第36話 あれから…。人生論を語る者。
「並木道と桜の木かぁ…。エンドロールの背景、きれいね。奈美の名前、あったね。やっと、この日が来たんだね。」
-原作 牧野奈美-
「奈美、私は涙が出るよ…。」
「そうね、一時期、花香という名前に復帰はしたけど、やっぱりね、記憶にない名前なんて無理よ。長く使ってきたこの名前は捨てきれなかったわ。それに、私の中には、亡くなった奈美ちゃんもいるような気がしているから。」
ホテル内での試写会が終わり、徐々に照明が戻ってきた会場で、奈美と博美の二人は、リクライニングを戻さないまま、余韻を味わっていた。
「あれから、15年か。早いものね。」
「ねぇ、奈美、研究所から出た時に、三人で振り返ったの覚えてる?」
「もちろんよ、博美。あれには驚いたよね。でも、あとから、あの道を通った加藤さんは、見てないのよ。」
「そこが不思議なんだよね。あ、このエンドロール…。もしかして、あの時でしょ。三人で振り返った時に見た風景なんでしょ。この目で見た、あの風景に見える。」
「ふふっ、わかった?そう、あの時のイメージなのよ。」
十五年前。
三人が振り返って見た風景…。
それは、三人で歩いてきた並木道の奥に、無かったはずの一本の桜の木が…。
その美しい木は、大きく枝を広げて、風も無いのに、華やかに薄桃色の花びらを舞わせていた。
「やっぱり、そうだったの。あの風景は、未だに不思議な光景だと思うわ。やっぱり、あれは夢だったのかな。あやかしだったのかなって。でも、きれいだったな。ね、そう言えば、あの時、奈美、何か言ってなかった?」
「あぁ、あの時ね。実はね、振り返った時に、大きな桜の木が見えたでしょ。その時ね、母の里香が立ってたのが見えたのよ。桜の木の下で笑ってたわ。それ見て、自然と、『ママ…。』って言ってたの。ハッとして、あなたたちを見たけど、誰かが見えた感じでもなかったし、私だけが見えたのかなって思ったから、特に話は広げなかった。でも、私、母の事を、お母さんでなく、ママって呼んでたんだって…。私が『ママ』なんて違和感アリアリだけどね。自然に口から出た自分に驚いたわ。」
「そうだったんだ。奈美にだけ、『ママ』が見えたのね。なんか、灯しや診療所って、美香の研究だったんだけど、研究だけではない、不思議な力というか…。やっぱ、キツネでもいた?」
大きな白いスクリーンを見ながら、話をしている奈美に、一人の女性が声を掛けてきた。
「あ、麻衣さんじゃない。来てくれたの?お父さんは?」
奈美は、慌てて、リクライニングを戻し、スッと立ち上がった。
「来てるわよ。最近、あの人、転んじゃってね、杖ついてるから。
あ、お父さん、こっちよ、こっち。」
水口雅之は、杖をつきながら、満面の笑みを奈美に投げていた。
「おう、奈美、良かったよ。やっぱり、あの時は大変だったんだね。しかし、奈美は強いよ。こんな娘をもって、お父さんは、誇りに思う。」
「やだ、なあに、すっかりおじいちゃんじゃないの。」
「しょうがないだろ。」
そう言った父親の隣で、寄り添っていた、まだ、あどけなさが残る背の高い男の子が、奈美にお辞儀をした。
「もしかして、悠真君ね。やだ、ちょっと、ほんと大きくなったわね。」
「もう高校生よ。あっという間に、お父さん抜いちゃったわよ。でも、図体に似合わず、この子ったら、この映画みて、泣いてたんだから。」
「やめてくれよ。」
悠真は、その童顔には不似合いな低い声で、恥ずかしそうに、背を向けた。
「お話中、ごめんなさい。奈美さん、こんにちは。」
また、女性が声を掛けてきた。
「あら、華さんも。富山からでしょ。よく来てくれたわ。」
「いいえ、だって、幼馴染でしょ。」
「そうね、大事な大事な、幼馴染ね。」
華は、バックから、小さな紙袋を出した。
「これ、奈美さんに、渡しそびれてたの。」
奈美は、渡された、その袋の中を覗いて、驚いた。
「うそ、これ、もしかして、あの時の?」
「そうよ。きれいに洗って、お洋服は、手作りしたわよ。可愛いでしょ。」
「うわ、40年ぶりくらいになるのかしら。リカちゃん、久しぶりね。この筆は初めましてね。でも毛は私の髪なのね。なんだか、変な気分ね。」
奈美は、人形と胎毛筆にそう声をかけると、愛おしそうに見つめていた。
「あ、これ、なんか思い出したかも…。リカちゃんの手、赤いマジックの痕よ、これ。」
