週刊・三題噺

早瀬 コウ

コメディ

お題:木刀、雨、王子

恋人は

 尾崎巡査は今ひとつ緊張できなかった。


 さびれた商店のシャッターには、くすんだ色の天幕が突き出ている。いまはそれに雨音がパタパタとつまらない音を立て、足元には肩幅より少し広いくらいのコンクリート床だけが濡れずに残されている。


 そんな狭っ苦しい雨宿りの店先に、尾崎巡査ともう一人の男がいた。


 男はだらしない肉付きに英字がプリントされたTシャツ、そして中高生の好みそうなカーキのハーフパンツを身につけている。ファッションへの興味は薄そうだが、刈りそろえた短髪を見れば、近所のコンビニに酒を買いに出る気の抜けた格好かもしれないと思わせるところがある。


 しかしそうした身体特徴などおよそどうでもよいことだった。


 いま最も重要なのは、その男が尾崎に向けて木刀を構えているということだ。


 その木刀には、レース細工の施されたワンピースめいた衣装が着せられていた。


 風が一つ吹いて雨が足首を濡らしたと思うと、ワンピースがひらひらと揺れて、男は慌てて木刀のスカートを押さえた。



◇◇◇



 傘を二つ抱えた男がシャッターを下ろした商店の軒先で雨宿りをしていた。尾崎巡査はその男が気になったわけでもなく、ただ急に降り出した雨から身を隠し、合羽を取り出せる場所を求めたに過ぎなかった。


「ひどい雨ですね、急に」


 他愛もない声かけに、男は首をすくめるような相槌を返す。警察官に声をかけられて萎縮する人は珍しくもない。


 自転車のケースから畳まれた雨合羽を取り出す。横風がざっと吹いて足元を濡らした。


「傘あるなら早く行っちゃった方がいいかもしれませんよ、ここじゃ吹き込んでくるみたいです」


 男が後生大事に抱えている傘に目を落とす。


 木目が見えた。


 ——木目?


