第二話 黄泉の谷
01.役に立つ情報
毒の処置を終え、支柱に残っていたメインロープを使って上まで引き上げてもらうと、すぐに
「お兄ちゃん、大丈夫?」
「ああ、なんとか……」
「すぐに行けなくてごめんね? ミオ、昔からクモだけは苦手でさぁ」
「どちらにしろこの高さだからな。俺みたいに着地法をマスターしてなければ、逆に骨折してたかもしれないし」
「ますたぁ? あれで? のた打ち回ってたように見えたけど?」
「ああいうもんなんだよ、あれは!」
ふぅ~ん、と小首を傾げる澪緒。
「それにしてもお兄ちゃん、あんなにクモに囲まれてよく粘れたね~。お兄ちゃんのことだから、あっと言う間に埋もれちゃうかと思ってたのに」
「『俺のことだから』って……。あの時は必死だったからな」
とは言え、思い返してみると自分でも不思議な感覚は残っている。
群がってくる蜘蛛を目の当たりにして、やつらの中に埋もれる図が脳裏を過ぎったのは確かだ。
しかし、急に蜘蛛たちの動きがゆっくりになったような気がして、試しに殴る蹴るで応戦してみたら意外と粘れた……という感じだった。
「たぶん、タキサイキア現象ってやつだ」
「た、たき……さい……何?」
「交通事故とか、危機に陥った時に周囲がスローモーションで見える、って聞いたことがあるだろ? ギリシャ語で『頭の中の時間』って意――」
「あぁ~、はいはい、そういうアレね。説明おつ! ユユさんも引き上げなきゃならいから、またねっ!」
――あいつ、だんだん俺の話を聞かなくなってきてんな……。
澪緒がロープを引き上げ始めると、今度はティコとベルが近づいてきた。
「引き上げるのは、ミオさん一人で十分そうですの」
「あいつ、馬鹿力だけはあるからな」
「あんな方と勝負をしていたなんて、我ながら身の程知らずでしたの」
「いやいや、あいつはまだパワーだけだからな。総合力ならティコやサトリの方が上だろう。さっきはありがとう」
「お礼など必要ないですの。むしろ、リンタローさんに
「いや、何回も撃てる技ではないだろうし、あの場面ではあれがベストの選択だったよ。本当に助かった」
「あ、頭を上げて欲しいですの! わたくしのために来ていただいてるのですから、全力でお守りするのは当然ですの!」
ティコの隣で、今度はベルが頭を下げる。
「リン兄ちゃん、ごめんなさい。自分の確認が不十分だったばっかりに……」
「いや、ベルが渡るところは俺たちも見ていたし、安全確認には問題なかったと思う」
――そう、安全確認
立ち上がって、支柱に残っているロープを確認する。
いま、澪緒が残った二人を引き上げるために使っているのは二本目のメインロープで、俺が見ているのは先に切れた方だ。
――う~ん、この切り口……。
「リン兄ちゃん、何見てるんすか?」
「ん? ああ、いや、ちょっとな……。そうそう、そう言えばさっきのクモ……コーアラネアって言ったっけ? 聞いたことはないんだが、この辺りにも魔物が?」
「あれは魔物じゃなくて、ただの害蟲っす」
「魔物とは魔素をエネルギーとしている生物ですの。この辺りは『境海』からは離れておりますし、
「そっか……どうりで聞いた事がないわけだ……」
境海やホットスポットなどの魔物にさえ気をつければ比較的安全かと思っていたのだが、魔物以外にもあんなもんがウヨウヨしているのか。
やはり、油断はできないな。
「ただ、魔物ではなくても
「さっき倒したので全部じゃねぇの?」
「それは分かりませんの。でも、ああいう害蟲は、百匹見つけたら百一匹はいると思った方がいいですの!」
――大して変わんねぇ……。
「帰ったらすぐにでも、ユトリ様宛てに駆除隊の要請書を送りましょう」
答えたのは、俺の左腕に包帯を巻きながら話を聞いていたサトリだった。
毒さえ除ければ傷口自体は大したことはないし、治癒の巻物は節約することにしたのだ。
「まあ! 軍部に明るいタスカニエ家から直接口添えをしていただけるのであれば、話は早いですの!」
どうやら同じ伯爵級の家柄でも、タスカニエ家は軍政面に、ティコのエスコフィエ家は商業面に明るいなど、いろいろと特色があるようだ。
全員を引き上げ終わると、少し休憩をとり、改めて黄泉の谷を目指すことにした。大怪我を負ったわけでもないし、せっかくここまで来たのだから、というわけだ。
ベルも吊り橋のことで責任を感じたのか、最後まで案内をしてくれると言う。
と言っても、彼女もだいたいの位置を聞いた事があるだけで、実際に黄泉の谷を見たことがあるわけではないようだが。
「さっきは……ありがとな」
歩き始めて少ししてから、ユユが話しかけてきた。
「ん? さっき、って……崖の時の?」
「うん。真っ先に来てくれただろ? あたしもパニくりかけてたのが、あれで落ち着くことができたし」
「まあ、あれはほら、元はと言えば俺の不注意で落ちたようなもんだから」
「それだってあたしの高所恐怖症が原因だし、あの高さをとっさに飛び降りるって、なかなかできることじゃねえよ。その行動は素直に嬉しかった、っつぅか……」
「……だ、大丈夫か?」
「ん? 背中? 巻物も使ってもらったし、今は何とも――」
「いや、そういうんじゃなくて、やけに素直だから頭でも打ったのかと……」
「ぶっ殺すぞ! あたしだってお礼くらいするわバカ!」
「イテッ! 蹴るなよ! ほんと足癖が悪いなおまえ!」
「燐太郎が茶化すからだろ!」
ほんとに心配してるだけで、茶化したつもりはなかったんだが……。
「まあ、あれだ……借りっぱなしってのもあれだし、あたしに何かできることがあれば燐太郎も遠慮すんなよ」
「遠慮なんかしてないけど……貸しとか借りとか、そんな堅苦しく考えなくてもいいんじゃないの?
「そうかもしんねぇけど、あたしがお礼したいだけだから、何でも言え」
「な、何でも?」
「ば、バカッ! 何でもっつったって、あたしにできる範囲のことだかんな!?」
「そう言えば……」
と、前を歩いていたサトリが振り返る。
「今朝、ハバキ様にどんな性的サービスが可能なのか尋ねられました」
「お、おまっ! バカサトリ! なんで今それを!?」
「ユズハ様の加護が性技だとお聞きしていたので、役に立つ情報かと――」
「とんでもねぇクソ情報だよ!」
案の定、隣ではナマハゲのようになったユユがこちらを睨みつけている。
「淫太郎……てめぇ、サトリが従順なのをいいことに、何させようとしてんだよ、変態!」
「ま、待て! これにはいろいろと前後の文脈が――」
「もっかいペルムトかけて、頭から崖に飛び込んでやろうか? ああん!?」
「待てってば! 俺の話も聞け……」
その時――。
「あ……匂ってきたっす!」
と、先頭のベルが、眉を
すぐに俺の鼻腔内にも、初日のキャラバンサライで感じたのと同じ、独特の臭気が入り込んできた。
あの時は
「硫化水素ガスだ」
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