赤い色素が微かに残る、人形の手に触れながら、奈美は幼い頃の記憶が蘇り、頬を赤らめた。
「これ、マニキュアを塗ろうと、私が、リカちゃんの手を真っ赤っかにしたことがあったのよ。それ見て、ママがびっくりしてたわ。私がケガをしたんじゃないかと思ったみたいなのよ。」
奈美の声は、興奮で上ずっていた。
「すごいわね。奈美さん、花香ちゃんの記憶、残ってたのね。」
「華さん、ありがとう。映画の中でも出てきたけど、どこにあるのかなって思ってたとこよ。でも、どうして華さんが持ってたの?」
「あのね、最近、母が亡くなって、あの家を処分しようと思って、片付けてたら、見つけたのよ。」
「えっ、お母さん亡くなったんだ。そうだったのね。お世話になったのに、ずっとご無沙汰してたわ。」
「奈美さん、忙しいの分かってたから、いいのよ、気にしないで。それでね、春日美紀子さんって、ほら、あなたの胎毛筆を作った人いたでしょ。リカちゃん人形と一緒に、春日さんの連絡先が書いてあったメモも入ってて、なんでうちにあるのか聞こうと思って、そこに行ってみたのよ。春日さんは、10年くらい前に、もう亡くなってたんだけど、親戚の人が話をしてくれたわ。その人が言うには、リカちゃん人形と、胎毛筆が、警察から戻ってきたから、美紀子さんが、奈美さんに渡そうと思ってた矢先に、病気で入院してしまって、それっきりになってしまったんじゃないかって。それで、何年か前に、遺品を整理してた親戚の人が、そのリカちゃん人形と胎毛筆が入った箱を見つけてね。箱の中には、うちの住所と、奈美さんに渡してほしいという事が書かれた手紙も一緒に入ってて、それで、うちに持ってきたみたいなの。その時に、うちの母が受け取ってたみたいなんだけど、母ね、ちょっと物忘れがだいぶ出てきた時だったから、また、うちの押し入れにそのままってなってしまったみたいね。」
「そういう事だったのね。でも、大事にしてもらって、嬉しいわ。春日さんと、亀田さんに感謝ね。」
「そう言ってもらえると、私も嬉しい。あ、そうだ、結衣も来てるんだけど、どっか行っちゃったのよ。監督のファンとか言ってたから、追いかけてったのかな。」
「へぇ、渋いとこ目が行くのね。普通、俳優さんとかでしょ。」
「あの子変わってるから。」
「あなたに似たのね。」
「どう言う意味よ。」
「好奇心が旺盛ってこと。」
「牧野さーん。」
「あら、呼ばれちゃった。もっと話したかったわ。ごめん。またね。」
胎毛筆とリカちゃん人形を、そっとバックの中に寝かせ、襟を正した奈美は、声の元へ颯爽と、笑顔で駆けつけた。
「奈美は凄いなぁ。ビシッと決まってるじゃない。」
パンツスーツの奈美の背に、博美はそうつぶやいた。
奈美は、監督やプロデューサーなどの関係者との軽く挨拶を済ませ、待っていた博美と会場を出た。
会場を出ると、ホテルのラウンジが視界に入った。
「行かない手はないでしょ。」
博美の一声に、奈美も快く従った。
高さのある窓からは、よく手入れされた木々のフィルターを通して、柔らかな陽ざしが注いでいた。陽ざしの下では、丸テーブルを囲むように、革張りの丸みのあるソファが、庭を向いて置かれている。
奈美らは、その深く沈むソファに、ゆっくりと腰掛けた。
庭の緑に目を休めながら、二人は、お互いのに近況などを語り合った。
「ねえ、博美、旦那様は元気?」
「もう、おじいちゃんだけどね。75歳になっても元気よ。今日は来たがってたんだけどね。お店、休めないからって。」
「和食屋さん、頑張ってるのね。高野さん、歳取れば取るほど、若くなってるものね。あの60歳前のころが、一番おじいちゃんだったかも。」
「ほんと、そうかも。娘もね、もう10歳よ。どうみても、おじいちゃんと孫だけど、娘は、お父さんが大好きなのよ。笑うとしわくちゃな顔だけど、パパって呼んでる。美味しいものたくさん作ってくれてるし。優しい良いパパよ。娘ね、パパのお店も手伝ったりしてるのよ。可愛い看板娘だって、お客さんも喜んでる。」
「いいなあ、幸せを絵に描いたような家族ってこの事ね。あの熊五郎はまだ、門番してるの?」
「あるわよ。娘のおもちゃ箱に。」
「すごいわね。熊五郎は、親子三代で可愛がってもらってるのね。あ、そうだ、家は?博美が、いつかは住みた言ってた家にいるんでしょ?」
