02.早朝ランニング

 約五時間前——。


 ひい、ひい、ふぅ~っ、ひい、ひい、ふぅ~っ……


「陣痛かよ!」


 背後から声をかけられて振り向くと、ピンクのタンクトップに黒のショーパンツとニーハイソックスという出で立ちのユユが近づいてきた。

 俺が着ているTシャツとハーフパンツ共々ともども、すべてカスタニエ家で支給してもらったものだ。


 上下に大きく揺れる推定Eカップから、慌てて目を逸らす。


「ユユか……ヒイ、ヒイ、フゥ~ッ……」

「なんだその呼吸? ランニングは二回ずつ吸って吸ってぇ、吐いて吐いてぇが基本だろ?」

「それだと、息が、吐き切れないんだ、よっ……ハァハァ……試行錯誤の、結果、着地に合わせて、ラマーズ法で呼吸、するのが……ハァハァ……一番……」

「あ~はいはい。苦しいくせに余計な説明すんな。好きにしろ」


 澪緒に、文字通り引きずり出されての早朝ランニング。

 カスタニエの屋敷から少しだけ下り、屋敷の立つ丘を囲む道をぐるっと周回するコースだ。


 俺の目標は二周だが、それでも約一.五ミーク——およそ二千四百メートル。なまりまくっていた身体にはかなりキツい距離だ。

 追いつかれたということは、ユユとは周回遅れということか。 


「ユユ……意外と、速いんだな……ゼェゼェ」

「短距離はおせぇんだけど、長距離は昔からなぜか得意だったんだ」

「人によって、外側広筋の筋線維組成が、大きく、異なるからな……ハァハァ……きっとユユは、長距離選手のように、遅筋線維の……ゼェゼェ……割合が多い……」

「おまえさ、もうちょっと気軽に会話できねぇの? 説明とか抜きで」

「俺と話すのが、嫌なら……ハァハァ……先に、行けよ……」

「別にそうは言ってねぇだろ。いちいち説明とか要らないってだけで……」

「ゼェゼェ……やっぱ、嫌なんじゃん」

「説明せずにはいられねぇのかよっ!?」

「ヒイ、ヒイ、フゥ~ッ……」


——ったく、あんま話しかけんな! 余計疲れるじゃねぇか!


「それにしても澪緒ちゃんはすげぇな。あっという間に見えなくなっちまったし……燐太郎なんて、そろそろ二周遅れになるんじゃねぇの?」


 走りながら後ろを振り返るユユ。


「まさか……。さっき、サトリと一緒に、抜いていったばっかだし……ハァハァ……まだしばらく、かかるだろ……ハァハァ」


——それにしても、機械人形オートマタがランニングをする意味って、あるんだろうか?


「筋トレとランニングって、あまり相性が良くなさそうなイメージなんだけどな」

「普通は、そうなんだよ。ハァハァ……軽い身体を、速く遠くに運ぶって……筋トレとは対極に……ゼェゼェ……あることだからな……。あいつの場合……ハァハァ……インナーマッスルを、中心に、効率よく、ランナー筋も鍛えて……ゼェゼェ」

「……おまえ、そのうち説明に殺されるぞ?」


 その時——。

 茂みから突如現れた黒い影に、俺とユユが思わず足を止める。


「お、おまえは……」


——ティスバル!


