Final【マクシム】根回し

「くそっ……くそっ、くそっ!」


 プラスロー村を後にして、もう何度目の悪罵あくばだろうか。

 繰り言とともに客室キャビンの壁に拳をぶつけると、


「マクシム様……あまり大きな音を上げられると、また、御者が何事かと様子を見にきてしまいますよ」


 対面に座っていた従僕のシモンが困ったように声を掛けてきた。

 実家のロンズデール家からエスコフィエ家に共に雇い入れられ、以来三十年近く専属の補佐として私に付き従ってきた、いわば腹心とも呼べる男だ。


「黙れっ! そもそも貴様がエリザベート様を寵愛部屋ちかしつに——」


 連れてきたせいで、と言いかけて言葉を呑み込む。

 側妻とはいえ、仮にも先代エディ様の令室であり、れっきとした貴族の出でもあるエリザベート様の命令を謝絶することなど、平民のシモンにできようはずがない。

 応対したのが私であったとしても、それは変わらなかっただろう。


 こうなったのは、ティコレットが早々にサノワ地方の委領を受諾しようと覚悟していたことを見抜けなかった我が落ち度だ。


「しかし、マクシム様……」


 シモンが訝しげな表情で問いかけてくる。


「シリル様はティコレット様に、ヴィリヨンの返還を諦めてサノワ地方の委領を受諾するよう求めていたのですよね? 今の状況はその目論見通りに運んだだけでは?」

「シリル様の思惑はそれだけではない。領民の反感を高め、サノワ委領後の領地経営が頓挫するよう準備しておくのが、私の役割だったのだ」

「それは聞いておりますが……しかし、そこまで念を押されなくても、ただでさえサノワは税収より領租の方が多い赤字領地。そんな辺境の地を単独で切り盛りしようとしても、とても上手くいくとは……」

「私もそう思っていたよ、数日前まではな」


 しかし、ベルから聖女候補の一行が考案したという板ガラスの製法の報告を受けて考えが一変した。

 あの斬新な発想—―あれだけでもあのままギルドに持ち込まれていたら、あの辺境村にとっては財政が一変するほどの利益をもたらしたはずだ。


 その後も、黄泉の谷を調査したり、昨日は緊急に馬車を借りてエグジュペリへ出かけたり、コソコソと何かを企てている気配がある。

 あの板ガラスレベルのアイデアを他にも出されるようなら、あの寒村が一気に潤うことだってあり得るのだ。


「シモン、おまえには話していなかったが、シリル様の狙いは赤字領地をティコレット様に押し付けることだけではなかったのだよ」

「……と、いいますと?」

「あわよくば暗君の愚政に苦しむ領民たちが、隣国シュルトワ公国に保護を申し出ることまで計画していたのだ」

「いくらなんでも、そんなことが確実に起こるとは……」

「もちろん根回しはしてある。領民たちの不満が限界に達したところで隣国を根城にしている私掠団しりゃくだんを引き入れ、領民たちに味方させてプラスローを収奪させる算段だったのだ」

「そんなことになればティコレット様は責任を取らされて——」

「領主が変わった途端の不祥事だからな。しかも先代が一度やらかしている没落貴族だ。おそらく今回は爵位剥奪、下手をすれば国外追放もあったであろう」

「アミラ様の積怨せきえんは、そこまで……」


 そこまで事を運べていれば、シリル様の母君——アミラ様の溜飲は完全に下がっていたに違いない。


 もっとも、シリル様にはアミラ様ほどの私怨はないと私は見ている。

 ヴィリヨンは、今やエスコフィエ家の財政を考えればなくてはならない領地だ。そこを返還せずに済むならそれだけでも御の字という腹積もりだったようだ。

 私も定期連絡で〝準備は順調にはかどっている〟と報告してきたし、だからこそシリル様も、ティコレット様のサノワ委領に二つ返事で判を押してしまったのだろう。


 だが——。


「だが、国外追放どころか、委領した途端に財政が健全化し、プラスロー村も殷賑いんしん(※にぎわうこと)を極めるようなことにでもなったら、どうだ?」

「それは……私どもがお叱りを受けることに……」

「お叱りで済むか! 我々の方がいとまを出されるわ! しかもエスコフィエ家から不興を買ったとなれば、貴族社会からも実質的に永久追放だ」

「し、しかし、あの辺鄙へんぴな村が急に栄えるなど、私にはやはり信じられません……」

「私もそう思いたいが、これまで態度を保留していたティコレット様が、ああもあっさりサノワ委領を受け入れたのだぞ? あの聖女候補の一行に、まだ何か入れ知恵をされていることは想像に難くない」


 さらに、これはシリル様にも秘密にしていたことだが、私にはもう一つのくわだてがあった。

 ティコレット様のような世間知らずの貴族令嬢が爵位を剝奪されれば、患っている母親を抱えてまともに平民暮らしなどできるわけがないのだ。早晩、路頭に迷うことは目に見えている。


 そこへ私が手を差し伸べ、実家であるロンズデール家の伝手つてを使って援助を申し出れば、どうなる?

 母娘ともども保護することを引き換えにすれば、どんな条件でも呑ませられるだろう。そう、幼き頃より想い続けたティコレット様との婚姻も、夜のしとねであの美しい母娘の身体に欲望のたけをぶつけることも思いのままなのだ。


 もう少しで……もう少しで、それが叶うはずだったのに!


「くそっ!」


 歯噛みしながら、再びキャビンの壁に激しく拳を打ちつける。


「このままでは終われん……」

「ま、マクシム様?」

「間違ってもサノワの経営が軌道にのるようなことがあってはならん。そうなれば我々とて破滅だ」

「でも、こうなってはもう、彼の地の差配に口を出すことは……」

「エグジュペリに着いたら、アングヒルには戻らずこのままこの地で根回しを続けると、シリル様に信書を出すのだ」

「それは構いませんが……それで私たちは、どこへ?」

「私掠団の根城へ向かう。直接かしらに会って計画を練り直す。こうなったら下手な工作は止めて実力行使に切り替えた方がよいかもしれん」

「そんなことをすればシュルトワ公国と戦争にもなりかね——」


 心配そうに呟くシモンの言葉を、私は右手でさえぎった。


「大丈夫だ。そうならないように、正規軍ではなく私掠団を利用するのだ。これはシリル様も、シュルトワ公国のギスラン・ティル男爵も承知のこと」

「分かりました。私はマクシム様のお供をするまでです。……そう言えば、あの辺りを縄張りにしていた私掠団は、風変わりな名前でしたね」

「うむ。最近かしらが変わったので、その名前を取って〝カブラギ団〟に変えたらしい。頭の名前は……確か〝マサト・カブラギ〟だったか?」

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