03.白い鉛

 昼食後すぐ村に戻り、ベルと別れて俺と澪緒みおは工房へ向かう。

 柵の前で馬を繋いでいると、俺たちに気づいた工房長エミリアンがすぐさま声をかけてきた。


「おう! やっと来たな!」


 ティコの領主就任後、俺たちの素性をおおよそ打ち明けてからは彼の口調もだいぶ砕けたものになっている。

 視察団のフィクサーが俺だったことも周知となり、今ではほとんどの相談が直接俺へ持ち掛けられるようになっていた。


——ま、澪緒のポンコツぶりには薄々気付かれていたみたいだけどな。


「昼食の途中だったもので、遅くなりました」

「俺たちは別に構わねぇんだが、あんちゃんも心待ちにしてたみてぇだし、なるべく早くと思ってよ」


 工房内には、すでにユユとサトリも先に着いて待っていた。

 そして——。


「あ、ティコも来たんだ」

「随分なご挨拶ですの! 来てはいけなかったですの?」

「いや、そうじゃないけど、ずっと執務で忙しそうだったから……」

「だいぶ落ち着いたので今日は母と補佐官に任せてきましたの」


 任せてきた、とは言っているが、領地運営の実務については素人のティコだ。

 彼女に関してはこの一週間、エリザベートと数人の補佐官から、領主の何たるかについて薫陶くんとうを受けていた、というのが内実のようだ。


「板ガラスの試作品を作るとあっては是非とも見ておかなければなりませんの」

「補佐官の誰かが来てくれるだけでよかったんだけど……」

「板ガラスはティコノミクスの柱の一つですし、領主自ら視察すべき案件ですの! 何か異論がありますの⁉」

「い、いや、現場主義! いい心がけだと思う!」


 それに……と、工房の床でつま先をくりくり回しながらティコが照れくさそうに続ける。


「このところ食事以外でリンタローさんやみなさんとゆっくりお話する時間もありませんでしたし、寂しかったですの。たまには羽を伸ばしたいですの」


 無意識かも知れないが俺だけ別枠にする言い回し。

 加えてティコの照れたような、それでいて熱のこもった視線に見据えられると、こちらにまで熱が流れ込んでくるような気がした。


 このところうやむやになっていたけど、縁談話がなくなったわけじゃない。

 澪緒が聖女になれば俺はその兄という立場だし、ティコはともかく、抜け目のないエリザベートはそういった部分での利用価値まで考えている可能性も十分にある。


——このまま生返事なまへんじでごまかし続けられるかどうか……。


あんちゃん、どうだい出来映えは?」


 エミリアンに声をかけられて一旦思考を横に置き、部屋の中央に据えられた工作物に視線を転じた。

 加熱炉の上に、四角く平べったい純鉄製の器が載っている。

 四方は両腕を広げたくらいの大きさで、深さは五、六センチ。


「上出来です。頼んでおいた金属も?」

「おう! そこの木箱に用意してあるぜ! 金髪姉ちゃんの座ってるやつだ」


 エミリアンの言葉を聞いてユユが慌てて腰を上げる。

 木箱の蓋を開けると、俺と一緒に箱の中を覗きながら、


「お! これって銀? ……じゃないよな」

「うん。元の世界ではかつて〝plumbum candidumプルンバム キャンディドゥム(白い鉛)〟と呼ばれていた金属だ。元素記号Snって言えば分かるか」

「いや分かんねーけど」

「要はすずだよ」

「なら最初から普通にスズって言えよ」


 次に、工房の職人たちにも手伝ってもらいスズの粒を純鉄の角槽にぎっしりと敷き詰めてから火をくべて加熱を開始。数十分後には融解したスズが角槽の中に満べんなく広がていた。


