12 出発出向

 だが、ウチの課で欠員が出たという話は、聞いてない。

 急な話だがら、どこの部署に回されるか解らないので、それとなく聞く。


「あの……欠員が出たところは、麻薬担当係ですよね? 薬務課から人が減った話は、聞きませんでしたが?」


「欠員が出たのは別の局・・・。だから急遽、定員数を増やして君を加えたんだ」


「別の局?」


「関東信越厚生局」


「え? まさか、"マトリ"……ですか?」


「そう! しかも【特異効果薬物係】略して"トッコウ係"」


「本当にあるかどうかわからない、幽霊係……」


「局内の都市伝説。怖いね〜。どうだい? 辞退する?」


 確かに、ただでさえ激務のマトリ。

 そこに来て得体の知れない、トッコウ係への配置換え。

 しかも直面するのは社会を揺るがす、ゾンビ事案マター

 薬務課の若手職員は、就職氷河期から逃げたい一心で、安定した公務員という職業を選んだ者もいる。 

 折角、安定という楽園に落ち着いた若い職員には、このような転属は酷だ。

 基本的には願い下げ、というのが若手職員の心情だろう。


 だが、一地方公務員が麻薬摘発のエリート達と、肩を並べ仕事ができるなんて、そうそうない。

 しかも、学生時代から憧れていた、麻薬取締管がいる部署。 

 そんな自分に辞退だって? 答えは決まってる。


 課長は、こちらの顔色を見て忖度し、早口で会話の流れを変えようとする。


「いや! 君の意思に反するなら無理強いはしないよ? 働き方改革を推し進める厚労省の局内で、パワハラがあったりしたら、私の責任問題に……」


「いえ。やります!」


「そ、そう? ホントに? ハッハハハ! いや〜君なら引き受けてくれると思ったよ〜」 


 安心した課長は、意気揚々と見送る。


「それじゃ、張り切って、出発出向っ!」


>C17H21NO


 麻薬取締部の人員は法令で決まっている。

 人数の増減は、法を改定しなければならない。

 つまり時間がかかる。

 だから、正式な人員の補填が行われる場繋ぎで、他の部署から人を出して、足りない人員を補うおうとの考えなのだ。

 言ってしまえば、間に合わせ以外の何者でもない。


 にしても、いきなり麻薬摘発の最前線、マトリに出向だなんて。

 厚労省の出先機関にも、麻薬摘発の組織はいくつもあり、薬務課にも麻薬の検査や調査する係がある。

 それを飛び越えてマトリ行きとは、公的機関の人手不足は深刻のようだ。


 それでも、こちらからすれば日照りに雨。

 念願の麻薬取締業務に就ける。


 今までニュースでゾンビ事件が報道される度、学生時代に味わった悲痛な体験が呼び起こされ、全身を震えさせた。


 自分が薬事課ここで缶詰になり、薬局への注意勧告を啓発するビラを作っている間、違法薬物は蔓延し続け、人生を狂わされた人達がいるのだと、思うとやるせない。

 

 出向とは言われたものの、しばらくは都庁務めが続き、薬務課の業務と平行して三ヶ月ほど、取締に際しての訓練を積んだ。


 警察署に出向き、指導教官から尋問の際、被疑者が暴れた時を想定して、制圧する為の格闘術に逮捕術。


 検察庁では検事から、逮捕する際の司法手続きと、被疑者が法的に扱われる権利。

 厚労省では元麻薬取締官から、麻薬などの違法薬物に関する検査方法。


 そして、ゾンビ化した使用者の対処法。


 月日はめくるめく過ぎて行き、訓練期間はあっという間に終わると、正式に移動が言い渡された。


 薬務課の課長は、「君の薬務課うちでの席は、永久血便・・だから、いつでも戻って来なさい」と、暖かい言葉を貰った……。


 ん? それを言うなら、永久欠番だろ?

 なんなんだ、あの上司は⁉


 >C17H19NO3


 肌寒くなり犬が自身の尻尾を追うように、旋風つむじかぜが歩道を駆け回る。

 新宿線を降りて九段下へ到着。

 メトロの出口を登って地上へ出ると、日の光に目が焼けそうになる。


 目が陽光に慣れてくると、歩みを進め右手側の交番を曲がり、靖国通りから内堀通りへ入り、日本武道館を背に歩く。

 コンビニと「九段下まちかど広場」を越え、観光案内所の建物まで来ると、皇居の北側にある清水門の正面を横目に見た後、その対面となる建物に視線を移した。


 首都高速池袋線に沿って建てられた「九段第三合同庁舎」

 千代田区役所がある同庁舎は、二〇〇七年に開口。

 外壁が太陽を反射するほど白く、並んだバーコードが立体で浮かび上がったような箱ビル。

 下から見上げると白い柱が、古代の神殿の入り口のように見え、神々しく感じられる。

 

 一階はレストランで、外から客の賑やかな食事の様子が見れて、自分もそこへ加わりたくなる。


 白い帯のような雨よけをくぐり抜けて、ガラス張りの自動ドアを通った。


 ロビーは大理石の床に壁。

 まるで証券会社か大手IT会社のような、豪華さ。

 入り口で各部署のフロアを記載した、金属板で行き先を確認。


 【十七階 関東信越厚生局 麻薬取締部】

 

 初日の出勤というのもあり、ドレスコードがわからなかったので、定石を踏むならスーツと白シャツにネクタイだ。

 まぁ、スーツにリュックサックを背負うのは不格好だが、書類や私物も含め何が必要かわからないので、とかく詰め込んで来た。


 ネクタイ位置を直して、受付で紐付きの入館カードを受け取り、他の職員とエレベーターへ乗り込み、十七階に登る。


 エレベーターは少し混雑してたが、到着した十七階で降りることはできた。

 廊下をぐるりと回り、目的の大部屋の入り口で足を止めた。

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