前略、顔のない騎士と恋を始めます。

春臣あかり/ビーズログ文庫

1.拝啓、魔術師がいません



親愛なるビクトール伯父様へ

お元気ですか? 私は相変わらず元気です。

いよいよ採用試験の日が近づいてきました。

宿舎も決まり、三日後のお昼に王都へ到着する予定です。


そこには他の受験生たちもいるらしく、

どんな人たちと出会えるのか、今からわくわくしています。


ずっとずっと夢に見ていた王都魔術院。

精一杯、頑張ってきます。

伯父様、どうか見守っていてくださいね。



「ほらイルゼ、もうすぐ着くぞ」

 心地よい振動に眠気を感じていたイルゼは、その言葉にようやく目を開いた。

 翠玉のように綺麗な緑色の瞳。虹彩の下側にはわずかに金色が交じっているが、よく見なければ気づけない程度だ。

 栗色の長い髪は白いリボンで一つに結ばれており、体を起こす仕草に遅れて揺れる。その毛先も良く見ると金色だったが、はた目にはほとんどわからない。

「あ、ごめんなさい。うとうとして」

「はは、緊張するよりいいさ。その、仮面なんとかの試験だったか」

仮面造形師かめんぞうけいし。魔術師の仮面を作るお仕事よ」

「そう、それだ。ツクミドから造形師が出ただけでもすごいのに、そのうえ王宮勤めになるとなりゃ、俺たちも鼻が高い」

「ま、まだ受かってないから……」

 がははと豪快に笑う男の隣で、イルゼは困ったように顔を赤くする。そうこうしているうちに、馬車は王都の市門へと到着した。イルゼは元気よく馬車から飛び降り、荷台から下ろしてもらった大きな鞄を受け取る。

「ゲオルグさん、ありがとう!」

「なに、仕入れがあったからついでよ。試験、頑張って来いよ」

 離れていくゲオルグに手を振り、その姿が見えなくなるまで見送ると、イルゼはよしと気合を入れて市門をくぐった。街の入り口で簡単な手続きをすませ、人混みの流れに身を任せているうちに、自然と大通りへと運ばれる。徐々に見えてきた王都の景色に、イルゼは思わず嘆息を漏らした。

「うわあ……!」

 少し冷たい春の風が頬を撫で、どこからか甘い花の香りを連れてくる。足元は丹念に石で舗装された街路。通りの左右には暖色の煉瓦や土を重ねて造られた建物が並び、すれ違う人たちも洗練された衣服を身に纏っている。髪の色、肌の色も様々で、イルゼはあちこち見回しながら軽やかに足を進めた。

 王都には以前一度だけ来たことがあったが、その時は自由な時間がほとんどなく、ゆっくりと楽しむことは出来なかった。イルゼはわくわくとした気持ちを噛み締めるように、じっくりと周囲の景色を観察する。

「すごい、やっぱり王都は賑やかだわ」

 やがて街の中心部にある広場にたどり着いた。そこには巨大な水晶で出来た噴水があり、丁寧に研磨されたいくつもの切子面が、太陽の光を受けてきらめいている。舞い散る水しぶきがそれらの光を一層輝かせていた。

 おそらくここは人々の憩いの場所なのだろう、噴水の周囲には多くの家族連れや子どもたちの姿がある。生花で飾られた可愛らしいワゴンも数多く並んでおり、皆そこからお菓子や食べ物を買っているようだ。

 イルゼがちらりとワゴンに目を向けると、地元・ツクミドでは見たこともないカラフルな砂糖菓子や籠に入った四角いシフォンケーキ、ハート形に焼かれた細いドーナツのようなものが売られており、彼女の大きな目は一層輝いた。

(あれはなんてお菓子なのかしら!)

 その時、大きな鐘の音が空に輪を広げるかのように王都全体に響き渡った。

 おそらく一の刻を知らせるものだろう。周囲の人々は慣れているのか、特に気にする様子もなかったが、久しぶりに聞いたイルゼは驚き、思わず音のした方を見つめる。

 王都・フィクオクの最奥にそびえたつ鐘塔。そしてその下に見える白亜の王宮。

(ようやく、ここまで来たのね)

 五年ぶりに開催される、王都魔術院の採用試験。

 これに合格すれば、自分もあの王宮で『仮面造形師』として働くことが出来る、とイルゼは一人高鳴る鼓動を感じていた。右手で小さく拳を作り、左手で地元から持ってきた大きな鞄の取っ手を強く握る。

「とりあえず下宿先に行かないとね。ええと、ファージー通りの二〇二」

 手書きのメモと街中に掲げられている看板を頼りに、当面の宿である下宿先を探す。

 だがイルゼの住んでいた田舎町とは異なり、通りの数も建物の数も王都はけた違いで、なかなか探している通りに行き当たらない。

「あれ、ここヴィオレヌ? おかしいわ、あっちかしら」

 通りにある地図も見てみるが、どうにも方角が分からない。おまけにいつの間にか中心部から外れてしまったらしく、周囲にいた観光客や貴族たちの姿が減り、代わりにパブや簡易宿泊所といった雑多な雰囲気に変わってしまっていた。

 改めてメモを見るが、住所以上の情報は書かれていない。目印になりそうな表示も見当たらなくなり、不安になったイルゼが一旦噴水の場所まで戻ろうと身を翻した時だった。

「いってえ!」

「あっ、ご、ごめんなさい!」

 振り返ったすぐの位置にいた人と、肩をぶつけてしまったらしい。見ると無精ひげを生やした強面の男がイルゼを睨みつけていた。その後ろには彼の仲間だろうか、似たような風体のならず者が何人も見える。

