だがこれで(俺が築いたハーレムについての話はお終いだ)

ひそかが亡くなったことに、正直、ホッとしてしまったことは否めない。肩の荷が下りた気がしてしまったことは否めない。


だから、じんようふくの時とはまったく別の意味で泣けなかった気がするな。


だが、そういう、いくつもの気持ちが複雑に絡み合ってしまうのも、人間というものなんだと思う。喜怒哀楽の感情が単純にそれぞれ一種類だけ表れるわけじゃないんだと思うんだ。


そんな風にして泣けない自分を情けなくも思いながら、でもそんな自分自身のことも受け止めなきゃなとも思ってる。


でないと、俺は、自分を責めすぎてしまうだろう。


そんなことをしてたらまたひかりに叱られてしまう。


それに、ひそかが亡くなって悲しいのも本当なんだ。


いくつもの感情が自分の中で出鱈目に駆け回ってるのを実感しながら、俺は、ひそかを送った。


真新しい墓では、ひかりあかりが摘んできてくれた花が風に揺れている。




こうして俺は、四人の<妻>を、見送ることができた。俺が関わったことで本来の生き方とはまるで違う生き方をすることになってしまった彼女達の生涯を最後まで見届けられたのは、本当に良かった。


彼女達の人生を、ある意味では『狂わせてしまった』のに、その張本人である俺がさっさと先にくたばって楽になってしまうなんて、許されないことじゃないかな。


なんて、それ自体が思い上がりかもしれないが。


だがこれで、俺が築いたハーレムについての話はお終いだ。











……


………


…なんて、そんなきれいに区切りがつくわけないよな。<人生>ってもんは。


自分の人生に区切りがつくのは、それこそ自分が死んだ時だ。それに、<ハーレム>ってのは、本来、女の子とかをはべらせることじゃない。生物学で言うそれは、<群れ>そのものを指す場合もあるそうだし。


ということは、俺が作り上げたこの<群れ>がある限りは、ハーレムは解消されないということだろうな。


もちろん、<言葉の意味>というもの自体がその時々の社会情勢や環境や動向によって変質していくから、どの時点での<意味>を厳格に適用するかでまったく変わってしまうのもあるし、あまり拘っても詮無いことでもあるだろうけどね。


そういう訳で、ひそかが亡くなったこの時点で区切ってしまってもよかったんだが、まあ、ひかりじゅんあかりの話も気になることだし、ここからは心機一転、それこそちょっと距離を置いた第三者的な視点で、新たに築かれるかもしれないハーレムの行く末を見届けさせてもらうとしようかな。


まあ、俺のことだからこれまでと変わらないほどにがっつり首を突っ込んでしまう可能性も否めないが。


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