04.キュバトスの最期

 やがて——、


「くっくっくっ」


 ユトリの肩が小刻みに揺れる始める。


この小娘・・・・の思考を模倣しておまえたちを庇護下に置いたが……素直に始末しておくべきだったな」

「ゆ、ユトリ……おまえ、関西弁じゃなくなってるぞ!?」

「口調のことか? もう演技する必要もないからな。まさかおまえたちがあだになるとは……。そう、われがキュバトスだ」

「なぜ俺たちなんかを拾って連れ帰ったんだ? 本当に、討伐日を遅らせるためだけだったのか?」

「それもあるが、別に昨日だって我は見つからない自信があったし、それは大した理由ではない」

「じゃあ、どうして——」

「我がこの小娘に憑いてることを悟らせないためには、この小娘になりきる必要があるだろう? こいつだったらそうするだろう、という行動をとったまで」


 もっとも、と一拍置いて、さらにユトリ……いや、キュバトスが続ける。


「そこは小娘にとっても紙一重の選択。あのままそのティスバルとやらに処分させていたパターンでも不自然ではなかったし、実際、そうすべきだったな」


 ボードレールの卓見によれば〝悪魔の最も見事な狡猾さは悪魔がいないと信じ込ませること〟らしい。

 もちろん、人の悪意に対する暗喩メタファーだが、この世界には言葉通りの対象が厳然と存在することを、悪魔のように歪んだユトリの表情を見て痛感する。


「よくやった、ハバキ殿」


 ティスバルが、ロングソードを構えてグイッとユトリへにじり寄る。


「別に、あんたのために働いたわけじゃねぇ」

「結果オーライだ。あとは私が、こやつを始末する」

「だ、だめだ! あんたじゃほんとにユトリを——」


 殺しちまう!

 ……そう繋ごうとした俺の言葉は、キュバトスにさえぎられる。


「そこから動くな!」


 ユトリの声で恫喝しながら、長机の向こう側へ回り込むキュバトス。


「ガキどもの種子は我の意思で自由にできるのだぞ?」

「取り引きか? 種子を処分するから見逃せ……とでも?」

「馬鹿め……逆だ。種子を使ってガキどもの脳をドロドロにただれさせることも可能だというこだ。おまえをった後でそうすればうまく偽装できたのだが、こうなれば止むを得ない。ガキどもは我が逃げるための人質だな」


 そうか……。

 そうすれば、表向きはキュバトスの宿主であるティスバルが殺されたことで、子供たちの種子も消滅したように見えたはずだ。

 この魔物の生態には謎も多いようだし、本体をほふったにも関わらず子供たちが死んだことについては、あとから何とでも理由は付けられただろう。

 ユトリの中で生き残ったキュバトスは、ほとぼりが冷めたころに再び同じことを繰り返す算段だったというわけだ。


——とんだ通常ダークルートだぜ!


 さらに半歩、ティスバルが前へ出ながら、


「いくら自分の意思で種子を処分できるといっても、またたく間にというわけではあるまい?」

「どうかな?」

「強がりを……。境海の出現を防ぐためなら、私は躊躇なくユトリ様の体ごと貴様を斬る。ユトリ様もそう望んでおられるはずだ」

「ふん、いずれにせよ我を倒すことなどできんぞ? ……サトリ! 我を守れ!」


 ユトリの声で紡がれたキュバトスの命令で、超音波三節槍ハーモニックアスタームを構えたサトリがティスバルの前に立ちはだかる。


「サトリ!? 貴様、どういうつもりだ? 今のユトリ様はキュバトスに操られ——」

「分かっております。ですが、私はユトリ様の言葉に逆らえません。ユトリ様の身体を守る使命を負っています」


——例の、機械人形オートマタ三原則ってやつか?