「す、すみません、うっかりしていて。怪我はありませんでしたか?」

 あわあわと取り乱すイルゼを見て、無精ひげはしばらく黙っていたが、彼女の大きな鞄に視線を向けるとにやりと口元を歪めた。

「あーそうだな、こりゃ大怪我かもしれねえな」

 ひい、とイルゼは顔を青ざめる。だがそんな二人の様子を、彼の背後にいる男たちはニヤついた薄笑いで傍観したままだ。

「本当にごめんなさい、あの、よければ教会で手当てをしてもらいに……もちろん私も一緒に行きますので」

 だが無精ひげはイルゼの謝罪そこそこに、値踏みするように彼女を眺めた。

「教会ねえ。確かに教会もいいが、それよりは誠意を見せてもらいたいもんだ」

「せ、誠意、ですか?」

「見たとこあんた、最近王都に来た口だろ? 田舎の奴は知らねえだろうが、王都では誠意って言ったら金のことなんだよ」

 突然腕を摑まれ、「痛っ……」と小さく声が漏れる。助けを求めるように周囲を見回すが、男たちに関わりたくないのか、皆視線を逸らすばかりだ。

「お金、ですか。あの、私あまり持っていなくて、その」

「持ってないたァ話にならねえな。とりあえず出せるモン出して、後は……わかるだろ」

 摑まれたままの腕に、さらに力が込められる。どうしよう。どうしたら。

 無精ひげの視線が怖くて、イルゼは震えながら俯いた。だが目を落とした石畳に、イルゼや男たちのものとは別の大きな影が落ちる。

(……?)

 次の瞬間、イルゼの腕を摑んでいた無精ひげの手が急に離れた。慌てて顔を上げると、自分の後ろから長い腕が伸びており、それが無精ひげの腕をねじ上げている。

「――何をしている」

 背後から響く低い声。解放されたイルゼが振り返ると、そこには長身の男が立っていた。

 鍛え抜かれた体躯たいくに厚い胸板。伸ばされた腕はなおも力を込めたままらしく、時折いてててと無精ひげの悲鳴が零れる。

 突然現れた救世主を見上げていたイルゼは、ある一点に目を奪われた。

(――仮面?)

 黒曜石のように艶やかな髪と黒い瞳。顔の造作が息を呑むほど美しいとわかるのに、見えているのはそれだけ。

 男はその顔の上半分を、漆黒の仮面で覆い隠していたのだ。

 やがて無精ひげは降参だと騒ぎ始め、仮面の男が手を離したと同時に、仲間たちを引き連れてわたわたと逃げていった。その様子を呆気に取られて見ていたイルゼだったが、お礼を言わないと、と慌てて仮面の男に向き直る。

「あ、あの、ありがとう、ございました!」

 嬉しそうにぺこりと頭を下げるイルゼを、男は無言のまま見下ろしていた。仮面で表情が隠れているので、彼が何を考えているのかはわからない。

 だがイルゼは、その姿をまじまじと見ながら心の中で呟いた。

(仮面を着けているってことは……きっと魔術師だわ!)

 イルゼのいたツクミドは大変な田舎町で、魔術師の数がとても少なかった。イルゼの工房を訪れるのも、王都から地方に派遣された魔術院の関係者がほとんどで、たまに来る旅人以外は見知った顔ばかりだ。

 だがここは多くの人が集まる王都。当然魔術師の数も多いわけで、こうして街中で普通に出会えることにイルゼはちょっとした感動を覚えていた。

(でもなんか、今までに会った魔術師の印象とは違うような……)

 イルゼはそのまま視線を下ろす。男は濃紺に銀の飾り紐が付いた軍服を纏っており、襟元には王都騎士団を示す鷲の紋章があった。

(もしかして巡回中の騎士? でもそれならどうして仮面を着けているのかしら?)

 疑問符を浮かべたイルゼは、もう一度男の仮面を見ようと顔を上げる。

 だがそこで再び目を丸くした。

 何故なら、彼の肩に不思議な白い光がふわりと浮き上がったからだ。

「ああっ!」

 思わず出てしまった声に、仮面の男がわずかに首をかしげた。だがイルゼはすぐにえへへとごまかすように笑う。

(危ない危ない。ばれたら大変だわ)

 仮面の男は、ころころと表情を変えるイルゼをしばらく眺めていたが、小さくため息をつくとようやく口を開いた。

「王都にはああした手合いもいる。気を付けろ」

 落ち着いた男の声に、イルゼは先ほど味わった恐怖が少しずつ収まっていくのがわかった。手にしていた荷物を置くと、改めて深々と頭を下げる。

「はい。本当に、助けてくださりありがとうございました」

 顔を上げ、にこりと微笑む。仮面の男は、その様子をただ静かに見つめていた。



「ヴィンセント、こんなところにいたのか」

 王都騎士団の一つ、フェガリ騎士団の副団長・コルセストリアは、ようやく見つけた幼馴染にやれやれと声をかけた。ヴィンセントと呼ばれた男は振り返ると、小さく「コルセスか」と彼の愛称を呟き、その険しい視線を向ける。

