男が口にした泣き言がガラリと風向きを変える。



『し、仕事がなくってイライラしてたんだ! お嬢ちゃんに手ぇ出したのもついその勢いで……すまねぇ、悪かったから、この通りだからもう勘弁してくれっ』


 ピタリ。 


 少女が、何か大いなる権化へと変貌でもしでかしそうな幻覚すら見えはじめた男達。彼らの反省の意が通じたのか、その小さくも美しく偉大な存在は急に動きを止めた。


 路地裏に大通りからの光がうっすらとさす――――――照らし出されるのは、まるで神に許しを乞うかのような、土下座を通り越して祈りにも似た態勢になっている男達を見やる少女の、いつも通りの無感情めいた表情だった。



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 クァッブの店の大繁盛を見届けた昼過ぎ、シャルーアが別れの挨拶を述べて深々とお辞儀すると、男達は軍の精兵もビックリな揃った動きで最大限の敬礼ポーズで応え、彼女の帰りを見送る。


 彼らの表情は、別れを惜しむというよりも敬虔な信徒が神様の像を拝謁して、緊張感と最大限の畏敬をもって祈りを捧げんとするかのよう。


 その様子を見ていたクァッブは内心ギョッとしつつも、半分くらいはその気持ちは分かると心中で理解を示した。


「(なんか調子がいいもんな。嬢ちゃんのおかげって思うわそりゃあ)」

 実際、店の繁盛だけでなく、クァッブ自身も心身ともになんだか調子がいい。小さな店にこんなにも男の従業員を雇い入れる事になったのも、シャルーアがお願いしてきたからだ。


 そのお願いの代わりに、昨夜は久しく忘れていた男の本懐を果たせたのだが、それからというもの妙に気分がいい。

 何というか、自分が聖人君子にでもなったような気さえしてくるほど、清々しく充実した感覚が全身に、魂に染みわたっているように思えるのだ。


 シャルーアが連れてきた男達もおそらくは同様なのだろう。悪いものがすべてなくなって、善良無垢な純真さすら感じる瞳の輝きを誰もが宿している―――あるいはクァッブの瞳も、他人から見ればそうなっているのかもしれない。


 手を可愛らしく振りながら遠ざかっていく美少女を、男達は生まれ変わった気分でいつまでも見送った。








 ―――昼の時間、まだ陽が高い。


「昼食は何にいたしましょう……」

 そう呟きながらお金の入った袋を開く。中には銀と銅の色の貨幣が数枚ずつしか残っていない。


 昨日の夜、ウェネ・シーと別れたばかりの時は、まだ金の輝きが数枚あった。けれど男達の悩みを知り、お願いにいったお店の事情を知り、シャルーアは自分の手持ちからお金を―――商品の仕入れ代金として拠出した。


 働き手として男達を引き受けてもらおうとお願い・・・し、お店の整理を手伝い、気付けばあけていた夜の先、昼まで仕事を手伝った。

 結果として店は大繁盛。シャルーア自身はお金に頓着がないので、クァッブからお礼を貰う事はしなかった。


 しかし、改めて今の懐事情を理解すると、少しばかりは素直に受け取っておけば良かったかもしれないと考える。


「……このお金で何が買えるでしょうか?」

 大通りに出たところで周囲を見回し、手持ちで食事が出来るお店を探すシャルーア。

 やや乱れを残してはいるものの着付け直したその姿は、昨晩、まさか多数の男達と身を重ねたなどとは到底、誰も思わないだろう。




 ―――昨日の晩の宿への帰り道。別にシャルーアは、迷って路地に入ったわけではない。

 見えた・・・のだ、路地からあの " 黒いモヤ ” が。


 しかしそれは、あのクサ・イルムで見たものとは感じる雰囲気がまるで違っていて、自分だけで何とか出来る類のものだと何故か確信・・した。そして気付けば足を向けていたのだ。


 その時、別にシャルーア自身に暗がりの男達を更生してやろうだとか救ってやろうだとか、かねてからの自分の中の沸き立つ情欲を発散したいだとか思ってたわけではない。

 結果としてそうなっただけであって、シャルーア自身に彼らをどうこうしなければといった目的意識や使命感は、まったくの皆無だった。無我無欲だったと言い換えてもいい。



 だが、男の一人が自分達の事情と謝意を言葉にした瞬間、無にあったものに明かりがともって、シャルーアは何となく導きの線・・・・・を解する。


 彼らから身を離し、その足で路地裏から移動した。自分が今、どんな姿になっているかなんて気にすることもなく。

 最初に見つけた小さな店のスタッフらしき人物―――クァッブを見た瞬間、線が繋がったと感じた。




 ……シャルーアに、人々を救うだとか困ってる人の助けになりたいだとか、明確な意志やポリシーはない。


 彼女には変わらず、世の常識や観念、倫理感といったものが不足している。仮にとんでもない悪人が何かを求めてきたとしても、簡単に応じてしまうだろう。


 けれど彼女は何かを感じている。目見て、肌で感じて、あるいは相手の気持ちや感情すら、無自覚のうちに感じ取っているのかもしれない。

 それを受けて起こるのは、ほんのちょっとの行動する気持ち。その結果がどうなるかなど想像すらしない。


 思いついたらよく考えもせずに行動に移す小さな子供のように、反射的な行為や行動なのだ。

 それが、いつの間にか周囲の人を助ける結果に繋がっているというだけ。

 そしてシャルーアには、そういう結果になったのだという認識すらもない。




「……リュッグさま、今日は帰ってくるでしょうか?」

 今、彼女が考えているのは、手持ちと宿においてあるお金が尽きる前に、リュッグが仕事を終えて帰ってくるかどうか。



 それ次第では食費を切り詰めないといけないかも、という今後の食事への心配―――その一心だけであった。






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