玲編 父親としての威厳
新暦〇〇三五年八月十日
ケインは、順調に<人間らしい>成長を遂げてるんだが、イザベラとキャサリンは、教えてもないのに<
力も、地球人の大人が相手だとさすがに勝てないかもしれないが、子供相手なら余裕で勝てそうなくらいなんだと。
まあそれでも、周囲にいるのがとんでもない強さの持ち主ばかりだから、その中ではやっぱり幼児相当なんだろうが。
つまり、<体術>や<戦略>を用いなければ、
これは、
『力で父親としての威厳を示す』
などできるはずもないということでもある。だが、<威厳>なんか示す必要もない。そんなものは、
『信頼してもらえないことを威厳という形で取り繕ってるだけ』
でしかないからな。力に頼るタイプの人間でさえ、<信頼してる相手>になら敬意を示すだろう? それが答だよ。子供に信頼してもらえない父親ほど<威厳>に頼らざるを得なくなる。
『威厳に頼り切ってた父親が子供に反発されて、でもその子供が大人になって経験を積むことによって父親のことを理解する』
なんて話がよくあるが、考えてみたらおかしな話だろ? 父親に反発してる子供だって、<尊敬する大人>がいたりしないか?
『父親の言うことは聞かないが、その大人の言うことなら聞く』
なんてことがあったりしないか? そこで冷静に考えてみたらなんでそんなことが起こるのか、察するものはないか?
<子供から見て信頼に値しない父親>
だからそんなことになるんじゃないのか? そして、
『子供の側が成長し経験を積むことで父親のことを理解し』
ってのは、美談のように語られることがあるが、
『子供の側が成長して理解してくれることが前提』
だとか、本当に<美談>にしていいことか? 単に、
<父親の方の努力不足>
を美談で誤魔化そうとしてるだけじゃないのか?
『子供がとにかく大人に反発してるだけ』
だとしたら、その時点で<尊敬できる大人>がいたりするのはなぜだ? その、<尊敬できる大人>と<父親>の違いはなぜ生まれる? <尊敬できる大人>と子供からは認識されていた人物だって、実は欠点があったりして人間としては父親とそう変わらなかったりしないか?
なにより、子供からは信頼されていない父親も、外では信頼されていたりってことはないか? なんでそんなことになるのか、俺は考えるんだよ。
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