「なんの用だ」

「君の隊員たちが探していたからさ。午後から訓練のはずなのに、市街巡回に出たまま帰ってこないって」

「すぐに戻る予定だった」

「なんでまたヴィオレヌ通りに? 君の担当じゃないだろ」

「……仕方なしにだ」

 そう言うとヴィンセントは、はあとため息をつく。何が仕方ないんだろうとコルセスは苦笑していたが、同時に自分たちに向けられている視線をさりげなく探った。

 綺麗な濃金の髪に明るい緑色の目という容姿のコルセスと、顔に真っ黒な仮面を着けたヴィンセント。確かにどちらも目立つ外見ではあるが、やはりそのほとんどはヴィンセントに向けられている。

 魔術師であれば仮面を着けていてもなんらおかしくはないのだが、ヴィンセントはその出で立ちから明らかに騎士だとわかる。すると当然「どうして騎士が仮面を?」という好奇の目で見られるのだ。

 おまけに、魔術師であっても仕事以外の時間は仮面を外していることが多いものだが、ヴィンセントの場合は、朝から晩まで仮面を着けたまま。基本的にいかなる場面でも外そうとしない。

 そんな姿を揶揄やゆしてか、騎士団内では彼のことを『顔のない騎士』と呼ぶ者もいた。

 決してよい意味でつけられたものではない。あいつはよほどみにくい顔をしている――だから仮面で隠しているのだろう、と嘲笑されているのだ。

 もちろん友人のコルセスとしては、その噂を否定して回りたかった。だが、副団長という立場にある自分が言えば命令と取られかねない。

 それに当のヴィンセントが、周りから何を言われても我関せずで、平然と仮面を着け続けている。そのため自分が事を荒立ててはなるまいと、コルセスはひたすら我慢しているのだ。

「ふーん、そうなんだ。珍しいね、真面目な君が時間通りに戻らないなんて。……何かあったのかい?」

 窺うようなコルセスの言葉に、ヴィンセントはしばらく思案するように黙った後……「なぁ、」とようやく口を開く。

「ん?」

「俺の顔、何か付いているか」

 その質問にコルセスは一瞬戸惑う。

「……。いや普段通りだよ。仮面が付いてる」

 そうだよなと返したかと思うと、ヴィンセントはそのまま口を閉ざしてしまった。

 相変わらずこの寡黙な幼馴染の考えていることはよくわからない、とコルセスはやや諦めの境地に入ったのだった。



 ようやくたどり着いたファージー通り二〇二。

 イルゼが魔術院から指定されたその宿舎は、石造りの巨大な洋館だった。壁面に蔦の生い茂った館は相当古いのか妙な迫力がある。イルゼは門の前に立ち、手にしたメモと掲げられている銘板を何度も見返した。

「シュタイン寮って……ここよね?」

 試験の間、イルゼが泊まる下宿で間違いない。だがどうにも人の気配がない。

 勝手に入っていいものかと、錆の浮いた門の隙間から中の様子を窺ってみる。

「ちょっとあなた」

「はっ、はい!」

 突然背後から声をかけられ、イルゼは飛び上がるように振り返った。するとそこには、イルゼより少し年上の女の子が立っている。

 ストロベリーブロンドというのだろうか、淡い赤色の髪に濃茶色の大きな目。肌は白く透き通っており唇はピンク色だ。可愛らしい外見のわりに気が強そうなその少女は、細い足を伸ばし堂々と仁王立ちしている。

「ここ、シュタイン寮よね」

「え、あ、はい。多分」

「そう」

 少女はふいと視線を自身の後ろに向け、慣れた様子で「ヤエヤマ」と声をかけた。すると少女の背後にすっと一人の青年が付き従う。

 少女とは対照的に、こちらは随分と大人しい青年だった。髪は暗い赤色で、目も似たような緋色。さらに黒縁の眼鏡をかけていた。従僕のような黒い服を纏い、両手にイルゼのものの倍はあろうかという鞄を一つずつ提げている。見た目は華奢だが、相当重いはずのそれを難なく持っている辺り、かなり力があるようだ。

「あなた、これを運んでくださる?」

「え」

「それから案内して。今日はもう疲れたから早く休みたいの」

 イルゼは少女から小さな鞄を手渡され、急かすように見つめられる。

 もしかしたらこの寮の管理人と思われたのでは、と困惑しながら、仕方なくイルゼは門を開けた。玄関のノッカーに手をかけてコンコンと鳴らすと、少し間をおいてから扉が開く。

