第2話  灯しや診療所

 翌日、水口奈美は電車を降り、サイトの情報を見ながら、乗り継ぎの乗り場を探してた。 

 

 なんだか分かりづらい。   

 

 一旦駅を出て、林の中へ向かった。 

 

 ここ?こんなとこに入って行くの?

 

 草に隠れて見逃してしまいそうな「山の駅」と書いてある道しるべが立っている。 

 

 幾人かの足が踏みしめたであろう草むらの分け目が、かろうじて道としての役目を保っている。

 

 怪しいと思う気持ちと、いやいや大丈夫という楽観的な気持ちとが、自分の中で軽く押し問答しながら、奈美は道林の中を進んでいった。

 

 五分ほど歩いただろうか、少し開けた場所に出た。開けたといっても、舗装も何も人の手が入っておらず、草むらが生い茂った中に、そのひなびた小さな駅舎は建っていたのだ。

 

  この駅、ほんとにやってる?まるで幽霊駅舎みたい…。

 

 駅舎の中に一歩足を踏み入れた。

 

 奈美の足が止まった。

 

 2人の先客がいたのだ。奈美は、自分以外にも人がいた事に驚いた。

 

 駅員はおらず、無人駅の駅のようだ。  

 

 切符はどこで買えばいいんだろう。窓口も券売機もない。  

 

 水口奈美が、あたりを見回していると、1人の女性が、声をかけてきた。 

 

「あの、電車もう、そこに来てます。なんか、お金いらないみたいですよ。改札口もないですし。」  

 

 入口の正面のガラスの引き戸を開けると、そのままホームに出て行けるようになっていた。

 

「タダって…。ほんとに?あの、あなたも、サイト見て来たんですか?」 

 

「あ、そうなんです。怪しい感じだったんですが、なんか気になって。」   

 

 発車のベルが鳴った。  

 

 二人は慌てて、電車に乗った。車内は、光沢のある漆黒色をした木製の座席が、左右に中央に向かうように並んでいた。 

 

 水口たち女性二人は、その硬い座席に並んで座った。  

 

 女性というものは、なんだかんだで磁石のように、引っ付きたがる習性がある。奈美は久しく、そういった類の習性を一番嫌っていた。

 

 

自分もそういう輩って事か…。

 

 もう一人、サラリーマン風の男性が乗っていた。その白髪の男性は、目を合すこともなく、二人とは、少し離れて腰掛けた。 

 

 男はそうだよな。一匹狼を好む。小奇麗な身なりといい、シュッとした姿勢といい、どこかの社長って雰囲気だな。このレトロな車内の雰囲気によく似合う。

 

 三人の客を乗せた一両編成の電車は、音もなくゆっくりと動き出した。    

 

「音、静かですね。私、安藤博美と言います。」    

 

 そう、女性が声をかけてきた。今にも折れそうなほどの細身の女性だ。 

 

「私、水口奈美です。ほんと、なんか不思議な電車ですね。リニア乗ったことないけど、こんな感じですかね。あと何かジメジメしてません?」 

 

 水口は、死ぬことを考えていても、体裁はしっかりと取れる自分に、いくらかの抵抗を感じていた。

 

 死にたい自分が正しい自分。でも、ここに来た。水口奈美は葛藤していた。

 

「そうですね。林の中だからかしら。雨は降ってないようだけど。私、汗っかきだから、湿気は苦手なの。だから、いつもこうやって髪をあげてるのよ。」 

 

 そう言いながらハンカチで、結えた髪の束を持ち上げ、首回りの汗を拭っていた。すると、突然、向かいの窓に、奈美と安藤の姿が映った。

 

「トンネル?」

 

「みたいね。」

 

 窓に映った、自分たちの姿を見ていた奈美と安藤は、今度は、急な眩しさに目を覆った。

 

 車窓からの景色も車内も一瞬、光で何も見えなくなったのだ。

 

