第2話 イザドラと騎士の追走劇

 人捨て山を旅立ったイザドラは、馬で三日ほどかけて反英雄たちが住んでいるという混沌街までやってきた。


 この街にたどり着けば後は何とかなるだろう……。そんな風に気楽に考えていたのだが、それは大きな間違いだったことに気づかされる。

 何故なら混沌街はただの街ではなかったからだ。


 貧民や虐げられた者たちが集まるその街は、小高い丘を埋めつくすように大小さまざまな建物が無秩序に広がっている。

 無計画に伸ばされ曲がりくねった通路と、増改築を繰り返した家屋とが折り重なり、さながら街全体が迷路のように入り組んでいた。

 そのためイザドラはこの街に入って間もなく、どの通りを歩いているかすらわからなくなっていた。何度も同じ通りをぐるぐる回ってしまい、完全に迷ってしまったのだ。


 その上ここは犯罪者が平気でのさばる盗賊都市でもある。

 混沌街ではスリや強盗は日常茶飯事、立ちよった旅人が身ぐるみはがされ、翌日には川に浮かんでいる……なんてことも珍しくない。

 だからこそ混沌街までたどり着いたイザドラは、まずは慎重に反英雄たちの住処すみかを探すつもりだったのだけれど――


「なんでこんなことになっちまったんだよ!?」


 何故だか今はとんでもないことに、村からやってきた七騎の騎士に見つかり追いかけられていた。混沌街で迷っている途中で騎士たちに発見され、そこから命がけの追いかけっこが始まってしまったのだ。


「クソッ! ホントにしつけーヤツらだな!」


 追われるイザドラは、手綱を引き締めながら馬を飛ばす。廃材をかき集めて継ぎはぎしたようなあばら家が連なる裏通りを、疾風のように駆け抜ける。

 竜の髪飾りで束ねた自慢の長い銀髪をゆらし、すすけた灰色のコートをバタバタとはためかせながら。


 まだ幼さの残る顔立ちの少女であるにもかかわらず、すらりと伸びた手足で巧みに手綱をあやつり、追っ手をかわしていく。


「しつけー男は嫌われっぞ!」


 そう叫んでイザドラが後ろを振り返ると、いかつい形相の騎士たちが、もうそこまで迫ってきていた。

 猛々たけだけしい馬蹄の轟きが、荒れた石畳の道を踏み散らす。


 騎士たちは羽飾りのついた幅広の帽子をかぶり、そろいの白い隊服に身を包んでいる。

 その胸には剣をあしらった隊章が輝く。それはこのつるぎの国ヴレスランドに仕える『つるぎの騎士』の証であった。


 彼らは正義の騎士、一騎当千の強者つわものと呼ばれていたはずなのだが……今はたったひとりの少女を捕まえるのに手こずっていた。

 生け捕りにしろとの命を受けていたこともあるが、ネズミのようにちょこまかと逃げ回るイザドラに翻弄されていたのだ。

 苛立つ彼らは、手綱とは逆の手にいしゆみを構える。


「止まれ! 止まらなければ撃つぞ!」


「誰が止まるか、くそたわけ!」


 イザドラはそのかわいい顔に似合わない、口汚い台詞を吐き捨てた。

 どうせ止まっても無事にすむはずはないのだ。今は逃げの一択しかない。反英雄たちの元までたどり着けば助かる、私の勝ちなんだ。


 彼女は自らにそう言い聞かせると、湧き上がる悲壮感を振り捨てて手綱を引き締める。

 追走劇を繰り広げる少女と騎士たちは、いつのまにか大通りを抜けて広場に飛び込んでいた。


「ほら、どいたどいたー!」


 バザーのテントが立ち並ぶ中を、矢のように突っ切っていく。広場にいた人々は巻き込まれてはたまらないと声を上げて逃げまどう。


「ならば命の保証はせぬぞ!」


 騎士隊長はそう怒声を張り上げると、下卑げびた笑みを浮かべる。

 彼は『イザドラを生きて捕らえよ』と命を受けていたが、内心ではそれを軽んじていた。


 現場で想定外の出来事が起こるなんてのはよくあることではないか。抵抗する逃亡者が意図せず矢に当たることもある……いや、むしろ我ら『剣の騎士』に歯向かう小娘に、鉄槌てっついを食らわしてやることこそ、本当の正義ではないか――とさえ思っていたのだ。