 中から現れたのは、茶色の髪と目をしたすらっと背の高い青年だった。

「いらっしゃい。管理人さんは今ちょっと手が離せないみたいで」

 眼を眇めるように笑う青年は、イルゼや少女よりもさらに年上のようで、とても優しそうな印象だ。だが彼も管理人ではないらしい。

「よかったら荷物を運ぼうか、そちらの……おおっと」

 イルゼの手から鞄を受け取りながら、青年はもう一人の少女に目を向ける。だが彼女の背後に控えていた男と、腕に持つ鞄二個分の迫力に驚いたようだ。

「わたくしのものは結構ですわ。それより何、あなたここの人じゃないの?」

 青年の言葉で、気の強そうな少女はようやくイルゼが管理人ではないと気づいたらしい。青年にとりあえずどうぞと通された談話室で、イルゼはようやく自己紹介を始めた。

「ええと、イルゼ・アミ・クレメントです。魔術院の『仮面造形師』採用試験のために、ここでしばらくお世話になります」

 するとその言葉に少女が反応した。

「やだ、あなたも仮面造形師だったの? それならそうとおっしゃいなさい。わたくしはメリ・メロ・メルヴェイユーズ。こちらは魔術師のヤエヤマよ」

 ヤエヤマ、と呼ばれた赤髪の彼が静かに頭を下げた。少女の名乗りに、迎えに出てくれた青年が少し驚く。

「メルヴェイユーズって魔術師として有名な一門じゃなかったっけ?」

「そうですわ。……ただわたくしは魔力を持たずに生まれましたから、魔術師としての才はありませんの」

 一瞬瞳を陰らせたかに見えたメリ・メロだったが、すぐに顔を上げて不敵に笑う。

「ですが、わたくしには術力があります。造形師として、メルヴェイユーズを支えるつもりですわ」

 魔術師一族に生まれた造形師、という珍しい経歴に感心していたイルゼだったが、青年の自己紹介が始まったことで慌ててそちらを向く。

「ぼくはルートヴィク、同じく仮面造形師だ。よろしくね」

 ルートヴィクの柔らかい笑みに、イルゼも思わずつられて微笑む。どうやらこの二人は同じ試験の受験生のようだ。互いの自己紹介を終えた頃、台所の方から何やらごとごととせわしない音が近づいてきた。

「あら! みんな揃ったの。ごめんなさいね、遅くなっちゃって。私がこの寮の管理をしているウィミィよ」

 そう言って現れたのは、ややふくよかな女性だった。簡素なワンピースに白いエプロン姿。奥から流れてくる香ばしい鶏肉と香草の匂いで、彼女が今まで料理をしていたとわかる。

「本館には他の受験生もいるんだけど、あなたたち三人は試験が終わるまで、この別館で過ごしてもらうことになるわ。談話室は自由に使ってくれていいし、門限も厳しくは言わない。ただ鍵だけはしっかり閉めてちょうだいね」

 その後もいくつか寮生活の注意事項を説明され、三人は部屋割りを確認する。イルゼの居室は二階の右端で、メリ・メロが隣。ルートヴィクは二階の左端で、ヤエヤマは使用人用の一部屋を使わせてもらうようだ。

 それぞれ荷物を持って階段を上っていると、下からウィミィの声が飛んできた。

「荷物を置いたらみんな談話室にいらっしゃい。歓迎のパーティーをするわよ!」



「お、おなかいっぱい……」

 イルゼはボスンとベッドに倒れこんだ。

 早く荷解きをしないといけないのだが、先ほどのパーティーでたらふく食べさせられたため、出来ればもう一歩も動きたくなかった。このまま寝たい……とぐったりする体を叱咤し、なんとか仰向けになる。

(なんだか、管理人さんも他の受験生もいい人そう)

 最初のうちは緊張していたイルゼだったが、いざ二人に話しかけてみると、仕事や造形術の話題ですごく盛り上がった。ツクミドにはイルゼ以外の造形師がいなかったので、同じ年代の人と語れるのが楽しくて仕方なかったのもある。

 良かった、とイルゼはそっと目を瞑った。

「――イルゼ? まだ起きてる?」

「あっはい! 起きてます!」

 扉の向こうからかけられた声に、イルゼは慌ててベッドから飛び起きた。ドアを開けると、一通の手紙を持ったウィミィが立っている。

「さっき出し忘れていたわ。これ、今日の昼に届いてたの。渡しておくわね」

 ありがとうございますと受け取り、イルゼは嬉しそうに机へと向かった。いそいそとレターナイフを使って便箋を取り出す。

(伯父様からだわ!)

 手紙の相手はビクトール・ヴェル・アメルロック。

 イルゼの父方の伯父にあたる人らしい。

 らしい、というのは他でもない。

 イルゼ自身、まだこの伯父と一度も会ったことがないからだ。


 イルゼは生まれてすぐに母親を亡くした。

 その後、イルゼが五歳になった年に父親も事故で亡くなった。

 両親は駆け落ち同然で結婚したらしく、イルゼには頼るべき親戚がいなかった。 幸い、イルゼを小さい時から可愛がってくれた、近所のクレメント老夫婦が養子に取ってくれたおかげで、路頭に迷うことはなかった。イルゼ・アミ・クレメントを名乗るようになったのもこの時からだ。本名はイルゼ・アメルロックという。

 収入が少ない老夫婦にあまり迷惑はかけられないと、慎ましく暮らしてきたイルゼだったが、昔から憧れ続けていた「仮面造形師になる」という夢だけはどうしても忘れることが出来なかった。しかし造形師になるためには、教本を買うにせよ、練習用の素材を用意するにせよ、それなりにまとまった資金が必要となる。

 やはり諦めるしかない――と当時十二歳になるイルゼが悩んでいたある日、突然伯父の代理人を名乗る人物が現われたのだ。

 代理人は『訳あって素性は明かせないが、あなたの伯父にあたるビクトール様が、あなたを支援したいとおっしゃられている』と告げ、結構な額の小切手をイルゼに渡してくれた。

 最初は何かの詐欺ではないかと疑っていたイルゼだが、その伯父が若い頃の父を知っているらしいこと、話を持ってきたのが身元の確かな代理人だったことなどから、将来的に返済することを条件に、申し出を受けることにしたのだ。

 その際、お礼の手紙を書いて代理人に渡したところ、なんとその伯父から返事が届いたのである。それ以来続く手紙を通した伯父との交流は、今ではイルゼにとって大切な心の拠り所となっていた。

 


 親愛なるイルゼへ

 王都へは無事に着いたかな?

