第16話 灯しや診療所のからくり。

「博美、今まで、ありがとね…。あなたには厳しい母親だったと思う。寂しい思いもさせたわ。それなのに母さんのわがままも聞いてくれて嬉しかった。この時間を私にくれて…。私はね、ここで、博美がいるところで、お迎えを待ちたかったのよ。こんな幸せな時間はないわ。ほんとよ。ありがと。」

 

 牧子は、白くなった手を博美に差し出し、息も途切れ途切れに、か細くなった声を震わせた。

 

「母さん、そんな事言わないでよ。私…ひどい娘だった。ごめんなさい。もっといっぱい一緒にいたいよ。いっぱい、話したいよ。私、母さんの娘で良かったよ。」

 

 博美は、牧子の手に頬をすり寄せて泣きじゃくった。

 

「ありがと。これで安心して、逝ける…。」

 

「お母さん…。」

 

 これが牧子の最期の声となった。

 

 

 

「奈美さん、母さん、死んじゃった。」

 

 

 その2日後、そう泣きながらしてきた博美からの連絡に、奈美はすぐに博美の元へ向かった。着いた時には、すでに直哉の母の山村美津子や、親戚の女性たちが慌ただしく、通夜の準備で行き来していた。

 

「奈美さーん。」

 

 玄関を上がると、博美が子供のように泣きながら奈美に抱きついてきた。

 

「博美さん、あなた、よく頑張ったわよ。最期に、しっかりした姿見せてあげないと。ねっ。」

 

 奈美は博美は抱きしめ、背中を摩った。

 

 

「あの、すみません。」

 

 一人の男性が訪ねてきた。

 

「こちら、安藤博美さんのお宅でしょうか。」

 

「はい、私ですが。どちら様でしょうか。」

 

 博美は、ハンカチで涙を拭きながら、膝をついて答えた。

 

「すみません、こんな時に。私、浜本賢と言います。美香の夫ですと言った方がいいかもしれませんね。」

 

「先生ですか?」

 

「そうです。お母さんの、治療のお手伝いをしたことがあっって。」

 

「はぁ、そうなんですね。でも、何故ここに。ま、ちょっと立て込んでいますが、上がってください。」

 

 浜本は、博美の母が横たわる、和室に通された。

 

「お母さん、きれいで、穏やかで、優しいお顔されてますね。やっぱり、娘さんの元で、過ごされたせいでしょうか。」

 

「ありがとうございます。母はここでの最期を強く望んでいたので、良かったと思います。」

 

「実は、私は在宅での終末期を推奨している一人なのです。主治医の先生は、あまり前向きでは無いようでしたが、何度も話を重ねて、私が在宅でのお看取りを推したんです。賛否両論ありますが、この穏やかなお顔を拝見させていただき、お母様にとっては、これが良かったのだとホッとしました。」

 

 二人の会話に奈美が、お茶を持って入ってきた。

 

「あの、浜本先生。今日は、奈美さんのお母さんの話だけではないですよね?場所変えませんか?博美さんどこが良い?」

 

「じゃあ、狭いけど、2階の私の部屋で。」

 

 博美と奈美はベッドに腰掛け、浜本は、椅子に座った。

 

「あなたは、水口奈美さんですね。あなたの言うとおりです。この前、美香が、博美さんに怖い思いさせてしまって、すみませんでした。こんな時になんだと思ったのですが、謝罪も兼ねての訪問です。」

 

「えっ、何故、私の名前を知ってるんですか?」

 

 奈美と博美は顔を見合わせ驚いた。

 

「高野さんと言う人もね。あなた方の、妙な動きがあるってことを美香から聞いてたので。」

 

「何を言ってるんですか?なんだかストーカーみたいで怖いんですけど。だから、なんで私たちの事を知っているんですか?」

 

「すみません。分かりました。奈美さん、あなた方3人は、灯しや診療所に行きましたね。夢の中でですが。」

 

「えぇ、なんでそれも、知ってるんですか?こんなこと誰も知らないと思ってました。」

 

「あれは、うちの美香が企てた事なのです。」

 

「はぁ?どういうことですか?」

 

 今度は博美が前のめりになった。

 

「美香は催眠療法をもっと進化させた、人それどれの記憶を夢でコントロールできるという研究をしていて、ただ、倫理的に問題があるため、発表には至っておりません。眠った記憶を呼び起こし、悩みを解決すると言うより、その時の考え方や、自分に生き方について見直すという、心理的な治療に役立てるように、という研究です。倫理的と言ったのは、記憶を消したり、違った記憶を植え付けることも出来るからなのです。」

 

「そんな怖い事できるの。えっ、じゃ、私たちは、その研究の実験台?でも何故この3人なの?」

 

「実験台と言われても仕方が無いですね。何故あなた方3人なのか。そこまでは、美香も話してはくれません。おそらく、何か共通の何かがあるのかもしれません。」

 