「えっ、何?停電なら真っ暗だけど、真っ白なんて…。」

 

 そう言った安藤が、汗と細身の身体のせいか、怯えているように見えた。

 

「大丈夫ですか?」

 

「ありがとうございます。大丈夫です。大丈夫です。」

 

 奈美の声掛けに、安藤は、止まらない汗を拭きながら、何度も頷いた。

 

 眩しい光は、霧のように柔らかな白い景色に変わっていた。そして、その白い景色に包まれたまま、電車はゆっくりと止まった。   

 

 電車を降りた3人は、見たこともない景色に唖然とした。 

 

 乗客の男性が、ちょっとよろめき、慌てて体勢を整えていた。 

 

 ここ、空の上?でも、立ってるよね。なんか、ふわふわしてる。雲の上に立ってる?空中に浮いているみたい。 

 

 青い空の上の一面の雲の中の上に立っているようだった。

 

「ようこそ、灯しや診療所へ。」 

 

 いつのまにか、ある1人の女性が、立っていた。

 

「あの人、浮いてない?」

 

「なんか、変な感じ。フリルのエプロンなんて、メイドさんみたいな恰好ね。」  

 

 水口と安藤はヒソヒソ声で話をした。

 

「私は、案内役の、赤野と申します。さあ、これから、診療所に向かいます。」 

 

 赤野が右手を挙げて言った。

 

「さあ、皆さん、眼を閉じて下さい。10秒数えますので、10秒経ったら、眼を開けてください。」 

 

 夢の中にいるみたい…。今からアトラクションに乗るみたいな気分。いや、こんな浮かれていてはダメだ…。

 

 奈美は、カウントの声がを聞きながら、そんな事を考えていた。

 

 

 

 1.2.3.…9.10。

 

「はい、眼を開けてください。」

 

「えっ、ここは?どこ?」  

 

 目の前には、こんもりとした森の中へ続く一本の道が。

 

 案内役の赤野の後をついて行くと、門が見えて来た。赤野が何やら門に向かって話しかけると、その鉄製の格子状の観音開きの門扉が、ギイーっと音を立てて、ゆっくりと開いた。

 

 中に足を踏み入れると、そこには蔦が絡まった古びた白木の建物が建っていた。近づくと意外と大きい。入口には、白木のたて看板に、灯しや診療所と、手書きで書いてある。 

 

 ここか。なんか、不気味。不思議の国の何とかみたい。

 

「さあ、どうぞ。」

 

 言われるまま、赤野に促され、3人は中へ入った。

 

 吹き抜けの広場の中央にはらせん階段が2階へと伸びており、床は朱色の絨毯が敷かれ、階段下には待合室のような広場、そこから左右にに伸びる廊下が各部屋へと導いていた。

 

 建物全体が白木で出来ており、古い小さな洋館といった具合か。

 

「蜘蛛の巣でも張ってそうな建物ね。お化け出そう。」  

 

 と安藤がつぶやいた。  

 

「今から、それぞれ、お1人ずつお部屋でお待ち頂きます。順番にお呼びしますので、お部屋でお待ちください。」  

 

 奈美が案内された部屋は、緑が基調の花柄の壁紙が美しく、アンティークなソファが目を引いた。奈美は、物珍しい調度品をじっくりと眺め、ゆっくりと、そのソファに身を沈めた。

 

「あぁ、気持ちいい。」

 

 こういうのが癒されるっていうのかな…。

 

 ノックの音がした。

 

「赤野でございます。」

 

 

 

 ドアを開けると、赤野が笑顔で立っていた。

 

「お飲み物は何になさいますか?」

 

 え、すごいサービス。ここって診療所だよね。

 

「珈琲でお願いします。」

 

 条件反射に、負けてしまった。

 

「かしこまりました。」

 

「あと、この問診票に記入しておいて下さい。」

 