 場所によっては治安が悪いところもあるから、気をつけるんだよ。


 しかしいよいよ試験だね。

 イルゼはずっと王都の魔術院で働きたいと言っていたから、

 君の夢がもうすぐ叶うのかと思うと、私もとても嬉しいよ。

 

 試験はきっと大変だろうけれど、体に気をつけて頑張りなさい。

 王都の夜は冷える。風邪をひかないようにね。

 


 イルゼはその流麗な文字を眺めながら、一体どんな方だろうと想像する。

 父より年上なら今は五十歳くらいだろうか。言葉遣いといい、伸びやかな筆跡といい、一通の手紙からでも教養の高さが溢れ出ている。丁寧に歳を重ね、穏やかな風貌で知的に話す。洗練された紳士の姿を想像し、イルゼはうっとりと目を閉じた。

 そんなイルゼを呼び醒ますように、足元からニャウと小さな鳴き声がする。

「オセロット」

 現われたのは小さな白猫だった。だが本物の猫ではない。

 オセロットはイルゼにしか見えない「精霊」だ。


 この国の魔術師は皆、仮面を通して魔術を使う。具体的には、顔に精霊を宿し、それから力を借りて様々な魔術を行使するのだ。

 当然ただの仮面ではなく、術力と呼ばれる力を用いて作られた特別なもので、イルゼはこの魔術師たちの仮面を作る『仮面造形師』という仕事をしていた。

 精霊は自然界や街中など、あらゆるところに存在しているが、普通の人がその姿を見ることは叶わない。しかしイルゼは何故か物心ついた時から、ごく自然に精霊の存在を認知することが出来た。

 彼らの多くは動物の形を模して現れ、基本的には自由に行動している。ずっと森の奥で眠っているものもいれば、子どもの隣で一緒に遊ぶ素振りをするもの、人にいたずらをするものなど様々だ。

 また魔力を非常に好むため、強い魔力を持つ人間を見つけると、それに付き従うという精霊もいた。イルゼはそうした人を密かに「精霊付き」と呼んでおり、今まで出会った精霊付きは、当然のごとく力のある『魔術師』ばかりだった。

 では魔術師ではないイルゼに、何故精霊が付いているのか。正直理由は分からない。

 ただオセロットはイルゼが初めて認識した精霊で、その時からずっと傍にいてくれた。もしかしたら保護者気分でついてきているのかも、とイルゼは結論している。

(そういえば、今日の仮面の人にも精霊がいたのよね)

 黒い仮面の騎士。彼の肩に浮かんだ白い光は間違いなく精霊だ。

 だがはっきりとした姿はわからず、精霊が現れたことに驚いて思わず声を上げてしまった。いまさらだが、仮面の彼に怪しまれなかっただろうか。

(精霊が見えることがばれたら、大変だわ)

 すっかり目が冴えてしまったイルゼは、荷物を解こうと立ち上がった。はるばるツクミドから運んできた大きな鞄を広げ、中から両手で持てるほどの木箱を取り出す。

 蓋を開けると、中にはこれまで伯父様から貰った手紙の束と、ぼろぼろになった造形術の教科書や式令集、古びた絵本と小さなクマのぬいぐるみ、白いリボン。そして一冊の手帳が入っていた。先ほどの手紙をその束の一番上に置き、代わりに脇にある古い手帳を取り出す。

 手帳をめくるとそこには、父の手跡で書かれた造形術の教えがずらりと並んでいた。

 もう何度も読んで覚えてしまったものだが、形見として手放せないでいる。パラパラとめくっていたイルゼは、手帳を閉じると、祈るように胸の前で抱きしめた。

(やっとここまで来れた……)

 筆記試験を乗り越えて、ようやくたどり着いた最終試験。

 これに受かれば王都魔術院に入ることが出来る。そうしたら支援してくれた伯父様へ良い報告が出来るし、借りているお金も早く返すことが出来る。だがイルゼの夢はそれだけではない。

 魔術院でも、特に優れた魔術師と造形師だけが選ばれるという、「選ばれた《ヘルニヘル・》十二席ツヴェルフ」になること。そして――

「ツヴェルフになって、アマルテイア様に、会いたいな……」

 創世神話に出てくる、アンダルシアン王国・初代王妃アマルテイア。

 ツヴェルフに選ばれれば、その夢が叶うかもしれない。

 浮き立つような気持ちを抑えるかのように、イルゼは静かに微笑んだ。




「イルゼ、造形術の基本は言えるかな」

「うん! ええと、造形師は術力で仮面に術式を刻む。魔術師は仮面を着けて、その術式に魔力を流すの」

「そうそう。それで?」

「そうすると仮面に精霊が宿って、力を貸してくれる!」

「正解だ。造形師の術力と魔術師の魔力、この二つを組み合わせて魔術という」

 どちらかが欠けてもいけない、とイルゼの父・リヒトが笑う。濃い灰色の髪に同じく灰色の瞳。笑うと目じりに皺が寄るのがイルゼは大好きだった。

「イルゼは筋がいいね。造形術は好きかい?」

「好き! 仮面格好いいし、精霊のこともいっぱい勉強できるし、……でも」

「でも?」

「ねえパパ、どうして精霊が見えること言っちゃダメなの?」

 幼いイルゼの問いかけに、リヒトは困ったように眉を寄せた。

「……何かあったのかい」

「精霊と遊んでるところ、エスターに見られて、……気持ち悪いって」

 田舎町のツクミドは自然が豊かで、精霊も多く姿を見せていた。イルゼはよく彼らと遊んでいたのだが、そんな彼女の姿は、何もない空間で笑っている奇妙なものに映ったのだろう。子どもは素直だ。遠慮することなくストレートに言ってしまう。