 またがっているのはインペリアル・ハウンドではなく普通の栗毛馬だったが、間違いなく、昨日俺の右胸に剣を突き刺した男だ。


「サトリがよく走っているのは知っていたが、今日は何人かの人影が見えたのでもしやと思って来てみたら……やはりおまえたちか」

「も、もしかして、昨日の続きでもしにきたのか?」


 澪緒とサトリが追いつくまでに十分前後はかかるだろう。

 それまでは、なんとしても粘らなければ……。


「ユユ、いざとなったらあいつにPermutoペルムトを使ってくれ」

「え? あんなやつ、あたしの身体に入れたくねぇよ!」

「殺されるよりマシだろ!」

「だいたいあたし、馬の上なんて嫌だよ!」

「おまえら、何を慌てているのか知らんが、安心しろ。ここでおまえらをどうこうしようという気はない」


 前へ向き直れば、馬上から冷徹な双眸がこちらを見下ろしている。

 ……が、昨日のような敵意や殺気は感じられない。


「まだ、名前を聞いていなかったな」

「……リンタロウ=ハバキ。こいつは、ユズハ=ユズリハだ」

「ふむ。……おまえたちのことを信用したわけではないが、仮にも今はカスタニエ家の客分だからな。それを勝手に斬り捨てては、手が後ろに回るのはこちらだ」


——言うことがいちいち物騒なんだよ、こいつは!


「じ、じゃあ、何しにきたんだよ」

「今日、ヴァプールへはおまえたちも行くのか?」

「そのつもりだ」

「では、馬上からで失礼するが、ヴァプールで何が起ころうと余計な手出しはするな」

「何が起ころうと? なんだか胡乱うろんな物言いだな?」


 俺の問いに、わずかの間、ティスバルが自身の顎に手を当てて黙り込む。

 しかし、すぐに、


「ふむ……中途半端な忠告でユトリ様に差し口 (※密告)されても厄介だし、もう少し詳しく話してやろう」


 一段低くなったティスバルの声に、俺も耳を傾けるように軽く顎を引いた。


「今日のキュバトス討伐に、ユトリ様を随行させるよう進言したのは、私だ」

「ん? ユトリはゼリー侯女様から密命を受けた、って……」

「だから、そうしてもらえるよう侯爵家に進言したのが私なのだ。理由が分かるか?」


 俺が首を横に振ると「ロガエスの聖女というのもアテにならんな」と、ティスバルは片目を眇めて口角を上げる。


「単刀直入に言おう。私はキュバトスの宿主がユトリ様ではないかと疑っている」

「はあぁ!? だって、キュバトスはヴァプールに出現したって……」

「キュバトス本体は、まだ誰を宿主にしているのか判明していない。ユトリ様を始め、半月前の定期探索に参加した人間はすべて対象になると思っている」

「どうしてそんなことを、俺たちに?」

「今日、恐らくヴァプールでキュバトス本体の特定をすることになるだろう。その時、おまえたちに邪魔をされては厄介だからだ。とくに、あの能天気な聖女にはな」


——能天気な聖女……澪緒のことか。


「これは、宰相にもゼリー様にも通している話だ」

「今の話を、俺がユトリに話すとは思わなかったのか?」

「私がおまえなら、ユトリ様がキュバトスの宿主ではないという確証が得られるまでは絶対に話さないがな? 己の身の安全のためにも」


 確かに、そうだ。

 ティスバルはムカつくやつだが、かといってユトリが、間違いなく俺たちの味方であると決まったわけでもない。

 万が一、魔物に取り憑かれているなんて話になればなおさらだ。


 いや、それだけじゃない。

 侯女や宰相も承知しているという話が本当なら、ティスバルを妨害することは公務妨害にあたる。そうなれば、この国での俺たちの立場も危うくなるかもしれない。


「おまえたちは外で待機させておくつもりだが、宿主の特定が困難な場合、事によっては荒事あらごとになるやもしれぬ。もしそうなっても決して手出しは——」

「いや、俺たちも連れていけ」

「……ん?」

「最後まで俺たちを同行させろ、って言ってんだよ。荒事になんてしなくても、誰がキュバトスなのか俺たちなら見破る事ができる」


——かもしれない。


「……確かなのか?」


 確実……とは言い難い。

 だが、恐らく、外で待っているだけではトゥルールートには辿り付けないだろう。

 書庫アーカイブでちらりと見たあの本の内容が、そして、女神端末アニタブのあの説明文が間違っていなければ……。


「ああ、できる」


——かもしれない。

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