第7話 母、「リカ」という記憶。
「商店街の名前、なんてったっけな。あぁ、思い出せない。」
水口奈美は、あの夢で見た母親が襲われたかもしれない場所がどこなのか気になって仕方がなかった。
母にに聞く事も頭に過ったが、気持ちの中での何かが、それを阻んでいた。
父親は、水口雅之 母は、由美子。それぞれに再婚している。今の母は、藤井由美子。
由美子は自分の本当の母親『リカ』の友人という事であったが、これまで、一度も母からその名前を聞いた事はない。死んでいたとしても、墓参りの記憶も全くなかった。あの夢の話も本当なのかも、分からない。何しろ、夢の中で知ったことが、果たして真実であると理解する方が無理があった。
そう頭の中を巡らせていた奈美は、あのあやかし的な体験が、今は遠い幻想のようにも思えてきた。
私は、全く的外れな事をやっているかもしれない
しかし、奈美は、自分の過去を追う事を止めなかった。
現実逃避…かも。
奈美が保育園の頃の1995年前後の事件を、ネットで色々と検索をかけるが、それらしい記事は見つけることが出来なかった。
図書館か、過去の新聞が閲覧できるはず…。
思い立った奈美は、滅多に休まない会社を、体調不良という事にして休んだ。
会社のネズミたちに、何を言われようが奈美は、もう気にしなくなっていた。
図書館では、新聞が年代別に製本されている。
けっこう分厚いな…。三面記事だよな…。
1993年から1997年と幅を広げて、閲覧してみた。
新聞を読むことに慣れていない奈美には、少々、時間がかかってしまった。
3時間。この静かな空間は、奈美を集中させた。
しかし、この辺りの事件ではないのか、それらしい記事は見当たらなかった。
地方の新聞の閲覧か…。いつまでかかるのか。
気か付けば、午前中に来てから、もう昼を過ぎていた。
奈美は図書館を出た。
降りそうで降らないな…。
見上げた曇り空が、この中途半端な奈美の気持ちを表しているようだった。
「肩凝ったあ。」
奈美はそう言いながら、思い切り背伸びをした。
ふと目を開けると、向かいの建物が目に入った。
目の前は市役所。戸籍…そうだ、自分の戸籍を調べればいいんだ。
適当な理由を記入し戸籍謄本を取り、奈美は、早速、休憩コーナーで確認をした。
本籍は父親の水口雅之の実家のある、富山になっている。
母親の由美子と私が、雅之の戸籍に入籍したのが、同じ日の1994年10月。
という事は、私は母の連れ子だったという事?それに私は由美子の元で生まれたことになっている。
『リカ』と言う名前はどこにもない。何度も見直したが、記載は無い。
私の出生届も由美子になっている。本当の父親の名は無い。
未婚の母で私を産んで、あの事件後に父雅之と子連れ結婚したという事になる。
あの夢で、私はいったい何を見ていたのか。
母の名前は、リカちゃん人形の「リカ」。記憶は確かにあるのに…。
分からない…。
あぁ、寒気がする。本当に体調不良だ。
帰ってから、奈美は高熱を出し、唸っていた。
眠りにつくと何度も夢の中で同じ場面に自分がいる。熱にうなされて見る夢は、その時にある不安が悪夢となって現れることが多い。
そう、あの男に襲われる場面だ。母が覆いかぶさってくる。かすかに記憶に残っている母の匂い。
でも顔が分からない。あの夢の中では思い出していたのに。
目が覚めた。全く眠れた気がしなかった。
まだ、熱がある。
さすがに、この怠さと身体の痛みは厳しい。
病院のあの臭いは吐き気がするほど、嫌いである。しかし、身体のしんどさは悪夢となって私の眠りを支配する。もはや、ベッドは心身の安楽を提供してくれる場所ではなくなってしまうのだ。
ここは、医学の力は必要だ。
とはいうものの…待ち時間は地獄だ。たった一分が永遠に感じてしまう。
「奈美さん、奈美さんじゃない?」
うなだれる奈美に後ろから声をかけてきた女性がいた。
「あ、博美さん、その格好。」
「そうなの、私、看護助手として、働きながら看護学校行こうと思って。ここなら、学校の受験勉強も指導してくれるって言うから。それに、ここに母も入院してるの。」
