11 元号廃止

 天皇の生前退位も無事に済むと、平成がついに終わり、新たな元号はどうするかと騒がれたが、皇族は建国以来、類を見ない決断を下す。

 

 "元号制を撤廃"したのだ。


 国連の一員を強調し、外国人の訪問者や永住者が増えたことにより、グローバリズムを意識し、世界と足並みを揃える為の英断だった。

 海外同様、日本も紀年法は西暦で数えることとなる。


 もちろん、世間は騒然。

 手叩き迎える者いれば、声を上げて反対をする者いた。

 そんな時代の移り変わりもることながら、自分の身の周りも、新たな節目を迎えようとしていた。


 ――――新宿区。

 二つの塔を壁で繋いだ全体図は、まるで都心に置かれた聖家族教会サグラダ・ファミリアと呼ぶべき造形美だ。

 東京都庁第一本庁舎。

 かつて日本の経済は天上知らずとなり、チョモランマのように高い国内総生産G D Pのグラフに、どの大国も恐れを成していた。

 その時の都市開発で、目玉として作られていたこともあり、多額の税金が投入された超高層建築は「バブルの塔」と呼ばれる。


 泡が弾けても塔が崩れなかったのは、幸いなことで、おかげで今『自分』は、ラップトップの画面に映るグラフと、格闘していた。


 ノータイのYシャツの袖をまくり、ひたすらキーボードを打込む。

 ボタン入力に合せ、画面に映る縦線グラフの横に解説文が、意思を持ったように載っていく。


『各店舗へ、糖尿病薬メトホルミン内に発ガン性不純物、NDMA(ニトロソアミン)が含有されており、これらを七十年使用し続けた場合、ガンを誘発する恐れがあります。ただちに在庫の確認と納入の見直しをされたし』


 一息入れるタイミングで、溜息と共に愚痴を漏らす。


「ふぅ、七十年もしたら誰だって、病気するんじゃないかなぁ……」


 在学中、麻薬取締官の試験が行われなかった代わりに卒業後、地方法務員試験を受けて厚生労働省の所管に当たる、都庁三十階に置かれた【福祉保健局 健康安全部 薬務課】にて、医薬品第三区担当係で技士として働いている。


 マトリの採用試験を簡単に言い表すなら、"気まぐれ"だ。

 取締部の中で欠員が出た時に、試験を開催する。

 他には厚労省で、取締官の増員が必要と判断されれば、法令を改正して定員数の増減を決める。

 つまり、試験を受けるチャンスに、限りがあるわけだ。


 試験は当然、並の難しさではない。

 麻薬取締官は、真に優秀なもの者しか、勝ち得ない称号だ。

 それらをくぐりぬけ、チャンスをモノにした取締官は、まさしく厚労省の精鋭職員エキスパートとして扱われる。


 大学院に進み、麻薬取締官の適正の一部とされる、学士の学位を得て試験のチャンスを待つという道もあるが、自分はそこまで明晰な頭脳を持ち合わせていない。


 いつ実施されるか解らない試験に備えるより、まず携わることが必要と考えて、少しでも違法薬物の摘発に関われる、薬務課を希望した。


 業務は薬剤師の資格を生かせる、薬局や製造会社への立ち入り検査を主に行い、成分の研究や啓発資料の作成で、連日、終電ギリギリまで働いていたが、自分の仕事にやりがいは感じていた。


 今、薬事監視員の指示で、各薬局への注意勧告を促す、データ資料を作成している。


 机のパソコンに向かい、薬剤の成分表を作っていると、何故か撫でるような視線を背中で感じ、思わず姿勢を正す。

 視線の発信源はわかっている。


 薬務課の課長が仕切りに、自分へ目配せをしていた。

 現に何度も目線が合い、非常に不気味だ。

 仕事に没頭しているフリをして、何とか上司の目から逃れようとしたが、「テーンドーウ、くーんー」と不意に呼ばれデスクの前に颯爽と現れる。


 こっちは今日中に、データの打ち込みを終わらせたいのに、なんの用なのか?


 パグが白いYシャツを着たような風貌の課長は、椅子を左右へ小刻みに揺らしながら、探るように聞いて来た。


「君は薬務課ウチに来て何年になる?」


「二年くらいになります」


「今、いくつだっけ?」


「もうじき二六歳です」


「そうか……」


 課長は考え深気に目を伏せて、顎をさすると、意外な言葉を発する。


「実は僕――――血尿が出てしまったんだよ」


「は、はい⁉ 血尿?」


「血尿が出たんだよ」


「血尿ですか……」


 唐突すぎて反応に困る。

 犬面の課長は言葉を継ぐ。


「日々のストレスで、身体が限界を超えてしまったようだ。医政に関わる者が病気になるなんて、皮肉としか言いようがないんだが」 


「それは……大変ですね……」


 気まずさからくる沈黙が、伸し掛かろうとしたので、課長は慌てて言い直した。


「違うんだよ! 血尿じゃなくてね。出たのは欠員・・なんだよ」


「え? 欠員ですか?」


「いや、血尿も出たんだよ」


「どっちですか⁉」


「欠員の方だよ。君、以前から麻薬担当業務をしたいと、希望を出していただろ?」


「はい」


「今時、ウチの部署で君みたいに、麻薬絡みの仕事をしたいという、若者は珍しいからね。仕事への粘り強さと麻薬への正義感を買って、"麻薬担当係"に移ってもらいたい」


「ありがとうございます」


「これは東京都知事、および検察庁検事正の協議の結果だから、正式な辞令だよ。わざわざ通達なんて出さないんだからね?」


「承知しました」


「うん。では――――天童てんどう光灯みなれ。貴殿を同課の麻薬担当係へ配属とし、"麻薬取締員"に任命する」


 ついに来た。

 この瞬間を待っていた。

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