04.吊り橋効果
「吊り橋までは、だいたい
先頭のベルが、歩きながら振り返って皆に告げる。
その言葉通り、丘陵地帯の緩やかな勾配を一時間ほど下っていくと浅い谷に突き当たった。幅は二十メートルほどで年季の入った吊り橋が架けられているのも見える。
黄泉の谷は、橋を渡ってさらに丘を登った先にあるらしい。
「黄泉の谷って、村人からは忌み嫌われてるんだろ? なんで吊り橋なんて架けられているんだ?」
「黄泉の谷に行くためじゃないっすよ。この先の森や草原で、つくしやヨモギ、たんぽぽにドクダミ、フキ……そうそう、オオバコも! 食べられる野草がたくさん採れるんで、村の人もこの辺りまではよく来るんすよ」
「なるほど……」
――確かにこれは、ベルの案内があって助かったな。
直線ルートからは外れているし、適当に目的地を目指して歩いているだけでは、ここまでピッタリ橋の前には出られなかっただろう。
「先に自分が渡るんで、荷物、預かっていいっすか?」
「え?」
「一度に渡る重さはできるだけ少なくした方がいいっす。誰かが持たなきゃならないなら、一番軽い自分が適任っす」
「そりゃそうかもだけど、いいのか? ここまで来れば残りわずかだし、ベルはここで引き返しても……」
「いいっすいいっす! リン兄ちゃんたちは自分の恩人なんすから、安全確認くらいはさせてもらうっす!」
そう言うとベルは、リャマを支柱に繋いで自らバックパックを担ぎ、慎重に吊り橋を渡り始めた。
人一人がなんとか渡れそうな橋だ。足元の橋板もところどころ朽ちて外れているし、確かにリャマの細くて硬い
――地元の人間が先に安全を確かめてくれるのはありがたいが……。
「どうしたの、お兄ちゃん? 怖い顔して?」
「ん? ああ、ちょっとベルの空気が気になって……」
「――?」
「いや、何でもない」
暗い影が見えたような気がしたのだが……。
安全確認で緊張しているせいだろうか?
「よし! お兄ちゃん、せっかくだから一緒に渡ろう!」
「はぁ? 何だよ、せっかくって」
「吊り橋を一緒に渡ると、なんかイイ感じらしいよ!」
「ふんわりした話だな……。もしかして、吊り橋効果のことを言ってんのか?」
「それそれ!」
「あれは、揺れる橋を渡る緊張感を、脳が異性に対するドキドキと誤認することで生じる現象だぞ? 緊張感のないおまえじゃ意味ねぇよ」
「まあいいじゃん! 難しいことは分かんないけど、ものは試しで!」
「試すって言っても、メリーランド大学で行われた実験によれば、相手が不細工の場合はむしろ逆効果になるとも……イテッ!」
「ミオ、不細工じゃないもん! クソ説明最低!」
俺の
――何だあいつ、ただの一般論だろ!?
向こう側では、渡り終えたベルがこちらへ手を振っていた。
澪緒が渡り終えると、続いてティコ、さらにサトリも順に橋を渡る。
「俺は最後でいいから、次はおまえが行け」と、ユユの背中を軽く押すと、
「おっ、押すんじゃねぇよバカ!」
「え!? あ、ああ、ごめん……」
「あ、あたしのタイミングで行くから、燐太郎は手ぇ出すんじゃねぇ!」
「わ、分かった……」
ところが、十秒、二十秒……一分待っても、ユユはハシビロコウのように微動だにしない。
「おい……ユユ? 大丈夫か?」
「……てる」
「ん?」
「あたしはここで待ってる。燐太郎たちだけで行ってこい」
「え? どうした急に!?」
「苦手なんだよ、こういう、揺れたりするのが!」
「おまえが苦手なのって、暗い所じゃ……」
「高い所もなんだよっ! 暗い所と、高い所と、狭い所が苦手なんだよ!」
――増えとる……。
「そんなら、最初から言ってくれれば他に迂回路もあったかもしれないのに……」
「もっとしっかりした橋だと思ってたんだよ。吊り橋って、あれだろ? レインボーブリッジとかもそうだろ?」
「あんなのがこの世界にあるわけねぇだろ!」
改めて崖の下を覗いてみる。
川による侵食ではなく、鍾乳洞が崩落してできた谷だ。
底は平らで固そうだが、深さは五メートル程度。落ちたとしても命を落とすような高さではない。
「これくらいなら万一落ちても大怪我にはならないだろうし、巻物もあるし――」
「そう言う問題じゃねぇんだよ! 今だから言うけど、馬車から降りるだけでもあたしは命がけなんだよ! 遊びじゃねぇんだよ!
「いや、ねぇけど……」
――まいったな……。
迂回路を探してもいいが、ベルの話では、徒歩で谷を迂回すると二時間以上は余計にかかるらしい。往復五時間以上も時間をロスすることになる。
今日は工房に鉄型が届くということで、午後から板ガラスの試作品作りを見学する予定も入っている。できれば黄泉の谷へはこのルートで行きたい。
しかし、ここにユユを一人だけ残しておくというわけにも……。二人で一緒に渡るには橋の強度が心配だし……。
と、その時、俺の脳裏に閃光が
「そうだ!」
「な、なんだよ?」
「
「……天才かよ!?」
「クソ奇跡だと思ってたけど、意外と使えんな、ペルムト」
さっそく意識を入れ替え、ユユの身体に入った俺が吊り橋に足を踏み入れる。直後、吹き上げる谷風に橋ごと煽られ身体が大きく揺れた。
――うわ! 意外と
サトリはともかく、澪緒もティコもよく平気だったな?
スカートもひらひらするし、厚底ブーツも歩き
左手で乳房を引っ込めるように抑えると、すかさず「ぶっ殺すぞ!」とユユの声。
橋の半ばまで来た時に、再び強い風に煽られ、
「あっ!」
叫んだ時にはすでに、マジカルハットがひらひらと谷底へ落ちていくところだった。あご紐が付いていたので油断していたが、吹き上げる風に煽られてするりと頭から外れてしまったのだ。
――しまった!
思わず帽子に向かって手を伸ばしたその時、〝ブチンッ〟と嫌な音がして、身体が大きく傾く。
――えっ!?
見れば、橋を吊っている片側のメインロープが切れている。
垂直になった橋板の上から滑り落ちる俺――もとい、ユユの身体。
とっさにハンガーロープの一本を掴んで宙吊りになる。
「ユズハ様!」
顔を向けると、視界の隅で捉えたのは、崩壊しかけた吊り橋をまるで曲芸師のように疾駆してくるサトリの姿。
めいいっぱい伸ばした俺の左手とサトリの右手は……しかし、互いに空を切る。
寸前で、吊り橋が完全に崩壊したのだ。
一瞬の浮遊感のあと、背中から谷底に落下。
「いってぇぇぇ――っ!」
激痛と息苦しさに身を揉んだ次の瞬間、俺の目線は、いつの間にか崖の上から谷底に落ちたユユを見下ろしている視界に切り替わっていた。
――激痛を感じたことで自動的に
「ゆ……ユユッ! 大丈夫か!」
俺の呼びかけに、わずかに目を開けながらも、顔を
――くそっ! 俺のせいだ!
「今、巻物を持っていくから、待ってろ!」
声をかけながら、少しでも下りやすそうな場所を探して首を左右に回したその時だった。
谷底――切り立った岩壁に走る
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