「そうよ。あちこち手直ししながらね。あの時、言ってた夢が、ほんとに叶うとは思わなかったわよ。確かに、広志さんが言ってたように、障子や襖や畳の保全は大変ね。娘が小さいうちは特にね。穴や傷だらけになって、きりがないから、しばらく放っておいたわ。でも、最近、桜とかの模様のおしゃれな障子とかあるから、けっこう楽しんでるわよ。今度、遊びに来てよ。見てほしいわ。」
「もちろん、行くわよ。今の仕事が落ち着いたら、連絡するわね。」
「ねえ、奈美は、結局まだ、おひとり様なのよね。」
「私は、独身のままが楽ね。結局、あれから会社にほどほどに勤めながら、ほどほどに書き溜めておいた小説を投稿して、気楽に、地味にやってたわ。」
「でも、この話を書くとは思わなかったわ。あの桜の木って、もしかして写真家の人の?」
「そうよ、河西さんが、昔、撮ったものよ。さくら商店街にあったエドヒガンが、まだ頑張って咲かせていたころの写真。」
奈美は、一枚の写真を取り出した。
「これかあ、すごく華やかで、きれいな風景ね。」
「そう、良い写真でしょ。本の表紙にも採用させてもらったのよ。私にとっては、この桜の木は、消された記憶の中で、唯一覚えていたものだから。それに、裏表紙は、今の姿の写真。遺作になっちゃったけど。」
「えっ、そうだったの?あの枯れた桜の木と大岩の写真よね。紙垂で繋がれてて、神聖な感じの。」
「そうよ。その写真を撮りに行った時に、私の胎毛筆を桜の木の下に埋めたっていう由美子の叔母さんに会ったのよ。だからこの桜の木には、何か、運命感じるの。」
奈美は、写真の桜の木を、指でなぞりながら、そう言った。
「確かに、神がかってるね。でも、というか、やっぱりと言うか、あの小説出た時、色々叩かれてなかった?事実に基づいてって、違うだろって。それに負けない奈美はさすがだった。自分を曲げなかったものね。」
「まあね、アメリカの研究者が、美香の研究を証明してくれて、この事が事件を立証できたって言うのもあるし。そういう後ろ盾もあったから切り抜けられたけど。言う人は言うわね。でも、それだけ反響があったのは喜ばしい事。」
「奈美は、いつも前向きよね。ね、聞きたかったんだけど、小説では、あの後、久住先生と美香先生を復活させて、自分たちで裁判したよね。みんなで、思いの丈をぶつけたけど。なんで?」
「なんかモヤモヤとしたものが残ったから。でも小説書いたあとも、何かまだ何か違う気がしてたのよ。でも、こうやって、映像にしてみたら、何となくそれがわかったような気がする。結局、人って、悪者に対して、責めても、攻めても、何か変わるわけでもない。そんな事は分かってるけど、更に、攻め立てて自分を保とうとする。嫌な気持ちが残るだけの罪な正義よね。」
「罪な正義?」
博美は、珈琲カップを置きながら、そう言って奈美を見た。
「そうねぇ、例えば、言いたい事を中に詰め込んだ正義というボールに相手に投げつけるけど、跳ね返ってしまう。またそれを拾っては投げつける。一人が投げると、周りも感化されて投げるでしょ。相手がそのボールを受け取ったとしても、相手も、腑に落ちない正義というボールを、納得できるわけもなく、消化できずに、周りに、その残骸が散らばって残ってる。こっっちは散らばった残骸を集めて、再攻撃する気も起らず、溜め息をついてる。なんて、結局、一方的で、中途半端な正義は、キャッチボールにもならないってことかな。何てったて、向こうは純粋な悪だったんだからね。何投げても無駄だったのよ。周りを巻き込むだけ巻き込んで、何も成果なんてないもの。」
「そのボールの行く末をばかり追っていたら、もったいないわね。もっと冷静に考えられたら良かったんだけど。」
「そうね、起こってしまった事は、戻らない。ま、消えない過去と共存するしかないのね。」
「皮肉にも、それを、あの鬼美香が教えてくれたんじゃない?」
「そうね…。美香にどんなにボールをぶつけても、響かなかったわね。疲れるだけ、虚しさが残るだけ。他人の生き方を、ぐちゃぐちゃにした美香に対する怒りで、熱くなってたけど、自分をコントロールできなかったのは、自分だったんだよね。それを教えてくれたってことね。」
「奈美の場合はしょうがないよ。怒りが起こらない方が、おかしいわよ。」
「でもね、もっと、何かあったのかなあって。博美たちだって巻き込んでしまったしね。」
「人生の処方箋か、いい題だね。」
「誰?」