「友達を待ってるんです」

「なるほど」


 雨合羽を頭から通すと、帽子に被せるビニルを取り出す。肩口の無線機に通信が入った。


『付近に日本刀を持った不審人物アリとのことパトロール注意されたし、どうぞ』


『こちら尾崎、日本刀の不審者了解、どうぞ』


 そう口にしながら、尾崎は眼を細める。


 男の背の曲がりと肉付きを見るに、スポーツは高校以来からっきしというところだ。腕の立つ人物には思われない。何か事情があるのだろう。注意で済ませられるといいが。


「ちょっといいですか」


 男はようやく目を合わせる。


「その傘、見せてもらってもいいですか」

「ダメです」


 ダメときた。しかし幸いにして男の刀は何か布を纏っている。つまり直ちに引き抜いて攻撃してくる危険性はない。


「それ、傘じゃありませんよね」


 男は両腕で木目の棒を抱きかかえて隠し、もう片手で他方の棒を示す。その手元には見慣れた曲がりがある。


「傘です」

「いえ、いま隠した方」

「……」


「見せてもらえますか」


 男はしばらく身動きひとつせず考えを巡らせた。その末に、ひとつ息をつくと思わぬ返答をする。


「恥ずかしいって言うんで、ちょっと……」


「は?」


 男はため息交じりに首を小さく振って、世話の焼ける警官だとでも言いたげに体を少し寄せて小声で続けた。


「いえだから、雨で濡れてちょっと透けちゃってて恥ずかしいって」


 まるで誰かに聞かれないよう配慮でもしてみせたような、満足げな顔で「ね?」と同意を求める。まるで事情を推し量れない尾崎の方こそ鈍感だとでも言うかのように。


「ええと……貸して」


 手を伸ばすと、男は背を向けて拒絶した。


「いくら警察だからってね! 人の恋人を貸してなんて、そういう破廉恥ハレンチな発言をするのは許せませんよ!」


 響き渡る大声のあと、雨音。


「……は?」


「だ・か・ら! いくら警察だからってね!」

「いえ、いいです、聞こえてます。じゃあそれは、あなたの彼女さんなのね」


 どうやらおかしな男らしい。こういうときには話を合わせてあげた方がうまくいく。


「はぁーーっ」


 しかし尾崎の配慮にも関わらず、返ってきたのは失望感を隠しもしないため息だった。


「お巡りさん、いまどき男性の恋人が女性なんて前提で話すのは差別的ですよ」


 いちいち人を苛立たせる男だ。


「ごめんなさいね、じゃあ……彼氏でいいのかな?」


「いいえ、ボクトウです」


「ボクトウ?」


「ボクトウ」自信満々だ。


 尾崎巡査は手を頬に当てそうになって慌てて下ろした。

 男性、女性、LGBTあたりまでは尾崎も知っている。しかし『ボクトウ』という性自認はついぞ聞いたことがない。というか、ボクトウと言えば木刀ではなかろうか。


「ボクトウって、あの木の刀の?」

「そうです」


 なるほど奇人だ。尾崎は合点した。


「じゃあ君は木刀と付き合ってるわけね、比喩じゃなく」


 明らかに常軌を逸した設定だが、本人がそう思い込んでいると言うのなら、精神疾患の兆候があると考えてよい。そうであれば、他人に危害を及ぼす恐れもある。少なくとも警察署で身元を確かめて、誰か引受人を呼ぶなどの処理はするべきだろう。


「はい、真剣です」


「いや、真剣ではないよね?」


「いいえ、真剣です」


 尾崎の手は腰のピストルに伸びていたが、すぐに互いの誤解に気がついた。


「君の恋愛感情は真剣かもしれないけど、少なくともそれは木刀でしょ」

「なんですか、木刀が真剣じゃないって言うんですか!?」

「うん、真剣だったら銃刀法違反になるから」

「警察官ってそうやって権力を振りかざして僕たちを抑圧するんだ!」


 尾崎は右手をピストルに置いたまま、左手で制する。


「いや、気持ちは真剣で、真剣なお付き合いはしてます、はい、それはいいよ。でも木刀には刃がない! 真剣じゃない!」


 男は不思議そうな顔をして少し考えると、気まずそうにヘラヘラと笑う。


「……なんだそういうことか。もうお巡りさん、紛らわしいこと言うんだから」


 どっちが言ったんだか知れない。


「……でも恋人だからって、やっぱり木刀を連れてると驚く人も多いでしょ」


 いったいどういう世界観で話しているのやら、尾崎は目眩めまいのするような心地だった。


「友達はみんなわかってくれてますよ」

「そりゃあ友達はねぇ……でもさっき通報があったみたいで、日本刀だと思われて怖がった人がいたみたいですから」


 そもそも木刀の単純所持は違法ではない。しかしいつでも使える状態で持ち歩いていれば危険性が高いとして逮捕も妥当と判断される。悪気がなかったとはいえ、相応のケースに入れてすぐには取り出せない状態にするよう指導する必要があった。


「見えちゃいますよね、ほんとに綺麗だから」


 男は言った自分が恥ずかしいとでも言いたげに手で顔を隠し、次には木刀を撫でる。


「いちおうね、あなたが木刀を所持していて、持ち歩くことがあるっていうことは記録しておきたいので、何か身分を証明できるものはありませんか」


「身分を……証明……?」


 男は眼を丸くして硬直した。また何か別の意味になってはいないかと尾崎も頭を巡らせたが、そうした意味は何も思い浮かばない。


「しょうがないですね……」


 男は大切に抱えていた木刀の柄を握ると、極めて緩慢にそれを正面に構えた。


「太刀筋を見れば、僕が何者か、自ずと知れましょう」


 警察学校で剣道をしていた尾崎巡査にとってみれば、その構えはあまりに隙が多く、自分がピストルに手をかけているという事実に苦笑してしまうほどだった。


 ◇◇◇


 そうして冒頭の状況に至る。


 木刀の着せられたレースのワンピースを見るに、明らかに男は木刀を女性として遇していた。そして尾崎にとって予想外だったのは、ワンピースは刃先の方がスカートではなく、刃先の方が首になっていたことだった。もちろんその両脇にある袖口には何も通っていない。

