無慈悲な追跡者

@wizard-T

第1話 あるサラリーマンの場合

「まただよ」

「駄洒落か」

 梅雨の二文字がにじみ出始めて来るような初夏。もっとも梅雨じみているのは空気だけで、太陽はずいぶんと強く照っている。風速7メートル近いビル風も南風とあって効果は弱く、私たちの額にじわりと汗が浮かんでいた。


 灰色のビルの谷間の、これまた灰色の道路。お義理のように立ち並ぶ街路樹は風に揺れ、葉っぱはガサガサと耳につく音を立てている。スーツ姿の男二人が、いつものように昼食を一食数百円のファミレスで済ませ、ガードレールから離れた方を歩きながら会社への帰り道を進む。


 私たちの昨日の昼食は、コンビニエンスストアで買った二個のおにぎりと野菜ジュース。それで全てだった。そのコンビニおにぎりの一つは三角形の真ん中にマヨネーズで和えられたマグロ肉、いわゆるシーチキンマヨネーズが入り、そしてもう一つが円形に成形された、キノコが入った物だった。そのおにぎりに使われているキノコはただ一種類、マイタケのみである。二個のおにぎりには、値段の差異はごくわずかしかない。


 マイタケがかつて死ぬまで生える場所を教えてはならない存在であり名前が発見した喜びで舞い上がることから付いたとされるほどの存在であった頃の威厳を感じるのは、今スーパーマーケットにて100グラム200円前後で売られていると言う扱いを思うとなかなかに難しい。

「しかしなあ、最近ついこう、避けちまうんだよな」

「俺だって避けるよ」

 先ほど私のくだらない駄洒落に付き合ってくれた同僚と同じように、みんなガードレールから離れて歩いている。そのせいで歩道は渋滞を起こし、やむなくガードレールの傍を通る時はみんな早足になっていた。

 それもこれも、こんな場所で真昼間からランニングなんかするような連中のせいである。

 ―――何せ彼らは、服をまったく身にまとっていなかったのだから。




 ここ最近、彼らが原因となって起こされるわき見運転による事故多発が日本のみならず、世界的な社会問題となっていた。まだ日本では死者までは出ていないが、海外ではすでに三ケタを超える死者が生まれている。もちろん日本でも損害は少なくなく、最近では道路工事業者が引っ張りだこ状態になっていた。


 自動車事故をなくすにはどうすればいいかと言う永遠と言うべき課題に対し、絶対的な正解はひとつしかない。自動車をなくす事である。

 身も蓋もないうえに本末転倒以外の何でもない話だが、私たちが入ったファミレスの隣の席の女性がそっくり同じことを言っていたのに、私たちは笑う事もできなかった。

 もしニュースなどで免疫が付いていなければ、同じことを言っていたかもしれない。少し前までは自分たちが自動車を持っていない事を軽く恨んでいたが、現在はその事に安堵していた。




「あっ」


 今日と同じようにファミレスで食事を取って会社に戻ろうとしていた私たちから、その声がほぼ同時に飛び出したのはもう三週間も前の事だった。そしてその時私たちと同じようによそ見をしていた二十代前半の学生と思しき男性が、歩道で五十代前半の女性とぶつかっていた。


「すみません」

「どこ見てるのよ!」

「いや、ついその、向こうの歩道を」

「ったくちゃんと気を付けないと危ないのよ、歩きスマホでもないのに」

「実は隣の歩道に――」


 学生が頭を下げながら謝罪の言葉を口にすると、中年女性はこの無礼な年下の青年に対したっぷり言い含めてやろうとばかりに口舌を振るった。さらに裸のアラサーの男性が走っていたと言う言い訳を聞かされるや、女性は背伸びして青年を睨み付けた。

「あなたね、こんな真っ昼間から夢でも見てる訳!私だって毎日ニュースとか見てそういうのが出てるって言うのは知ってるけど、このあたりにいつ出て来たってのよ!だいたい……」


 そこまで言った直後に中学生ぐらいの裸の女子が現れ、梯子を外された格好になった中年女性は平謝りしながら右目をこすり、やりきれない気持ちをガードレールにぶつけて去って行った。青年もまた自分に梯子を立てかけ、中年女性の梯子を外した存在が同類項であることを知っていたので何も言わずに立ち去った。


「………いや、しかし、生で見たのはこれが初めてだよな」

「ああそうだな、本当のこと言うと信じられなかったんだよ。目撃情報とか、映像とか見聞きしてもどうもなあ」


 そして私たちにとっても、その時の二例が最初の目撃であった。初報から一週間、正確に言えば九日が経ってからの目撃。それが世界の中で何番目に早いのか遅いのか、そんな事は本人たち含め誰にとってもまったくどうでもいい情報である。それより重要な事実は、目の前で起こった光景を理解する事であり、これまで遠い世界だと思っていた事が現実に迫って来ているという事である。