「精霊はね、他の人には見えないんだ」

「イルゼにしか見えないの?」

「そう。とても珍しい力なんだ。だから精霊が見えるとわかれば、怖い人たちがイルゼを攫いに来るかもしれない」

 そんなのいや、とイルゼは目を潤ませて答える。

「パパも絶対嫌だよ。だから精霊が見えることは誰にも言っちゃだめだ。パパとの約束だぞ? 出来るね」

「うん!」

 イルゼの大きな返事に、リヒトは再び目を細めて笑った。

 イルゼに母の記憶はなく、傍にいてくれるのは父親だけ。だが父から習う造形術や精霊の話は面白く、イルゼが寂しさを感じることはなかった。

「そうだパパ、アマルテイア様ってだあれ?」

「アマルテイア……創世神話じゃないか。どうしてその名前を?」

「この前教会で聞いたの。ねえ教えて」

 イルゼの無邪気な問いに、何故か父は少し悩んでいるようだった。だがイルゼがあまりにも期待に満ちた目を向けるので、ついに根負けしたらしい。一回だけだよ、と前置きして話してくれた。

「昔々、この国は《ラーベ》という黒い災いに覆われていました。ですが、この国を興した初代王・ディオールエサンス様は『力の精霊』『音の精霊』『智の精霊』という三精霊の力を借りて、その黒い災いを打ち払いました」

 それは《ラーベ・ラージェ》という、このアンダルシアン王国に伝わる物語だ。

「世界は平和になり、精霊たちもそれぞれの国へ戻っていきました。『力の精霊』は北のレイナルディア、『音の精霊』は南のロサ・アロバへ。でも『智の精霊』だけはこのアンダルシアンに残りたいと言います。何故なら『智の精霊』は王様に恋をしてしまったからです」

「王様に?」

「そう。でも精霊のままでは一緒にいられない。そう考えた『智の精霊』は力を失う代わりに人間になりました。それが初代王妃のアマルテイア様だよ」

 精霊のお姫様――普段から精霊を見ているイルゼにとって、夢のような存在だ。

「アマルテイア様から離れた力は、小さく分かれてこの国に降り注ぎました。それが、今僕たちが精霊と呼んでいるものだ。魔術を使えるのは彼らのおかげだね」

 いつも傍にいるオセロットも、元々はアマルテイアの力の一部だったのかもしれない。イルゼはどきどきする気持ちを抑えるように、父親へと問いかける。

「でもそれってずっと昔のお話なんだよね?」

「ああ、そうだね」

「なのに、アマルテイア様はまだ生きていらっしゃるって、本当?」

 イルゼの言葉に、リヒトは困惑したように聞き返す。

「どうしてそんなことを?」

「エスターがね、言ってたの。アマルテイア様は今も王宮にいて、『ツヴェルフ』だけが会えるんだって。王妃様をお守りしているんだって」

選ばれたヘルニヘル・十二席ツヴェルフ』――王都魔術院の中でも、特に優れた造形師六人と魔術師六人で構成される十二人の集団。「一席ヤヌア」から「十二席デイツエン」まであり、奇数席は魔術師、偶数席は造形師と決まっていた。数字が若いほど優秀とされ、選ばれることは魔術師・造形師ともに最高の栄誉とされている。

 イルゼが興奮気味に話している様子を見て、リヒトは困ったように微笑んだ。

「あはは、そうだね。その噂は確かに有名だ」

「でしょう? 私、アマルテイア様に会いたい」

 イルゼは緑色の目をキラキラと輝かせる。

「パパは昔、王都で造形師の工房を持っていたんでしょう? ツヴェルフにはなれなかったの?」

「はは、パパみたいな普通の造形師じゃ無理だよ」

「じゃあ、私がなる!」

 イルゼのその言葉に、リヒトはさっと表情を曇らせた。だがすぐにいつもの微笑みに戻り、静かな声色でイルゼに語り掛ける。

「うーん、イルゼにもちょっと難しいかもなあ」

「どうして? 私にも『じゅつりょく』はあるんでしょう?」

 この国には「魔力」と「術力」という二つの力がある。

 魔力はその名の通り魔術を使うための力。もう一つは術力という、仮面に術式を刻むための力だ。どちらか一方を持つ者、中には両方の力を持つ者もいたが、どちらの力も持たないという人が大多数だった。

 そうした希少性もあり、術力を持つ者は『仮面造形師』、魔力を持つ者は『魔術師』の職を目指すことが多く、イルゼも十分な術力があるともくされていた。

(私だって、パパみたいな立派な造形師になれるわ!)