 これをケースと見なすのかは非常にデリケートな問題だった。


「えーっと、公務執行妨害になりますが、今ならまだ許します」

「この僕の太刀筋を見れば!」


 左手で木刀を軽く弾くと、男の体はよろよろと雨の中に出る。慌てて木刀を胸に隠して、くすんだ天幕の下におずおずと戻ってきた。


「それはセクハラじゃないですか」


 男は小声で不満げに漏らしたが、尾崎は一切反応しないことにした。


「何か身分を証明できるものは? 免許証とか、マイナンバーカードとか」

「僕の太刀筋を……」

「それはもういいから」


 男はカバンから財布を取り出して、中から何かカードを取り出す。ラミネート加工された安っぽいカードは全体にピンク色で、顔写真は掲載されていない。名前は『宮本小次郎』と書かれている。

 そしてその右下に……


「これじゃダメだね、これジムの会員証でしょ」


 安いフォントで『ムサカスポーツジム』と書かれていた。


「はい、ここをまっすぐ行って二つ目の交差点を右に行ったところにあって、もう2年は行ってないんですけど」


「ほんとだ、2018年で期限切れてるじゃない」


「やろうと思ってもやっぱりきつくて」


「知らないよ! 警察に期限切れのジムの会員証出す人がいる!? きみナメてるよね? あとこの『宮本小次郎』って絶対偽名でしょ」


 古びた会員証を指で叩きながら押し付ける。


「そうなんですよ、ヘヘッ……剣豪宮本武蔵の5代目の子孫でフフッ、通してます。みんなが『剣豪さん』とか『武蔵さん』とか言ってくれて……プフッ……絶対ウケるネタなんです」


 半笑いで言わなければ多少の面白みもあったのかも知れない。しかし状況を選んで言うべきという条件、そして宮本武蔵の時代からは間違いなく5代以上過ぎているというリアリティの無さなど改善点は山ほどある。しかし尾崎が指導するのはジョークセンスではなく木刀の運搬方法だ。


「で、身分証」

「あ、はい」


 見慣れた免許証が出てきた。『吉田春生 34歳』……警察手帳を取り出して番号をメモする。住所は尾崎の管轄内、すぐ近くのようだった。


「はい、じゃあ吉田さん。その木刀ね、ちゃんとケースに入れないと、次は逮捕しないといけなくなるから。家は近いみたいだし、友達が来たら一回入れ物を取りに行ってから出かけてください」


「恋人をケースに入れてデートをしたことがありますか」


「女性をケースに入れたことはないけど、木刀ならあります。それが紳士のマナーです」


 実際、尾崎は警察学校時代に何度か竹刀や木刀を持ち運んで武道館に通っていた。真剣を使うことはなかったが、渡されれば多少は使えるかもしれない。


「……マナー」


 鳩が豆鉄砲を食らったような顔とはこれのことを言うのだろう。目を丸くした吉田春生は再びワンピースの木刀と向かい合い、ブツブツと謝罪らしきことを始めた。思いの外理解が早かったようで尾崎は安堵する。


「ごめん、ヨッシー、雨で遅れちゃった」


 雨の中から女性の声がした。華やかな赤色の傘をさした女性。ショートカットで花柄のブラウスにキュロットスカート。黒のハイソックスにそう高くないヒール。表情や話し方を見るに、まだ高校生か、あるいは大学生といったところか。


 しかし問題はその手に抱えられたもう一本の棒だ。

 嫌な予感がした。


「あれ? お巡りさんこんにちは! ヨッシー何かしたの?」


「ええと、お姉さん。その抱えている棒は……」


 尾崎は恐る恐る口にする。


「え? ああ、こちら私の王子様です!」

「キョウコちゃんも仲間で……」


 吉田が補足する。


「なるほど、ええと……王子様なら彼氏でいいのかな。ええと、吉田くんにも言ったんだけど、そういうものは人目につかないように必ずケースに包んで……」


「ああ、大丈夫ですよ! たしかに私はまだ高校生ですけど」


 高校生なら指導で済ませるべきだろう。しかし木刀との恋愛がこうも拡大しているなどとは聞いたこともなかった。たしかに最近、ネット上では擬人化が流行っていて、なんでも美男美女の姿に変えられているとは聞いていたが、よもや木刀など……


「まだ高校生ですけど、彼も真剣ですから」


「だから紛らわしいことを……」


 キョウコと呼ばれた女性の手元で、鈍い曇り空から漏れた光がギラリと反射した。

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