 そう言って赤野は次の部屋へ行った。同じセリフが、隣から聴こえたのだ。

 

 問診票?そうだよな。ここは診療所だし。なんか調子狂うな。

 

  名前、年齢、家族構成、ここへ来た目的か。

 

 ―人生を諦めかけた女の悪あがき…。で、良いかな。

 

 あなたの一番大事に思うこと。そんなもん、ないな〜何も浮かばないし。

 

 -無し。

 

 病気のことなんか、1つも聞いてないじゃない。

 

 再び、ノックの音。

 

「水口様、診察の順番が来ました。ご案内致しますので、私についてきてください。」

 

「お二階にございます。お足元お気をつけて。」

 

 赤野の後について、ウォールナット色のシックな木製のらせん階段を登った。

 

「こちらでございます。」

 

 

 

 赤野はフリルのエプロンを着けていなかった。

 

 白衣みたい。看護師さん?何役も忙しいのね。

 

 診察室の中は、意外と普通だ。 机とカルテ?今どき、紙なんだ。パソコンも見当たらない。

 

よく見たら、壁一面に、細かな、四角い茶色い仕切りが何百とある。引き出しか。それぞれに番号を振ってある。

 

 

 

 昔の薬屋にあるような感じかな。でも数が半端ない。

 

「どうぞ、おかけ下さい。」

 

 うわ、じいさんだ。七十はいってるな。

 

「神代白一郎です。水口さんですね。えっと、会社の人間関係ですか。大変ですね。よく頑張ってますね。 趣味は…無いのですね。 」

 

「はい。子供の頃は、よく走り回って、身体動かすのが、好きだったようですが、スポーツする気も起こらなくて。最近、どう生きていいかもわからない。」

 

「子供の頃の事はよく覚えてないのですね。それで、ご両親は? 」

 

「そこには書きませんでしたが、母親が再婚して、私以外の家族で離れて住んでます。父も再婚してるので、私は一人暮らしです。 」

 

「最近、どちらかには会いましたか?」

 

「母親の方に会いました。向こうから連絡があって。特別用事も無かったようですが。」

 

「 お母さんは心配なさってるのでしょうね。 」

 

「どうですかね。母は自分には、あまり関わりたくないみたいで。」

 

「そうですか、祖父母にあたる人は。」

 

「もう、だいぶ前に亡くなってます。自分、中学生のころには。どっちの祖父母も。」

 

「なるほど。 では、そちらの方に横になってください。」

 

 寝台に促され、仰向けになった。

 

「あの、身体は悪いところはないですが。」

 

「身体は診ません。こんなじいさんに触られたくもないでしょ。」

 

 医者が言う事じゃないし。って仕事でしょうが…。それに、何かもっと聞くことあるでしょ。上司の事とか、同僚の事とか。

 

「そのまま、天井を見てください。何が見えますか?」

 

「なんか、これ何ですか?おばあちゃんの写真?あ、違う。私の口の動きと合ってる。どうして?」

 

「鏡だからね。」

 

「はぁ?だって、これ。」

 

「今のあなたの姿ですよ。」

 

「うそっ。」

 

「お疲れという事ですね。」

 

「この、怖い顔のおばあちゃんがですか?」

 

「そう見えますか?」

 

「はい、こんな酷い顔なんだ。」

 

「私には、そうは見えませんよ。きれいなお顔なさってますよ。その鏡は、心の疲れが映るんですよ。」


「へえ、まるで魔法の鏡ね。」

 

「それではっと。」

 

 神代は、重たそうな自分の身体を立ちあげた。 よろつきながらも、赤野が下で支えるハシゴを登り、上の方の引き出しから、厚みのある黒いカードを取り出した。

 

「はい、 23番 これが良かろう。これを無くさないように持っていてくだいね。これ処方箋なので。」

 

「はぁ、わかりました…。」

 

「また、ご案内いたしますので、お部屋の方でお待ちください。」

 