奈美たちの隣のテーブルで、背を向けて車いすに乗った老人が答えた。
「すまないね。この映画楽しみにしていた、ただのの老人だよ。」
「ねえ、何か怪しくない?まるで、どこかの山の仙人みたいよ。」
博美は奈美に耳打ちした。
その老人は、滑らかな口調で、勝手に話を続けた。
「生き悩んでる人に、生き方の道標を処方して、自分自身で立ち直ることを助ける。もし、人生の処方箋というものがあったら、私も、自分の本来の心を気づかせてくれる薬を処方してもらいたいね。嘘で固められた世の中にいると、自分の気持ちさえも分からなくなってるからな。どう生きるのか…他人に振り回されず、…てね。だが、そんな上手くはいかないのが人生。それでもいいんだよ。きれいなままの人生なんてね、つまらないからね。」
そう言うと、持っていた杖で、床をトンと叩き、老人は、力強く、更に持論を話し続けた。
「人は傷ついた時、絶望の中にいても、過去の体験から、自分と向き合い、自分で自分の修復方法を見出すことが出来る。ただ、過去を忘れることも人間だ。それでは、事が起こった時に対処できないかもしれない。そこで、どうするのか。灯しや診療所なんて無いからね。処方箋なんて、誰も切ってくれない。大事なのは、己を知る事だな。映画のように記憶を操作されなくても、時を経た記憶ほど、曖昧なものはないよ。幼い時の記憶も思い込みで成り立ってることもある。自分の誕生日でもいい。毎年、生まれてからの事を振り返る。別に反省などは必要ない。アルバムを見たり、その時の新聞を見る事でもいい、どういう音楽が流行っていたかを検索するのもいい。自分がどう生きてきたかを改めて刻んでいくと、自分で、たくさんの処方箋を切ってることに気が付くはずだ。そんな自分を信じる事が出来れば、強くなれる。波乱万丈な人生、何があっても乗り切れるだろう。偉そうに言ってるけど、私は、自分の修復方法を間違えた人間だ。欲に溺れ、自分に向き合う事もせず、逃げてばかりの人生だった。」
「でも、おじいさん、自分で自分を修復するって、人は一人では生きていけないわ。助け合ってこそ、生きていけるんでしょ。」
博美は、老人の背中に問いかけた。
「そうさ、生まれてから、死ぬまで、人の世話にならないと、人間って言うのは、人生を全う出来ない。」
「えつ、でも、おじいさんの言ってることって、自分の中で完結するってことでしょ。」
「そうではない。助け合いにも、他人を信じる事ももちろん生きていく上では不可欠だ。だが、君は、いろんな人との関わりの中で、嘘や真意を見分けることが出来るかい。人は残念ながら、他人を傷つけたり、騙したりする。その中で自分を守って行かなければならない。だから、落とされても、這い上がれる自分を作っておかないとね。その上で他人を信じることだな。」
「そんな、寂しすぎるわ。」
「だが、それが現実だ。」
「灯しや診療所のように、その処方箋とやらが、功を奏して、記憶が蘇ったとしても、あんなに素直に受け取る人がどれだけいるか。どう受け取るか、悪く受け取ったとしても、それが治療の効果だよ。正解はない。しかし、どんな結果でも、自分が、受け入れることが出来て、どれだけ納得できる事が大事なんだと思うよ。
人って、絶望感100%では生きていけない。絶望の裏で、どこかで希望や前向きな気持ちが潜んでいるもの。愛する人がが亡くなっても、悲しみばかりではないという事。どこかで高揚感もないと、葬式での立ち振る舞いなんて出来ないからな。極端な事言えば、泣きながらも笑顔になれるんだよ。そうでないとね、這い上がれないよ。」
「おじいさん、何者?」
「迎えが来たようだ。ただのおじいちゃんだよ。」
「先生、また、こんなとこで、講演会もどきしてたんでしょ。さ、行きますよ。すみません、この人、人生論を人の話すのが好きでね。昔の話が始まると、エンドレスなのよ。」
「あんなもの要らなかったんだよ。自分で切れるんだからな。人生の処方箋は。」
老人は、杖を高く挙げながら、そう言って去って行った。
「えっ、今、先生って…。言ってたよね。」
「もしかして…。生きてた…。まさか…。」
奈美と博美は、その老人の丸くなった背中を、目で追った。
女性が、老人の車いすを押していった先には、見覚えのある一人の女性が待っていた。
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