 むくれたイルゼの表情に気づいたのか、リヒトはまあまあと宥めるように娘の頭を撫でた。仮面を作る父の大きな手。心地よくて思わず目を細めていると、リヒトが呟くように口を開いた。誰に向けるでもない独り言のように。

「……どうしたら、守ってあげられるのかなあ」

 睫毛をわずかに伏せ、リヒトは寂しそうにイルゼを見る。

「僕はイルゼが……ただ、幸せになってくれたら、それだけでいいのに……」

 そう言って笑う父の顔がなんだか泣いているように見えて、イルゼは思わずその服を摑んだ。そこへお手伝いさんが父を呼びに来て、そして――




「……!」

 机に伏せていたイルゼははっと目を覚ました。

 緩慢な仕草で体を起こす。眦には涙の痕が残っていた。

(いつの間に寝ちゃってたんだろ……懐かしい夢……)

 イルゼは軽く頭を振って眠気を払うと、箱に入っているぬいぐるみを手に取った。古ぼけたクマはところどころ汚れており、随分と年季が感じられる。イルゼはその頭を大切そうに撫でると、そっと机の端に並べた。

(お父さん、見守っていてね)

 結局、イルゼの父がアマルテイアやツヴェルフについて語ってくれたのはその一度だけ。

 夢に続きがあるのならば、父はあの後仕事があると王都へ行き、そこで――馬車の事故に巻き込まれて亡くなったのだ。


 王都に来て二日目、イルゼは朝食を食べて王宮へと向かう。近くで見る王宮は、昨日遠くから眺めた時とはまた違う美しさを持っていた。外郭は白い城壁で、胸壁からは金の竿頭、その下には国章である月と太陽の描かれた旗が連なるように並んでいる。

 イルゼは正門の脇にある通用門に向かい、そこの門番に声をかけた。魔術院から送られてきた書面を見せると、二か月分の通行証を渡される。ついでに魔術院はどこかと尋ねると、近くで見張りとして立っていた兵士を呼んでくれた。

「魔術院に用事ですね。どうぞこちらへ」

 連れられて中へと入る。いくつもの柱が続く石造りの巨大な回廊は、ぐるりと城壁に沿うように四角を描いていた。その敷地の広さに、イルゼの口は知らず開いたままになる。

「初めて見ると驚きますよね」

 イルゼの前を歩く番人が振り返って微笑んだ。イルゼは慌てて口を閉じ、恥ずかしそうに答える。

「は、はい。ずっと地方にいて、噂でしか聞いたことがなかったので」

「そうでしたか。白壁と金細工で造られた王宮ボウ・ベルズ。アンダルシアンの国政を担う最高機関です」

 大きな石柱が続く回廊を歩いていると、横から爽やかな風が吹き込んできた。四つの塔に囲まれた王宮の中央は、式典などを行う中庭となっているらしく、広大な敷地に芝生の緑が艶々と輝いている。少し視線を動かすと反対側の塔の近くで、騎士団員たちが訓練をしている姿が見えた。

 四隅の塔にはそれぞれ巨大な建物が隣接しており、魔術師や造形師のいる『魔術院』、国の治安を維持する『騎士団』、アンダルシアンの政治一切を取り仕切る『国務院』、怪我や病気に対応する医術師が所属する『医術院』なのだと教えてくれた。

 国王陛下がおられる謁見室や私的空間は、この建物のさらに奥にあるらしい。初めての王宮に緊張するイルゼだったが、ようやく目的の魔術院にたどり着く。

 案内をしてくれた兵士にお礼を言って分かれた後、近くにいた男性に声をかけた。

「あの、すみません。採用試験の件で伺いました、イルゼ・アミ・クレメントと申します」

「ああ、こっちに来てくれるかな」

 魔術院の中は町の礼拝堂のようだった。大きな天窓から差し込む陽光は暖かく、天井には緩やかなカーブを描く梁が幾本も渡っている。部屋には木製の机が並んでおり、魔術院のシンボルカラーである、臙脂色の制服を身に着けた魔術師や造形師たちが、忙しそうに立ち働いていた。

 イルゼがその様子に目を奪われていると、それに気づいたのか男が笑う。

「びっくりした? 最近ちょっと忙しくてね」

 そのまま応接室に通され、イルゼはようやくソファに腰を下ろした。案内してくれた男性は向かいに座り、ゾエと名乗る。今回の試験の事務担当らしい。

「試験の前に魔術院について説明しておこう。ここはツヴェルフと呼ばれる十二人のリーダーとその他の魔術師、造形師で構成されている」

 夢にまで見たツヴェルフという単語に、イルゼの胸がどきりと高鳴った。

「仕事も十二の部署に分かれていて、その責任者が各ツヴェルフというわけだ。今回の試験に合格すれば、そのいずれかの班で仕事をすることになる。で、肝心の試験の概要なんだけど」

 そう言いながらゾエから渡された紙を、イルゼは真剣な眼差しで見つめた。

「試験期間は二カ月。君たちには、ここに記載された術式を組み込んで一から仮面を作ってもらう。最終日、魔術師にその仮面を使って魔術を披露してもらい、出来栄えを判定する」

 仮面を作って魔術師に実演してもらう。実にシンプルな試験だ。

「審査はツヴェルフの担当だ。誰に当たるかは当日までわからないが、お眼鏡に適えばそのツヴェルフの担当部署に配属されることもある」

 ふむふむとイルゼは書面の術式に目を通した。基礎的なものから応用が必要なものまで、かなりの数の術式が要求されている。注意事項も長々と記されており、その最後にあった一文にイルゼの目がとまった。

(『ただし魔術師は、造形師と同じ適性であること』……?)

