反英雄

AI

第1話 少女イザドラの旅立ち

 イザドラは神様のことが嫌いだった。

 毎日教会に通って熱心に祈りを捧げても、神様は決して願いを叶えてはくれないからだ。

 自分が呪いにかかりそのせいで虐められた時も、母さんが治らない病気にかかった時も、必死で祈ったのに奇跡は起こったりしなかった。


 純真無垢な少女が真面目に祈ってるんだから、ちょっとくらい依怙贔屓えこひいきしてくれたっていいじゃないか。減るもんじゃあるまいし――

 イザドラはそう思うのだが、神様って奴はどうも融通のきかない堅物のようだ。


 そんな彼女の不満を見透かすように、神父様がイザドラを見つめて微笑む。


「イザドラは礼拝が苦手のようですね――」


 彼女は村人みんなの前で注意されたせいで、ムスッとして口をとがらせた。



 そこは村にひとつだけある古びた教会だった。分厚い石壁のせいで室内は薄暗く、なんだかカビ臭かったし、おまけに狭苦しい。

 そのうえ今日は週に一度の礼拝の日だったので、村人たちの大半が教会に来ていたせいで、礼拝堂はいっぱいになっていた。


 イザドラはひとり、一番後ろのギシギシうなるベンチに腰掛けながら、神父様の声に耳を傾けていた。そこが彼女の定位置だ。

 礼拝堂は満員状態だというのに、彼女の隣に座る者はひとりもいない。なぜなら彼女の呪われた病気は伝染すると噂されていたせいで、誰もそばに座りたがらなかったからだ。


 そんな仕打ちにイザドラはもう慣れっこになっていた。むしろひとりの方が気楽なくらいだ。下手に近寄られ触れられて、結局嫌われるくらいなら、初めから人の温もりなんか感じない方がマシではないか。


 とはいえ、それでも彼女は自分の呪われた身体を見られたくはなかったから、春になったというのに手首まで覆う長袖の上着を羽織っている。


 そうしていれば、少なくとも見た目は普通の少女と変わらないはずだ。

 男勝りのおてんば娘として知られた彼女も、最近ではすっかり女性らしい体つきになっていた。

 まだあどけなさの残る愛くるしい顔も、長い銀色の髪も、人から後ろ指をさされるような見た目じゃないはずだ――イザドラはそう信じたかった。


 それでもたったひとつ、イザドラの容姿で目を引く所があるとするなら、それは銀髪を留めている竜をかたどった髪飾りだ。

 彼女の服装は他の村人と同じように着古してみすぼらしかったけれど、その銀細工の髪飾りだけは、少女の芽生え始めた美しさを彩るようにとても似合っていた。


 イザドラはお気に入りのその髪飾りを指先で撫でると、大きく息を吸い込んで覚悟を決める。

 彼女が来たくもない礼拝堂にやってきたのは、神父様に相談したいことがあったからだ。ところが話しかけるタイミングを見失い、結局礼拝に付き合うことになってしまっていたのである。


 やせ細った神父様のかすれた声が、礼拝堂に響く。


「皆さんは神に『奇跡』を祈ったことがありますか? はたしてその願いは叶ったでしょうか? おそらく望んだ結果は得られなかったでしょう。

 では、もし神が皆さんの願いを叶えてくれたらどうなると思いますか?」


 神父様がそう尋ねると、ボロをまとった村人たちは思い思いに幸せな願いを語り出す。

 子供たちは「おなかいっぱいお菓子が食べられる」とはしゃいでいるし、老婆は「曲がった腰が治れば元気に隣村まで歩いていける」と喜んでいる。農夫は作物がたくさん実ればと、切実な想いを語る。


