來編 ドーベルマンMPM

新暦〇〇三十二年五月十一日。




そんなこんなで、ドーベルマンMPMの生産も始まり、夜明け前には完成した一号機がさっそく久利生くりう達のところへと派遣された。


ちなみに、<完全な量産型>ということで、ある意味では試作に当たるドーベルマンDK-aとは違い、


『一号機、二号機、三号機……』


と表記することにした。


それほど拘りがあるわけじゃない。何となくだ。


加えて、制作の度にそれまでのデータのフィードバックを行っていたドーベルマンDK-aと違い、たぶん、特に理由もない限り仕様変更の予定もないので、そもそも『○号機』と呼ぶことも今後ほとんどないだろう。


必要があればマイナーチェンジくらいは行うかもしれないが。


ドーベルマンMPM一号機がまずグレイの<子機>的に作業を始め、軽量な資材の運搬などを受け持つ。


で、夕方には二号機も完成。テレジアの<子機>として作業を開始した。


この調子で八機の生産を予定。モニカ、ハートマン、テレジア、グレイそれぞれに二機ずつ配置するわけだ。


「こうして見ると人間社会がいかにロボットを頼りにしていたか、改めて実感するね」


モニカとグレイとドーベルマンMPM一号機によって見る見る<家>が出来上がっていく様子に、久利生くりうがしみじみと呟いた。


それは俺も覚えのある実感だ。


まったく文明というものが存在しないこの惑星に不時着して今日までそれなりに人間性を維持したまま生きてこられたのは、AIとロボット達のおかげだよ。


ロボットはあくまで<道具>でしかないが、その道具に対する感謝の念はあってもぜんぜん不自然じゃないと思う。


決して使い捨てにはしたくない。


みずちの前に完膚なきまでに破壊されたドーベルマンDK-a零号機についても、そのデータはしっかりと後続の機体に受け継がれてる。そして、俺の心にも残ってる。


ちなみに、ミレニアムファルコン号は、墜落して破損した機体の無事だった部分をそのまま再利用したので、ある意味、今のミレニアムファルコン号に生まれ変わったとも言えるかな。


だからここまで、完全に失われたのはドーベルマンDK-a零号機だけか。


今後、人間社会が出来上がっていくにつれロボットも使い捨てにされることも出てくるかもしれないが、そこはちゃんと、


『道具は道具』


と割り切っていきたいところだ。


道具のために人間が犠牲になっちゃ本末転倒もいいところ。意味がない。


そのために感情や自我を与えないようにしてるんだからな。


自我が芽生えてしまうと、もう、<道具>とは言えないだろうし。




ところで、


『AIに感情を持たせるのなんて簡単だ!』


と主張するのがいるらしいが、そう主張してる者達は、


『いや、AIに感情を持たせるのは簡単じゃないぞ』


と考える人間の<気持ち>や<感情>を理解してないようだ。


自分が同じ人間の<気持ち>や<感情>を理解できてないのに、


『AIに感情を持たせるのなんて簡単』


とは、実に不可解だな。


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