 ユトリの口を通してキュバトスの笑い声が地下室に木霊する。


「ふはははっ! サトリの戦闘力は一万四千。おまえなど、歯牙にもかからんぞ」


 それを聞いたサトリが、目だけを澪緒に向けて、


「ミオ様、私を処分して下さい」


 自分の活動を停止させることで主人の身体を取り戻せるのなら、オートマタは死すらいとわないらしい。


 しかし——。


「無駄だ。その人形は、自分の意思とは関係なく主人に従うのだ。その紅髪の聖女が相手でも我が逃げるくらいの時間は稼いでくれるだろうさ」

「取り引きだキュバトス! ユトリ様の身体から出て行けば、おまえの本体だけは見逃してやる」


 ティスバルの言葉に、しかし、キュバトスがプッと失笑する。


「こんな瘴気の薄い場所で宿主の身体を失っては我とて長くは持たん。その人形のおかげで安全に逃げられるのに、取り引きなどするわけがなかろう」

「……卑怯なっ」

「我は魔物だ。卑怯で結構! 逆に条件を出してやる。我が安全圏まで逃げるまで手出しをしなければ、ガキどもは解放してやろう。まあ、信じなくても構わんがな」


 そう言ってニヤリと笑うと、キュバトスにあやつられたユトリが壁に左手を添える。

 ガラガラゴトン、と石壁の一部が奥に落ちて天然の洞窟が姿を現す。


「こんなこともあろうかと、壁の数箇所に細工をしておいたのだ。またどこかの田舎町で種子をばら撒いているかもしれんから、縁があればまた会おう」


 ユトリの声で高笑いを上げながら、こちらへ背を向けるキュバトス。


 直後——。


 目交まなかいに立ち塞がっていたサトリが、スッと動いた。

 俺たちへ向かって……ではなく、まるで道を開けるかのように真横へ。

 クリアになるキュバトスまでの動線!


「澪緒、今だ!」


 俺の指示と同時にサトリの口からも、


「澪緒ちゃん、早く!」


 Permutoペルムトでサトリと意識が入れ替わったユユの言葉だ!


 魔憑まつきのユトリと入れ替わっても事態は好転しないだろう……そう推測して、一か八かサトリと入れ替わるようユユに指示したのだ。

 機械人形オートマタ相手に成功するかどうかは賭けだったが、


——上手くいった!


 間髪入れず、澪緒が長机を蹴り飛ばして一息でキュバトスに肉薄する。

 薄暗い室内にほとばしる双剣の漆黒しっこく


「なっ!? なぁぁにぃぃ!?」


 見た目は、淡黄髪モカシンからウサ耳を生やしたフリルドレスの美少女に過ぎないキュバトスが、澪緒を振り仰ぐ。

 それでも、振り下ろされる蛮刀のスピードに躊躇ためらいは見られない。


 慌てて、壁の空洞から片足を引き戻すキュバトス。

 足がもつれ、ユトリの身体が転倒したことが偶然にも回避行動となった。


 虚空を斬った澪緒の剣が、石壁に当たった。

 石片せきへんぜ、火花が咲いた。


 構わず、澪緒は二刀を逆手に持ち替えて、


「はああああっ!」


 突き下ろす。


 仰向けに倒れたユトリの両胸を、澪緒の二刀が貫いた。

 白目を剥いたユトリの首が〝くの字〟に折れ曲がる。

 大きく開かれた彼女の顎門あぎとから飛び出す、黒いドブネズミのような物体……。


——あれが、キュバトスの本体!


 慌ててティスバルがそれを追いかける。

 しかし——。

 黒い物体は澪緒とティスバルの間を素早く通り抜け、再び空洞へ。


 薄暗い部屋の中、二人の視線が完全にターゲットから切れた。

 刹那、棒立ちのサトリの手から超音波三節槍ハーモニックアスタームを奪い取ったのは……?


——ユユ!?


 いや、ユユと意識が入れ替わっていたサトリだ。

 ユユの身体を使って大きく一歩踏み込み、鋭く得物を繰り出すサトリ。

 パキンッ! と走った二筋の亀裂から三分割される朱塗りのつか

 さらにリーチが、伸びる。


 三節槍——。

 それぞれのパーツが通し鎖で繋がれた、ヌンチャクのような仕込み槍!


 黒い物体に向かって一直線に伸びる朱紅色ヴァーミリオンの一閃。

 白銀の穂先が、空洞に逃げ込もうとしていた魔物をシュパンと穿うがつ。

 伸びきった鎖の反動で引き戻されたそれは、静かに、黒い結晶だけを残してあっけなく霧散した。


 それが、キュバトスの最期だった。

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