当編 誰とも違う姿

新暦〇〇三三年四月十三日。




ルコアについては、今も時々、感情が昂ぶってしまうのか泣いたりもしているものの逆にその状態で安定している形になっているらしく、当面はそれを見守る方向で行こうと思う。


もちろん、何か変化が見られればその都度触れるつもりだが。


なお、ルコアの様子を確かめながらではありつつ、今後は一週間に一度くらいの割合でビクキアテグ村を訪問し、徐々に慣らしていく予定ではある。


しかもそれは同時に、ビアンカと久利生くりうが直接会える時間を作るという目的もあるんだ。


これはビアンカ、久利生くりう両名にとっても必要なケアだからな。


将来、人間の数が増えてくればなかなかここまで丁寧な対応を行う余裕もなくなっていくかもしれないが、それをアリスシリーズに補ってもらうんだ。まさにそのために今、ノウハウを蓄積して行ってるところである。


ビアンカがルコアと接した時、ビアンカの振る舞いに対するルコアの反応を記録。加えて、俺やシモーヌ、あかり久利生くりうとのコンタクトがルコアの心理に与える影響も、セシリアの解説を受けながら、地味に製造を開始したAIに蓄積していく。


いずれそのAIを搭載したロボット達が自律的に人間を支えていくことになるだろう。


何度も言うようにそのAIの性能は、二十五世紀頃のそれと同等程度しか実現できなかった。だからエレクシアはおろか、AIの一部が損傷して本来の能力を発揮できていないイレーネにすら足元にも及ばないものではあるものの、当時のメイトギア(<メイトギア>という名称が確立したのもその頃らしい)となら、AIの性能的な面であれば比肩するものになると予測されている。


ただ、ボディの方については、二十五世紀当時のメイトギアを再現するにも、技術的なそれ以上に、工業的な意味で<専用の設備>が確保できず、どうしてもさらにそれ以前のロボット相当のものしか、安定的に作れないけどな。


一応、時間さえ掛ければ、<メイトギア>の名称で呼ばれるようになった最初期のものを再現することは不可能じゃないものの、そもそもメイトギアが人間そっくりに造られるようになったのは、介護や育児の補助の際に、相手に必要以上の精神的なストレスを掛けないようにするためというのが目的だったそうだから、ビアンカやルコアのような形態を持つ者の存在も珍しくないであろうここでは、逆に、<一般的な地球人の姿>の再現に拘る必要があるのか?って話になるわけで、まあ、別に気にする必要もないと思う。


むしろ、


<誰とも違う姿>


の方がいいのかも知れない。




で、あたる達の方だが、こちらはこちらで、今のところは大きな変化は見られない。<あたるの嫁(仮)>についても、特に気になる振る舞いは見せてない。


ただ、やはり、俺がそう思って見てるからかもしれないが、なんとなく人間の女性っぽい仕草が垣間見える気はするんだよなあ……


それで、もし、彼女に<人間としての知能と感覚>があるなら、<地球人と同等の知能と感覚をもつクロコディア>となるわけで、当然、見た目の点では地球式の類型には当てはまらないんだ。


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