「夫婦なんでしょ?肝心なことなのに。」

 

「形だけね。名字を変えたかったみたいで。」

 

「そんなんで、結婚したの?」

 

「普通は変に思うかもしれませんね。自分はこの研究にはあまり乗り気ではないので、監視役といったとこでしょうか。けっこう、突っ走ってしまうところがあるので。放っておけないんですよ。」

 

「答えになってないけど。まあいいわ。それで、私たちの事はどこまで知っているんですか?」

 

 奈美の頭の中は不信感しかなかった。

 

「灯しや診療所の中で、どういう夢を見たのかは、だいたい把握してます。ただ、水口さんだけ、何故かプログラミングとは違った体験になってしまってて、記憶をコントロールできないようでした。」

 

「あの、ごめんなさい。話違うんですけど、私は、美香さんの姪ってことはありませんか?」

 

「いいえ、そんなことは一度も聞いておりません。確かに似てはいますが。何故そう思うんですか?」

 

 奈美は自分の記憶と実際が違うことと富山で聞いたを話をした。

 

「なるほどね。でも私からは何も言えません。彼女はあまり、幼少期の事は話さないので。」

 

「そうですか…。でも何故、私たちに、こんな事話すのですか?ネタバレを話すなんて、腑に落ちないと言うか、浜本先生が、ここへ来た理由が今一つわからない。」

 

「最近の美香の様子がおかしくてね。理由は分からないが、あなた方が、何やら調べてるのが、美香にとっては面白くないらしい。あなたたちに何かするかもしれないと思ってね。」

 

「調べてるって、美香さんとの接点は、あの一回だけなのに。」

 

「どこかから情報があったのかもしれないね。本来なら、記憶をコントロールをして効果があるかどうかを評価をして終わりって事みたいだったんだけど。」

 

「効果ってどうやって評価するの。」

 

「また呼び出すつもりだったようだよ。」

 

「それが終わったら、本人の承諾もなく勝手に実験台に使っておいて、あとはポイってこと?」

 

「そういうことだ。だから、こんなことおかしいって自分は反対した。どこかに訴えることも出来たが、里香はこのことに命かけてるから、譲らなかったよ。それで、なるべく研究の内容を教えてくれることで、訴えないことにしたんだ。」

 

「ひどいわよ。そんなこと。別のやり方あったと思うわよ。」

 

 荒げた奈美の声に、高野が声をかけてきた。

 

「姿が見えなかったから、聞いたらここだって。どうしたの。大きな声で。」

 

 興奮したままの奈美は、浜本の話を繰り返した。

 

「なんだ、それは。自分たちは、まんまと、その危険な研究の実験台にされたって事か?」

 

 高野もいつになく強い口調になった。

 

「すまない。だから、その謝罪と、あまり追求をしない方が良いと、お願いにきたんだ。もちろん、安藤牧子さんにも会いに来たかったのもあるけど。」

 

「でも、私が、本当は誰なのかが分かったら、美香先生の都合が悪いことが分かったわ。引っ込めませんよ。直に会って、話したいくらいよ。」

 

「困ったな。奈美さん、あなたが、美香のプログラミングの通りに行かなかったのが、何故なのかは分からないが、今度こそ、記憶消されてしまうかもしれないよ。」

 

「そんなことは、させないわ。それを監視するのが、あなたの役目なんじゃないの?それにあの灯しや診療所の神代って医者、あなたの病院にいるでしょ。美香さんが関わっていたみたいだけど、今の話だと、意識が無いのは故意に眠らされていると言うこと?あの人も実験台の患者なの?」

 

「いや、それは分からない。確か、あの神代役の患者は、美香と昔からの知り合いで美香を頼ってきたと聞いたことはあるが。」

 

「役?実際に医師ではないの?」

 

「すみません。それも分からない。」

 

「博美さん、ちょっときて、葬儀屋さんが来たから、打ち合わせしないと。」

 

 博美を呼ぶ美津子の声がした。

 

「博美さん、こっちはいいから、打ち合わせ行ってきて。」

 

 博美が立ち上がり、階段を降りていった。

 

「じゃ、自分も、お母さんのお顔見てきて良いかな。」

 

 高野も行ったあと、浜本に言い放った。

 

「美香さんに、言ってやって、私、いつでも話するからって。」

 

「ここへは、美香に内緒でいたからな。来たことが分かれば、自分にも隠すようになるよきっと。美香の行動注意しておくよ。何かあったら、連絡することにする。」

 

「なんか、じれったいけど、分かったわ。」

 

 

 奈美の携帯が鳴った。華からだった。

 

「ねえ、ニュース見た?」

 

「ニュース?見てないけど。何かあった?」

 

「富山の山中で、幼児くらいの白骨が見つかったって。」

 

 奈美は気が遠くなりそうだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る