 その注意書きを補足するかのように、ゾエがイルゼに向かって尋ねる。

「ペアを組む魔術師については、基本的にうちの魔術師に協力するよう言ってある。今回の試験では同じ適性であることが必須なんだけど、……イルゼ、君の適性は?」

「あ、はい、白なんですが……」

 そう言った瞬間、ゾエの笑顔が固まった。なんだか嫌な予感がする。

「し、白か……いや、そうか。造形師は白でもあまり問題ないからな、うーん……でも同一適性という決まりだし……」

 ゾエが言葉を濁す理由は、イルゼにもすぐに察しがついた。

 適性。

 術力や魔力とは別に、各人が生まれながらに持つ資質のことだ。

 赤・青・緑・黄色。そしてごくまれに現れる白の五種類に分類されており、イルゼはその特に珍しいとされる白適性だった。リヒトの適性も白だったので遺伝的なものだろう。

 実は魔術師を目指す場合、この適性が非常に重要になる。

 というのも、適性によって使える魔術の傾向が違うからだ。赤であれば火に特化した魔術、青であれば水を生み出す魔術など、得手不得手がはっきりと表れる。

 一方イルゼのような造形師は、魔術師ほど適性は重視されない。

 だが同じ適性の造形師が作った仮面の方が、魔力との親和性が高くなるため、高度な魔術を使うのであれば統一した方がよいというのが一般的だ。

 そうした背景もあり、魔術師や造形師は自身の適性を表すため「赤の魔術師」や「青の造形師」といった通り名を用いることも多い。

 しかし白の適性を持つ人間はそもそもの数が少なく、その中で魔術師となるとさらに限られてくるのだろう。

 案の定、イルゼの嫌な予感は的中した。

「実はその、……この魔術院には今、白の魔術師がいないんだ」

「そんな……」

 じゃあ試験も中止ですか、と聞くと、ゾエはそんなことはないと否定する。

「ただ困ったな……、試験内容に公平性を欠くわけにはいかないし」

 ううむ、と悩んだゾエが「仕方ない」と言葉を続けた。

「自分で探してもらうしかないかな」

「白の魔術師を、ですか?」

「そう。うちに籍がないだけで、王都のギルドならフリーの魔術師がいくらでもいる。その辺りを当たるとか……かな?」

(かな、って言われても……)

 試験どころかそもそものスタートが危ういのでは。 

 ゾエからは、もしも白の魔術師が見つかったらこれを使って協力を仰ぐといい、と魔術院からの紹介状を渡される。それを受け取るイルゼの頭の中は、「どうしよう」という言葉で埋め尽くされていた。


 先行き不安な説明を聞いて寮へ戻ってきたイルゼを、談話室にいたメリ・メロとルートヴィクが迎えた。

「おかえり、イルゼは誰に頼むか決まった?」

 ルートヴィクの問いかけに対し、イルゼは静かに首を振った。事情を説明すると、二人の表情もイルゼ同様困ったようなものに変わる。

「やだ、あなた白適性なの? そもそも白の魔術師なんているのかしら」

「い、いますよ! 多分、ですけど……」

「ゼロってことはないと思うよ。でもかなり少ないと思う……」

 二人から向けられる呆れと困惑を含んだ視線を受けて、イルゼは恐々と聞き返す。

「二人はもう決まったの?」

「わたくしにはヤエヤマがおりますわ」

 メリ・メロの背後に控えていた赤髪の彼がそっと頭を下げた。

「僕は二種適性だから、二人の魔術師にお願いすることにしたよ」

「ルートヴィク、二種適性なの⁉」

「うん、赤と青のね。仮面を二つ作らないといけないから大変だよ」

 適性は一種類だけではなく、複数持つ人も存在する。

 複数の適性を有することで、魔術師であればより多彩な魔術が使えるようになるし、造形師は種々の仮面に対応出来るという点で非常に需要が高い。ただし複数の適性をすべて同等に扱えねばならず、試験などでは一種適性よりも合格が難しくなる、という噂もある。

「どうでもいいですけど、早く魔術師を探さないと仮面を作る時間がなくなりますわよ?」

「た、確かに……」

 それから三人は試験についていくつか情報交換をし、夜も更けた頃にようやくそれぞれの部屋へ戻った。イルゼはそのままへなへなと崩れるように自分の机にもたれかかる。心配しているのか、オセロットがその周りをうろうろと歩き回っていた。

「少ないだろうとは思っていたけど、まさか一人もいないなんて……」

 だがいないからといって、はいそうですかと諦めるわけにもいかない。

(とりあえず、明日はギルドに行ってみよう!)

 試験に対する決意も新たに、イルゼは気を取り直して伯父様への手紙を書き始めた。



 親愛なるビクトール伯父様へ

 昨日無事王都に到着しました。 

 お気遣いとても嬉しいです。ありがとうございます!


 王都はツクミドにはないものばかりで、見るものすべてが新鮮です。

 特にお菓子! 可愛いケーキや焼き菓子がたくさんあって、

 今から何を食べようかなとわくわくしています。


 でも少し大変なことになりました。

 実は試験に、私と同じ白適性の魔術師の協力が必要なのですが、

 今の王都魔術院には在籍しておらず、自力で探すことになってしまいました。

 ですがギルドなら、白の魔術師もいるかもしれないとのこと。

 早速明日にでも行ってみことにします。


 少し時間はかかってしまうかもしれませんが、諦めずに頑張ります!

 伯父様も見守っていてくださいね。


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