 事の始まりは、五月三日まで遡る。正確に言えば、五月二日の午後11時だ。その日ゴールデンウィークの真っ盛りであった日本で、それは姿を現した。


 何らかのパフォーマンスか。

 では一体何をアピールしようと言うのか。

 あるいは本当に疲れ果て尾羽打ち枯らし、やけくそになった上での行動なのだろうか。

 その姿をたまたまひとりの青年に見られ、写真を撮られアップロードされる事により世の中に出た一人の男性。


 翌朝、また同じ青年の所に現れたその存在には正確に言えばかなり大きな違いがあったが、それでも一糸まとわぬと言う肝心な点はまったく外れていなかった。

「アパートの二階から下を眺めてたら撮れた写真。言っとくけど合成写真じゃないからな。一枚目と二枚目、みんなこれどう思う?」

 ツイッターに、二枚の写真が貼り付けられた。二年半以上続け500人近いフォロワーを持つ、日常生活中心の平凡なツイッターにだ。


「まじかよこれ」

「おいおい何だこの変態どもはwwwwちと移住したいかも」

「夫婦喧嘩にしてもなあ、深夜だけじゃなく朝からこんな事やってるのかwwwwwww」

「これ映していいんですか、まあ顔は見えないようですけど」


 これまで数千と言う単位のつぶやきをしながら多くても3、4個しかコメントが来なかったというのに、そのつぶやきには1時間足らずで10個の、ひと月が経った現在では350ものコメントが付けられている。

 なおそのつぶやきは現在彼のツイッターの筆頭に据えられており、現在もコメントやいいねの数を増やしている。ちなみに私がいいねを付けたのは五月二十二日だ。そして六月一日、そのツイッターに新たに17個のコメントがついたが、その内16個が同じ質の物であった。残る1つは


「なんかある意味懐かしいな」


 と言うかなり高齢の男性のコメントであり、なるほど確かに被写体となっている存在はその時に青春を送った人間にとってセンセーショナルな印象を残した存在と酷似していると言えるかもしれない。

 もっともその事を投稿者が知ったのは、これがさほど珍しくもなくなりその時と似たような現象かもしれないと新聞などで取り上げられるようになってからのようである。




 最初に彼が目撃したのは、長い金髪をたなびかせた女性だった。しかし金髪にしては肌が白くなく、黄色人種を思わせる肌の色だったと言う。しかしだからと言って髪の毛を染めているとか色を抜いているとか言う感じは薄く、突然変異のように金髪になった日本人と言う説明が一番しっくりくるそれのようだ。


 二度目、翌朝に彼が目撃したのはその女性とはかなり違っていた。無造作ヘアと言う言葉が似合いそうな髪形で髪の色は黒く、足は太く、そして手も太い。さらにそれらは脂肪と言うより、筋肉による太り方をしていた。顔は見えなかったが、写真を見る限りでは鼻が前に突き出していて美青年っぽい顔を持っているであろう事は推測可能だった。


 もっとも、女性としてはとか美青年っぽいとか言うものの、本当に美青年であるか女性であるかなど、断定できなかった。性別に限らず様々な事象を判定するにあたっては様々な情報が必要であるが、彼らには決定的な要素がなかった。夜十一時とか、休日との朝七時とか、そういう時間に走り回る人間に男女どちらが多いのかなどと言う正確な統計など、誰一人持っていない。






 しかし、なぜわざわざ全裸なのだろうか。


 真上から見ているのだからあるいは見えない範囲で下着を付けていたのかもしれないと言う推測が無意味であることは二枚目の写真の時点ではっきりしており、そしてそれから二日もしない内に現れた酷似品たちにより、今日もまた聖地巡礼と言う文字を投げつけられているその青年にも伝えられていた。


 あるいはそれ以前に世界中のどこかで、世界中の他人に伝える方法もその気もない人間の元に既に現れていたのかもしれない。しかし、少なくとも日本においては彼が最初の発見者であり、彼の発見からひと月程度の期間であっという間に世界中に同類項たちが出回っている事になる。


 もちろん、彼が火を点けたと断定できる証拠はひとつもない。あるいは誰かが発見して同じように点火して世界中にまき散らしたのか、あるいは誰が何をせずともこうなる運命だったのか。その事に対する答えは、やはり現在のところ誰も持っていない。それより今は、目の前の仕事と婚活の方が大事だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る