「そうなんだ、博美さんは、治療後のリハビリね。お母さんの事も大変だけど。」
「奈美さん、さっきから、辛そうな感じだったけど大丈夫。」
「熱が出てね。しんどくて、あの夢ばっかりリピート状態よ。」
「そうなんだ。ゆっくり、話したいけど、またね。」
「ありがと。」
待って待たされ…インフルエンザ。
そんな気がしてたわ。
奈美は内服薬をもらい帰宅した。
しんどいけど、会社が休める立派な理由が出来たからいいか。
奈美は、なかなか寝付けなかった。
「リカ」は、本当の母?亡くなったのかもわからない。
奈美はいつの間にか、眠りに落ちていた。
大きな桜の木だ。
山が見える。桜の木の側には、自分の倍はある大きな岩。
この岩登って、ミイばあちゃんに、私よく怒られてたんだ。
ほんとに、ここどこなのよ…この場所。
桜の木か、さくら、桜のマークの旗がひらひらしてた。私が、あの旗が欲しいって、ミイばあちゃんにねだって叱られたんだ。さくら商店街。そうだ、さくら商店街だ。
ミイばあちゃん、叱ってくれてありがとう。
はっと目が覚めた奈美は、忘れないうちに、すぐメモをした。
次の日、朝食も食べずに、奈美はパソコンに向かっていた。
山が近くにある商店街がいくつか見つかった。画像検索もしてみた。
どこも、なんか違う…。無いのかな…。
奈美は体調も戻り、じっとしていられず、可能性は低いが、一つの商店街に行って見ることにした。
電車を乗り継いで降りたそこは、田舎町ながらも、駅前は賑わっていた。
確かに、商店街側から、駅を見た時、駅舎の後方に遠く山々の頂きを眺めることができるのだが、こんなに大きな商店街ではなかったような気がする。
違うよな…。桜の木はあったが、ここは桜並木だ。
病み上がりの疲れからか、足取りが重くなってきた奈美は、目に入った喫茶店に入ることにした。
木板を張り合わせたような手作りの看板に手作りの手書きで『珈桜(kaou)』と書かれている。栗皮色の背景に桜のペイントが目を引いた。
奈美は珈琲を飲みながら、壁に掛かっている桜の写真を見ていた。
桜吹雪の中に桜並木か。
きれいな写真。商店街の名前にもなっている通りに、桜が名物なのだろうな。
ここではないのはハッキリしていたが、一応聞いてみた。桜商店街繋がりで何か知ってるかもしれない。
「すみません、25年ほど前に、桜商店街で、子供が襲われた事件があったこと聞いたことはありませんか?」
「25年前も前ですか。聞いた事はありませんね。」
対応してくれた店員は、そう言って、年配の女性店員を連れてきた。
「ここでは、ありませんが、聞いた事はありますよ。テレビのニュースで同じさくら商店街って言ってたので、ビックリしましたけど。」
「その場所って覚えてますか?」
「場所ですか。どうでしたかね。それはさすがに覚えてませんね。ここは、桜の見ごろはもう過ぎてましたけど、事件のあった場所は、これからだって言ったの覚えてます。寒い地方なんじゃありませんかね。これから良い季節なのに、嫌な事件が起きてお気の毒にって思ったもの。その場所が、どうしたんですか?」
「その時の子供なんです。私。小さい頃なので覚えてなくて。急に知りたいと思ったものですから。親も、もういなくて。」
「あら、そうなの?まあ、で、ここに来たの?」
奈美はオブラートに包むことを知らない。
「そうなんです。」
「ごめんなさいね、力になれなくて。もうだいぶ前だしね。」
「いえ、いいんです。ありがとうございます。」
女性の店員がその場を離れようとした時、写真を見ている奈美の視線に気がついた。
「この桜の写真、日本中の桜の写真撮ってる人で、河西さんていう人が撮ったものなんですけど、ここによく来るんですよ。そうねえ、60歳くらいだから、25年前の事でも何か知っているかもしれないですね。聞いてみましょうか。」
「ほんとですか?お願いします。」
連絡先を交換して、帰宅した。
北の方のさくら商店街か…。
奈美は、久しぶりにゆっくり眠れた。
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