そして十二時の鐘は鳴った

蟬時雨あさぎ

case 1:人喰い絵本

 応接間、ゆったりと流れるスローテンポなジャズにそぐわない、ひりついた空気が二人の間には漂っていた。


「人喰い絵本の封印?」


 渡された書類の題名を見て、花菱ハナビシエリは視線を鋭くする。相対する壮年の男性は、その若さに似つかわしくない表情へ苦笑を零した。


「封印、または無力化・無害化だ、ミス・花菱。そう難しい依頼caseではないだろう」

「見聞きした限りでは、ですね」


 ペラペラと依頼書を捲り、目を通しながら花菱は素っ気なく告げた。今迄に受けた依頼caseは、どれ一つのして依頼書のみの情報では解決できるものでなかった。という、局長から渡される依頼書の、致命的な欠陥を知るが故の反応である。


「しかし、百聞は一見に如かずA picture is worth a thousand words、と言うでしょう?」

「おやおや……。第零オリジン――第零級魔術司書殿が何を言うかと思えば」

「だからこそ、ですよ」


 魔術司書としての最上とされる第一級、その上の数人しか持たない称号クラスである第零級を冠するのが、この花菱である。

 しかし、この依頼内容は何が何でも


「この依頼、第二セカンド第三サードでも受理できる案件……――ですよね? 局長ミスタ・ベルリッジ」


 視線を書類から上げる。おどけたように片眉を上げるベルリッジを見据えたその瞳は、獲物を狩る獣のような獰猛どうもうさを秘めていた。その意味を言語化するならば、『真意を言いやがれ狸爺たぬきじじい』と言ったところか。


 数舜にわたる睨み合いの後、嘆息を零したのはベルリッジ。


「全く……ミス・花菱は鼻が利くというか何というか」

「割が良い代わりに、がっつり生命に関わる仕事ですから。情報はすべからく開示していただかなくては困ります」


 第零級魔術司書、中でも魔導書管理局に勤める彼女の仕事は、危険と隣り合わせなものばかりだ。秘匿された情報一つが命取りになることだって、無い訳ではない。


「ははは、ごもっともだ。情報は渡すとも。だが」



「そこにも書いているようにでね……、見てしまった以上引き受けるのが条件だ。さて、どうする?」



 にこやかな笑みを湛えて、ベルリッジは告げる。極秘任務、それは依頼内容が秘匿されるべき重要案件だ。そんな筈は、と花菱が手元の資料に目を戻すと、先程にはなかった極秘任務secret caseの押印が目に付く。指で触れると、微かに幻惑魔術ヴィオ・マギアの痕跡が感じられる。


(ヤッパリか!! こンの、狸爺……!!)


 どうするも何も、返答は一つしか用意されていないだろう。今となっては、ジャズが寒々しくさえ聞こえる。簡単な魔術に引っかかってしまった自分への苛立ちを喉の奥へとゴクリと押し込んで、花菱は笑みを浮かべる。


「勿論、お引き受けいたしますよ。局長ミスタ・ベルリッジ」



  *    *    *    *



 文字には、古くからちからがあると信じられてきた。

 書くという行為は、文字自身の力を引き出すことに他ならず、本というものは一種の力場りきば。連なる文字同士の反応、干渉によって新たな意味を、力を生んでしまうことがある。そしてそれは、神秘の存在によって増幅することで――現実世界において異常現象を振り撒く書物ものと変貌を遂げる。


 魔導書グリモワール


 そう呼称される書物ものが、二十一世紀である現代にも存在していた。


 ――依頼を受けた花菱に伝えられた目的地は、フランスの一角にひっそりと営業している古書店だった。古書にはこの手の書物が紛れ込みやすいことから、良く依頼が来るものではある。しかし、局長ミスタ・ベルリッジに情報を強請もらった結果、驚くべきことが分かった。


 定期魔導書グリモワール選別を行っていた第二級魔術司書が、のである。


 花菱が依頼を受けた時点で半日が経過。絵本内部の状況は不明であることから、人命救助の観点から早急な対処が求められ、ベルリッジはあのような強硬手段だましうちを行ったのだった。

 つまりは、言外に従来の依頼内容に加えて、第二セカンドの救出も花菱は要求されているのである。


 そして、古書店で店主から渡された魔導書それ――“シンデレラ”の絵本にぱっくんちょ、と食された今。


「いや……。難易度高すぎないかね、この依頼case


 木にもたれ掛かった花菱は、木々の隙間から“灰被り”が窓拭きをしているのを見、嘆息した。

 すると、その隣に佇む青年は、びくり、と肩を震わせてから直立不動のまま。


第零オリジンが匙を投げるだなんて……!! もう駄目だ、俺は此処で死んでしまうのか……!!」


 器用にも泣き始めた。心底面倒だという表情で他人の振りをしたくとも、今その選択は花菱に出来ないものである。

 燕尾服をすらりと着こなしながら、泣き顔を晒してるのが二十三歳・第二級魔術司書であるフレッド・カーディルナル――今回の第一被害者なのだから。


「泣くな第二セカンド。対応に困る」


 二十歳に満たない花菱に、年上の青年にこうまでも号泣された場合の対処法など知る由もない。


「簡単に死ぬとか言うな縁起悪い。次泣いたらイヴニングドレスを着せる」

「な……っ!?」


 よって花菱流の黙らせ方なぐさめかたをするしかないのである。

 花菱の言葉に、思わず涙も出なくなり口をパクパクと動かすのみのフレッド。


「冗談だ。いや、号泣されたらやむを得ないからやるかもしれないけどな」

「……泣き止みました。……見苦しいところを、お見せしました」

よろしいAll right.。水に流そう」


 鼻をぐずぐずさせながらもそう告げるフレッドに、花菱は上手くいったな、としたり顔を返した。


「さて、正気に戻ったか? ……えっと」

「フレッド、フレッド・カーディルナルです。名前ぐらい覚えてください、ミス・ハナビシ」


 ちらりと数舜だけ視線を向けると、少しむくれた表情のフレッドが花菱を見ていた。焦げ茶の癖毛だけが元気そうに跳ねている。


「失礼した、ミスタ・カーディルナル」

「フレッドとお呼びください、ミス・ハナビシ」

「……分かった、フレッド。では、状況整理をしよう」


 変わらず、まるで決められているかのように窓拭きを繰り返す“灰被り”から視線を外して、一つ咳払いをした。


「さーて、は何でしょうか?」


 すべきこと。それは魔導書グリモワールから脱出する為に、この物語の世界で二人が達成しなければならない条件だ。魔導書グリモワールから脱出する方法は大まかに二つあり、魔導書グリモワールの核を破壊すること、または魔導書グリモワールを満足させることのどちらかである。


「はい」


 泣きやんだばかりながらノリが良く、挙手をするフレッドを指す。


「ではフレッド君、答えてください」

「“シンデレラ”の物語を本が満足する形で終わらせること、で」

その通りThat's right!!」


 フレッドの魔術司書らしい模範的解答に、食い気味で花菱は返す。花菱が聞きたかったのはそんな判り切った答えではないのだ。


「聞き方を変えよう、フレッド」


 真っすぐと、黒い瞳と、ヘーゼル色の瞳がかち合う。心の奥底を見透かすような視線にフレッドが唾をごくりと飲んだところで、声音を少し低くして花菱は問いかけた。




「君にとって、このシンデレラという物語は、――どんなお話だ?」

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