「なんで中の金属は溶けてるのに、入れ物は溶けないの?」


 澪緒が不思議そうに首を傾げる。


「融点——溶ける温度が違うからだよ。鉄は千五百℃以上なのに対してスズは約二百三十℃……金属の融点の違いなんて授業でならっただろ」

「ミオは文系だし!」

「中学の理科に文系関係ねーし……」


 さらに加熱を続け、千℃前後に達してから角槽——〝融解スズ槽〟に融解ガラスをゆっくりと流し入れると、ガラスがスズの上を漂うように広がっていく。


「すっ、すごい! なんで混ざらないの!?」

「比重——簡単に言うと、スズとガラスの重さが違うからさ」

「あれか、水と油が混ざらないみたいなやつか」

「ちょっと違う。あれは重さの違いと言うよりも表面張力の差だ。水の分子間引力ファンデルワールスは水素結合と言って特に強力なんだ」

「あ、あ~……ふぁんでるが表面で水素となんちゃらかんちゃらするやつね……」

「分かんねぇなら黙っとけ」

「文系だし!」

「そう言うけどおまえ、文系の知識だってガラクタだろ」


 ガラスが広がり終わると、今度は火力を弱める。

 六百℃程度まで下げたところで、ほぼ固まったガラスをスズ槽から持ち上げ、焼きなまし炉に運んで徐冷。さらに待つこと数十分……。


 ついに、ニュー板ガラスの完成だ。


「す、すごいですの。この前作ったガラスよりもさらに透き通ってますの」


 ティコに続いて澪緒も、


「向こうのミオんの窓ガラスとほとんど変わらないじゃん!」

「あっちのガラスも製造方法はこれと同じ〝フロート法〟だからな」

「厚みも、すごく薄いですの……」

「表面張力のせいで、厚さはだいたい〇・二イーク(※五~六ミリ)が限界かな」


——さらに薄くするには左右からローラーで引っ張る必要があるんだが……。


 こっちのガラス製造技術を考えれば、そこまでしなくても十分すぎる技術革新であることは、出来上がった板ガラスを眺めるティコや工員たちの表情が物語っている。

 エミリアンが、うっとりとした表情で滑らかなガラスの手触りをしばし堪能したあと、ようやく俺の方に向き直って口を開く。


「すげえよあんちゃん! こりゃ予想以上だ」

「ガラスの表面に付着しているのは白い鉛——俺たちはスズと呼んでますが、それが酸化してできた不純物なので仕上げの段階で取り除いてください」


 元の世界のガラス工場なら、酸化を防ぐために室内を窒素と水素で充満させて高圧にしているのだが、この世界ならそこまでする必要もないだろう。


「よし! フレディ! さっそく製法新案の申請書類を作るぞ!」

「へ、へい!」

「あ、それなんですが……」


 事務所へ向かおうとしたエミリアンとフレディを、俺は一旦引き止めた。


「利用するのはスズとガラスではなく〝金属の融点と比重差〟という感じで範囲を広げておいてください」

「ほう? 他の金属でも同じことができる、ってことかい?」

「比重が大きく結合性があるという点でスズがベストなんですが、ただの鉛や、融点の低い他の金属でも代用は可能なので、念のためです」

「了解だ」

「それともう一つ……」


 ティコの方をちらりと見って、俺は続ける。


「申請者は、ティコレット・ボナリーの名で書類を作ってもらえますか?」

「え? バカレ……し、新領主様の?」


 前回はティコの就任前だったのでエミリアン工房の名で申請したが、今は状況が違う。製法は工房に無償提供するにしても、権利は領主が所有している方が安全だ。

 もちろんそれは、サノワ領主としてのティコの差配を信じているからこその話なのだが、それを説明するまでもなく、


「分かった。そもそもこれは領主様とあんたらが無償で提供してくれた話だ。考えてみりゃあそうするのが当然だろう」


 と、エミリアンも快諾してくれた。さらに、


あんちゃんたち、今、村の西に公衆浴場を作ってんだろ? 板ガラスが必要なときはいつでも言ってくれ。俺たちが何枚でも融通してやっからよ!」




 一ヵ月後——。


〝ティコグラス〟と名づけられた板ガラスをふんだんに使った、公衆浴場の初号館が完成した。

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