 そんな横暴な隊長の合図で、一人の騎士が矢を撃ち放つ。その矢は狙いたがわず、イザドラの背にズブリと突き刺さった。


 少女は心臓をつらぬかれ絶命したかに見えたのだが……コートの下に鎧でも着こんでいたのか、ガキンッという金属音を上げて矢は跳ね返る。


「痛ってーなっ! 乙女の柔肌になにぶち込んでくれてんだ、このハゲ猿!」


 イザドラはそう悪態をついたものの、生まれて初めて自分の呪われた身体に感謝した。そうでなければ今頃は射殺いころされていたに違いない。


 未だ倒れず逃げ続ける少女に対し、騎士たちが再びいしゆみを射かけようとしたとき――


 少女の駆る馬が、避けられずにバザーのテントに突っ込んだ。人々の悲鳴と共に、オレンジ、リンゴ、オリーブ、ナツメヤシ――色とりどりの果物が宙に舞う。

 イザドラはその中のデカくて固そうな果実を空中でキャッチすると、


「これでも食らえ!」


 振り返りもせずに、騎士たちに向かって力いっぱい投げつけた。それは鈍い音を立てて、隊長の顔面に直撃する。彼女は思わずガッツポーズし、そのまま駆け抜ける。

 隊長はのけ反りよろけるが、手綱を引いて起き上がると、烈火のごとく紅潮した顔で吠えた。


「この小娘がっ! 絶対に許さん、射殺いころしてくれるわっ!」


 しかしそのわずかな隙をついて、イザドラは追手との間に相当の差を広げていたのである。


 勝った!

 このまま人込みにまぎれて裏通りに入れば、完全にまいてしまえる。もう追跡は不可能だ。


 そうイザドラが確信したときだった。

 一瞬の気のゆるみのせいで、気づくのが遅れてしまったのである。彼女の目の前に逃げ遅れた、赤子を抱いた母親がいたことに。


 母親は突然現れた猛スピードの馬にどうすることもできず、せめて我が子だけでもと、赤子をかばうように抱きかかえると、背中を向けてしゃがみ込んだ。


 もう遅い――

「やばい、ぶつかる――」


 こちらは命がけの逃走劇の途中、ましてや捕まればただでは済まない。

 けれど親子の方は、ぶつかってもケガ程度で済むかもしれない。いや、例えただで済まなくても、彼女らはしょせん他人じゃないか……。


 そんな悪魔のささやきが一瞬脳裏をよぎる。


 けれどイザドラはその誘惑をすぐに断ち切った。赤子をかばう母親の姿が、自分の亡くなった母親に重なったからかもしれない。

 私が虐められていた時も、いつもああやって守ってくれていたっけ――


 彼女は手綱を思いっきり引っぱり無理やり馬を止めることを考えたが、今からでは間に合わずに親子を巻き込んでしまう、こうなったら――


 イザドラは覚悟を決める。いちばちかを神に祈る。

 馬をとっさに右に傾けると、すんでのところで親子の横をかすめ過ぎ、その勢いのまま建物の石壁に斜めから激突した。

 馬はもんどりうって倒れる。少女も空中に投げ出され、地面に激しく叩きつけられた。


 イザドラは落馬時にしたたかに背中を打ちつけたせいで呼吸ができず、肺に焼けつくような痛みが広がる。

 だが自分の身を案ずるよりも早く、通り抜けた後方を見やって親子の姿を探す。


 その視線の先には、何が起こったのかわからず呆然と立ち尽くす母親の姿と、赤ん坊の泣き声が聞こえてくる。


「よかった……。あやうく人殺しになるところだった――」


 大の字に倒れたままの彼女は、なぜだか天を見上げて笑った。普段は冷たい神様が、今日はたまたま願いを届けてくれたのかもな――と。


 イザドラが倒れ込んだのは、広場に面した教会の大扉の前だった。

 分厚い石壁の古びた教会。白昼の光が尖塔の十字架を照らし、その影がまるで墓標のように少女に覆いかぶさっていた。


「手足は動く、たいしたケガはない、大丈夫まだ逃げられる」


 そう意識を奮い立たせると、息も絶え絶えになりながらも扉へといずる。


 村の神父様から聞いた覚えがある。教会の中は治外法権、そこでは騎士たちも無理強むりじいすることはできない。何かあったら教会に逃げ込みなさい――と。


 イザドラの伸ばした手が扉をつかみかけたとき、騎士隊長の足がその手を力強く踏みにじった。


「逃がすわけがなかろう!」


「きゃあっ!」


 イザドラが短い悲鳴を漏らすと、騎士は残忍な笑みを浮かべて、さらに彼女の頭を石の地面にごりごりと踏みつける。

 イザドラの悲痛な叫びが教会前の広場に響いたが、その声は神には届かないようだった。


「貴様のような人間崩れが我ら騎士に歯向かうとは無礼千万。命までは取らぬ、だが――」


 その言葉を合図に、騎士たちがあらがう少女の身体を抑え込むと、隊長が剣を抜く。

 『イザドラを殺すな』との命は受けているが、『五体満足で』とは言われていない。隊長は口の端を吊り上げて笑うと、イザドラに向かって吐き捨てた。


「その罪は身体でつぐなってもらうぞ。腕を叩き斬る!」


 彼女の瞳に映ったその刃は、陽光に照らされぬらりと鈍く光っていた――

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