LAGUZ
砂樹あきら
第1話
我々には、自分の運命の外枠を選ぶことは許されていない。
しかし、その枠の中で何を行うかは自分で決めるしかないのだ。
ダグ・ハマースコルド・マルキノス
(ここは?どこ…だ?)
一面に広がる漆黒の闇。眼を開けていても、どんな光も差し込まない。見えない。
手を伸ばしても、自分の手すら見えない闇。
上も下もわからず、自分が立っているのか横になっているのか平衡感覚すらもない。音も聞こえない。自分の腕に、体に触ろうとしたが、触れられなかった。
(体はあるんだろうか?幽体? それとも違う感覚だが?)
五感が全て奪われてしまったような奇妙な感覚に襲われる。顔を今、見ていた方向とは別の方向へ向けてみる。自分の顔が動いている様な感じはしても、どの方向を見ているのかはわからなかった。
(俺は?だれだ?ここは…?夢?)
思い出せない何かを何度も自問自答してみる。が、答えは返ってこなかった。ぞっとするほどの孤独感が襲いかかってきた。
誰もいない。自分ひとり。この世界には、自分という存在だけしかない。そんな孤独感。
不意に何かが、ふわっと両眼を覆った。
「バーン?」
次の瞬間、彼の周りは光に満ちていた。耳元でささやく、聞き覚えのある声。それは紛れもなく彼女の声。やわらかい髪が肩から、ひとふさ落ちてくる。髪からはほのかにオレンジの香りがした。背中に温かい人の体温を感じた。
「……」
「もう! 無視しないでよ。 バーンったら。」
「ラティ…?」
(? ラティなのか? ラティはあの時に死んでいる。
7年前の俺の誕生日に……)
彼は混乱した。驚きながら彼女の両手にそっと自分の手を置いた。
信じられなかった。温かい肌の感触が手から伝わった。ようやく彼女が眼から手を放した。
眼を開けるとそこは明るい太陽の陽射しの中だった。やさしい風が二人の金髪を揺らしていた。ラシスは、にっこり微笑んだままバーンを見ていた。
「もう、驚かそうと思ったのに、平然としてるんだもの。」
バーンは振り返って背後に立つ彼女の顔をのぞき込んだ。間違いない。肩までかかったやわらかい金髪。深藍色の眼。ラシス・シセラ。夢でしか会えないと思っていた彼女。
永遠に覚めず、繰り返される悪夢。そして、探し続けた答え。
「ラティ……」
「ん?」
ちょっと前かがみになりながら、左手で髪をすいっと耳にかける仕草をして彼の顔を覗き込んだ。
「平然となんかしてない…よ。驚いたんだ。本当に」
ベンチに座ったままでバーンは答えた。ここは学校のカフェテリアの側にあるベンチ。
そこからもちょうど死角になり、あまり人が来ない彼の好きな場所だった。眼の前に広がる池には白く淡い蓮の花が咲いていた。いつもの待ち合わせ場所。
「ほんと?」
ラティの表情がぱっと明るくなった。たまらず彼は左手で彼女の肩に手を回すと引き寄せて、抱きしめた。金髪をかき上げながら、彼女の存在を確かめた。
ちょっとくせのあるストレートの金髪が彼の手に残った。今まで抱くことがなかった彼女の肩が自分の腕の中にあった。あたたかい
「……」
小声で何かをつぶやいたが、ラティには聞こえなかった。
「え、なに?」
「…生きてるんだよな? ラティ…」
うつむきながら、彼女に回していた手をどけると不安そうに言った。
「変なバーン。何かあった?」
ラティはバーンの横に来て座った。
「…いや」
うつむく彼の横顔を見て、彼女はバーンの唇の端に軽くキスした。
「あんまり暗くなってると殴っちゃうわよ。」
「……」
「それとも、もう一回キスしたら信じてくれる?」
「!」
いたずらっぽく笑う彼女。彼女の笑顔はまるで夏の太陽を思わせるほどまぶしかった。自分にないプラスの感情を持っている彼女。初めて自分という人間を、自分という存在をすべて受け入れてくれた彼女。『魅了眼』を、彼の『力』を恐れることなくあたりまえのようにそばにいる彼女。
彼女と一緒にいると自分は生きていてもよいと実感することができた。これまで『死』しか意識したことのない彼にとって、彼女の存在は『生』そのものであった。
しかし、避けられぬ運命に目を背けることはできない。彼には『それ』がわかっていた。
「ラティ…」
不安そうな表情で彼女の名を呼んだ。空は澄み切った青空だ。巻層雲がかかっているのが見える。彼女はその空を見上げながら、笑って言った。
「本当にいいお天気ね。こっちでランチを食べた方がよかったかしら?」
バーンの方を見ると彼は視線を外した。思わず黙り込んでしまった。
「ちゃんと食べた?」
言葉は出てこなかった。
「……」
声もなく首を横に振った。ラシスは怒ったように両手を腰にあてて、声を大きくした。
「また、お昼、抜いちゃったの!?ダメじゃない,ちゃんと食べなきゃ。だから顔色がよくないのよ」
バーンはうつむいた。そして、小さい声でぽつりと言った。
「…食べたくないんだ。」
「一日一食なんて、身体がどうにかなっちゃうわよ、もう!」
彼女はぷっくりふくれっ面だ。
「ごめ・・・ん。」
ラティの剣幕に驚いたのか思わず謝ってしまった。
「ぷ!変なのっ。真面目な顔して謝らないで。」
ラティの表情が変わった。怒った顔から、まぶしい笑顔に。表情が変わらないバーンとは正反対である。
「バーンらしいっていえば、らしいけど」
「ラティ」
彼は彼女の横顔をまじまじと見つめていた。彼女の瞳が陽の光に反射してきれいだった。
「じゃあ、今日も押し掛けるからね。覚悟してよ。」
彼女はバーンを見て意味深に笑った。
「……」
「胃腸薬の準備をしてね。」
なんだか楽しそうだ。彼と交わす会話、言葉のひとつひとつが楽しそうだ。バーンはそんな彼女の仕草をすべて眼で追っていた。
「……」
ラティは、小さなため息をひとつつくと急に黙り込み、バーンの方へ身体を寄せてきた。
「お願い、バーン。ちょっと、このままでいさせて」
そう言うと、ラティはバーンの肩に頭を擡げ、目を閉じた。
「重い?」
「いや…」
「迷惑?」
「構わないよ…」
そっと彼女の肩に手を置いて、自分の頭を彼女の方へ近づけた。やわらかいブロンドの感触が彼の首筋に当たった。彼女のぬくもりも肩にかかる重みも夢のようだった。
(ラティ…)
腕の中にある彼女の顔が、あの時の顔に重なった。
無限に繰り返される後悔と自責の念を生む選択の瞬間に。
(これを見せているのは俺自身…の心。俺のもっとも弱い部分…夢でも何でも、今の俺には…。彼女を護り通していたら、俺は? 変わっていたんだろうか?
このまま、平和に彼女と同じ時間を生きて、老いて…暮らしていけたら。
俺に近づかなかったら、彼女は死なずにすんだのかもしれない。俺は彼女を離したく…ない。二度と。
ラティ…今、どこにいる?どこかにいるって信じたい。だがそれを、信じる心をどうやって支える?どうやって探す? 俺、ひとりで?俺、ひとり?……
俺の魂は救われなくてもいい。ラティさえ、彼女さえ救われれば…少しは…)
彼女の髪を手で梳きながら、その髪にキスをした。
「そばにいるよ。|バーン。ここに、」
小さな声で彼女がつぶやいた。バーンは彼女を抱く腕に力を入れた。
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