 神様が願いを叶えてくれたら、みんな幸せになれるに違いない――村人たちはそう考えているようだった。


 けれどもイザドラは違った。そんなはずがないと思うのだ。彼女は誰にともなくぼそりと呟く。


「確かに自分の願いは叶えて欲しいに決まってるよ。でもさ、ほかの人の願いも叶うとなったら話は違う。

 この世は善良な人間だけじゃないんだ。人を呪ったり、世の中を支配したいと思う奴だっている。神様がすべからく願いを聞き届けていたら、とんでもないことになっちまうよ」


 イザドラは小声で呟いたつもりだったが、思いのほかその声が響いてしまっていたようだ。神父様は彼女の言葉を耳にすると、肯定するように後を続けた。


「イザドラ、あなたの言う通りです。人の欲は計り知れない。世の中は善良な人々だけではないのです。

 だから、もし神が人々の願いを叶えていたら、この世界はとっくに滅んでしまっていたかもしれない――

 それゆえに、神は公平に人々の願いを叶えないのでしょう」


 彼は優しい声音こわねで村人たちに伝える。


「だからこそ奇跡を信じてはいけない。奇跡が起こるとすれば、それは人の力によってのみ起こるのです。

 人は自らの力を信じて、生きていかなければいけないのです。神はその行いを見ているのですから」


 ごもっともな説法だ、とイザドラは思った。

 だけどそれは、まっとうな人間として認められた、生きる資格のある人だけの話じゃないのか? 力のない、しいたげられる弱者はどうすればいいというのだろうか?


 彼女は我慢できなくなって、立ち上がって叫んでいた。


「努力は報われるとか、がんばれば夢は叶うとか、そんなもの嘘だってわかってるよ。

 だけど世間から見捨てられ、まっとうな『人間』としてすら扱われない私みたいな奴は、祈ることすら許されないってのかよ。

 呪いのせいでしいたげられるのも、母さんが死んだのも、当然だから黙って耐えるしかないってのかよ。

 それじゃあ、あまりに惨めすぎるよ……」


 イザドラは頬を紅潮させて訴えた。その声が狭い礼拝堂に響いたが、村人たちは振り向いて彼女を見返すだけで、誰も口を開かない。

 神父様が彼女の前まで歩いてやってくると、なぐさめるようにゆっくりと声をかける。


「惨めなことはありませんよ。神は常に私たちと共にある。神がいるのは天ではなく、イザドラ、あなたの心の中なのです。だからいま耐えていることも決して無駄ではないのですよ」


 神父様の言葉にイザドラは口をつぐんだ。けれどもそれは納得したからではない。


 それは確かに正論だけどさ、そうじゃないんだ……。いま聞きたいのはそんななぐさめの言葉じゃない。


 イザドラはそう毒づきそうになったのだけれど……神父様があまりに「いいこと言った」的な満足げな顔をしていたので、その言葉を飲み込んだ。


 イザドラが本当に知りたかったのは、この村に起こっている大問題の解決方法だったのだ。

 彼女は教会の狭い窓から、その元凶を眺める。


 山のふもとに建てられた教会の眼下には、村のほったて小屋みたいな家屋と痩せた田畑が広がる。

 さらにその先には騎士たちの駐屯地となっているたくさんの天幕と、その横には奈落につながっているような深い大きな穴が見える。


 その穴の奥底には、竜が封印されているという話である。その昔、炎の髪を持つ魔術師が現れ、竜を地中深くに封じ込めたという伝説が残っていた。

 今でもその穴の底から、時おり恐ろしい咆哮が轟くことがある。だからそこは立ち入り禁止となっており、村人たちは誰も近寄らなかった。


 そんなわけだから、普通はこんなぶっそうな場所に住みたいと思う者などいるはずもないのだが――この村は『人捨て山』と呼ばれていて、他の街から追い出された病人やら世捨て人やらがたどり着いて、仕方なく住んでいたのだ。