 赤野にそう言われた奈美は、物足りない気持ちのまま部屋へ戻った。

 

 部屋の窓の外は霧がかかり、木に陰に、鹿のような動物がいる。こっちをジッと見ている。さっきの爺さん先生にどこか似ている。

 

 なんだろうかここは。 携帯もつながらないし、よほどの山奥か。

 

 ノックがした。

 

「それでは、広場に皆様お集まり頂きますので、来てください。」

 

 3人は集められ、赤野が説明を始めた。

 

「今から、バスに乗って頂きます。」

 

「バス?どこか行くの? そんな時間無いですよ。」

 

 安藤が焦って聞いた。

 

「いえ、 すべてのコースは一時間で、戻ってこれます。」

 

「コース? はい、それその処方箋に則ったコースです。詳しいことは、バスの中で説明します。」

 

 赤野を先頭に、森の中の道を戻り、道に出た。さっきの道?違うような気がする…。

 

 バスが来た。

 

 これまた、レトロなバスだわ。


 昔のボンネットバスのようなシルエットである。

 

 三人はと赤野はバスに乗り込んだ。

 

 

 赤野はバスガイドのごとく、運転手の横で、座席に向けて説明を始めた。

 

 今度はバスガイドか…。色々大変だね、この人は。

 

「さて、これから皆様には、その処方箋の指示によって作られた世界で体験をしていただきます。

 

 実は、今、皆さんは夢の中なのです。それぞれの頭の中に隠された、記憶の中の旅に出かけてもらいます。ですから、登場人物は知ってる人が出て来ます。亡くなった方の特別出演もあります。でも、あくまでも記憶の中での物語です。ストーリーはあなた自身が作っていきます。先生の処方箋は、映画のセットと、キャストを提供するだけなのです。主人公と監督ははあなたなのです。そして、その効能は、あなた方自身が変わることができる事です。」

 

「よくわからないんですが、今、私たちは夢を見ているって言う事ですか?この三人が同じ夢を?」

 

「さようでございます。バスを降りれば、それぞれの違う夢が始まります。」

 

 男性の手が挙がった。

 

「この体験で、夢から覚めるのはいつになりますか?」

 

「一時間後には目が覚めます。ただ、夢の中の時間は無限です。どういう事かというと、夢の中で10年間いたとしても、現実世界では1時間です。ただ、副作用があります。注意が必要です。10年間、夢の中にいたら、10年分年を取ります。現実に戻った時には、1時間で10年老けて戻ってきてしまいます」

 

「これまでにそういった方いたんですか?」

 

「いましたね。私は知らないのですが、そういう人がいたと聞いております。夢の中が居心地が良くて、10年間も夢の中にいたそうです。戻ってきてから家族に自分を認めてもらえなくて、元に戻せないかと、再び先生のもとを訪れた方が一人だけいました。」

 

「どうなったのですか?」

 

「それは出来ませんので、その方、そのままお帰りになられました。その後どうなったのかは、存じ上げませんが。」

 

 三人は無言になった。

 

「そんな事は滅多にありませんので、しっかりと自分を持っていれば大丈夫ですよ。

 

 

 では、今から、処方箋をこちらで処理をします。この葉書ほどの大きさのケースに処方箋のカードを差し込むと、横から光が出ますので、腕に当てさせていただきます。腕にはあるマークが付きます。人によって違うマークです。これは夢の中では消えません。夢から覚めると、薄くなっていきます。

 

 十分に効能が発揮できた時点で、そのマークに色が付きます。それが、確認できたら、今から降りるバス停に戻ってきてください、その時点で夢は覚めます。さっき言った方は、10年間、バス停に来なかったのです。それで10年も夢の中にいたという事ですね。」

 

「自分がもう、帰りたいと思った時には帰れますか?」

 

「そう、思えることが出来ればマークの色変わりますよ。」

 

「では、よろしいでしょうか。」

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