玲編 光景
新暦〇〇三五年十月八日
俺がまたそうやってあれこれ考えている間にも、
この日は、
<ウサギのコスプレをした人間>
にしか見えないパパニアンがそうやって犠牲になっている光景というのは、完全に<グロ映像>だと思う。本当に、
<ウサギのコスプレをした人間が殺された現場>
でしかないわけで。
だから俺はいつまで経ってもこれに慣れることができない。それはシモーヌも同じだ。
しかし
<日常の光景>
でしかなく、
「可哀想……」
と口にしつつも、そんなにショックを受けてる様子もない。まあ、地球人の子供だって、バッタがカマキリに捉えられて食われてても、『可哀想』とは言うことはあっても、あまり強くショックは受けないもんな。それに近い感覚なのかもしれない。
だがここでは、いちいち俺やシモーヌみたいに感じてたら生きていくのがつらいだろうし、
その一方で、地球には、
『考えるな、感じろ』
って言葉があってそれを根拠に物事を深く考えないでいいと考えるのもいたが、俺はこれは根本的に間違ってると思う。
『考えるな、感じろ』ってのは、ここで暮らしてると余計に実感できるんだが、先日の
でもな、だからって普段から物事を深く考えなくてもいいって意味じゃないはずなんだ。
だってそうだろう? 何も考えずに上手くいくなら、<戦術>や<戦略>ってもんを練る必要があるか? <作戦>を立てる必要があるか? アスリートが普段してる練習メニューは、ロクに考えもせずに何となくの気分で決めたものか? アスリート自身はそこまで考えちゃいないかもだが、少なくとも指導してるコーチとかは、徹底的に最大の効果を得られるように練習内容とかを考えてるよな?
じゃあやっぱり、考えなきゃいけないんじゃないか。試合とかに備えて徹底的に考えられた練習をこなして、試合のその瞬間にいちいち考えたりせずにそれまでやってきたことを信じて実力のすべてを発揮することだけに集中すればいいってだけだよな?
試合当日になってあれこれ考えてたって、もう遅いだろ。
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