 ところが、その人捨て山に一年ほど前、国に仕える「つるぎの騎士」たちが訪れたのだ。しかも彼らは「竜殺騎士団」と呼ばれる竜殺し専門の英雄たちだったのである。


 その時はイザドラも、騎士たちを憧れの眼差しで見つめたものだ。正義の英雄たちがやってくれば、誰だって竜を退治して平和を取り戻してくれると思うはずだ。

 しかしそんなイザドラたちの希望は、ものの見事に裏切られてしまったのだ。


 「クソッ」っと憤り、思わずイザドラは目の前のベンチの背を叩くと声を張り上げる。


「本当なら私たちを守ってくれるはずの正義の騎士たちはさ、逆にこの村を支配してやりたい放題じゃねーか。おまけに竜まで復活させようとしてる。そうなったらこの村は……」


 神父様は押し黙ってしまう。今度はいい説法が思い浮かばなかったようだ。

 なんだよ、こういうときこそビシッと決めてくれよ……そう思わないでもなかったが、しょせん無理な話なのだ。


 神父様のその沈黙が逆に回答になってしまっていることに、この場にいる全員が気づいていた。

 村人たちがさっきからずっと口をつぐんでいるのも、みんな諦めてしまっているからだ――


 春になったというのに、石造りの教会の中は妙に冷え冷えとしていてまだ肌寒く、イザドラは上着の合わせ目を引きよせる。


 どうしようもないことはわかっていた。だけど逃がれられない運命とやらに、おめおめと指をくわえて待っているのはしょうに合わない。

 彼女は覚悟を決めると、以前から考えていた危険な賭けを語りだした。


「だけどそんな私のようなもんでも助けてくれるヤツがいるんだ。正義の騎士たちに歯向かって戦ってくれるヤツが……。

『反英雄』ってヤツらなら、この村を救ってくれるはずだよ!」


 『反英雄』という名を聞くと神父様の顔色が変わり、険しい表情をイザドラに向ける。


「彼らは、危険すぎる……」


 もちろん知っていた。そいつらは本来英雄と呼ばれる力を持ちながら、決して許されることのない罪を背負ったならず者たちだ。


 それまで黙って話を聞いていた村人たちが狼狽し、イザドラの方を振り返ると口々に反対しだす。


「バカな、あいつらは狂戦士どもじゃねぇか」

「そんな危険にわざわざ首をつっこむ必要なんかない。騎士様たちに従っていれば命までは取られんて」

「あいつらに頼んだら助けてくれるどころか、この村全員、石の像に変えられちまうぞ!」


 村人たちが反対するのも無理はない。『反英雄』の恐ろしい悪評は、この島全土に響き渡っていたからだ。


 ひとりは、竜に恋人を殺され、竜殺しの妄執にかられた狂戦士。

 ひとりは、竜の炎を吐き街をも滅ぼす竜人。

 そして最後のひとりは、ひと目見ただけで相手を石に変えるという蛇乙女メデューサ


 そんな英雄ならざる咎人とがにんたちを、人々は畏怖の念を込めて『反英雄』と呼んだ――


 だけれども、なぜか彼らには見捨てられた弱者を救ってくれるという噂もあったのだ。

 イザドラはわらにもすがる想いで、その噂を信じて危険な賭けに出ることに決めたのである。


「わたしは『反英雄』たちに助けを求めに行くよ。彼らが住んでるという混沌街にさ」


「やめなさい、イザドラ!」


「いいや、思い立ったが吉日っていうじゃないか」


 彼女はベンチを蹴り上がって神父様の横をすり抜けると、村人たちの静止を振り切って教会を出て行く。

 教会の扉を勢いよく開けると、湿った風が吹き込んできて彼女の長い銀髪をゆらした。


 ひと雨きそうだな……。鉛色の空を見上げながらイザドラはそう思ったが、なぜだか天気とは逆に心は晴れやかになっていた。

 やることが決まれば、後は一直線に進むだけだ。

 彼女は教会の入り口に繋いでおいた馬に飛び乗ると、勢いよく駆けだしていく。


 正義なんて名乗ってるヤツらは大抵裏では汚いことをやっていて、私たちみたいなもんは助けてくれない。

 だけど『反英雄』たちには、なんだか希望を託してもよいと思えたのだ。


 かつて母さんが生きてるときに、反英雄たちのことをこう言っていたからだ。

 「それはこの世で最後の正義」と――

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