第258話 ローベント家の危機

 帝国暦二百十三年六月。


 アルス・ローベントは毒に犯された状態で、カナレ城へと帰還した。


 その時、すでに意識はなく、緊急で治療を行った。


 その甲斐あってか、症状は少し回復し、意識も一時的には取り戻す。

 しかし、再び悪化し、意識を失う。


 アルスを犯している毒は、非常に厄介なもので、完全に体から消し去らなければ、完治することはないようだ。


 何の毒が使われているのかは、ローベント家の医者でも特定することはできなかった。


 医療の知識も得ていたロセルが、毒の分析をし、解毒薬の開発に当たるが、そう簡単には作れない。


 治せないまま刻一刻と時間は経過していき、アルスはどんどん衰弱していった。


 ローベント家に未曾有の危機が訪れていた。





「報告を聞こうか」


 ボロッツは、戻ってきたゼツから報告を受けていた。

 どうやって潜入したかなど、細かくゼツはボロッツに報告をする。


「鑑定眼の目をごまかす? そんな真似が可能なのか?」

「はい」

「方法は?」

「秘密です」


 方法を聞き出そうとしたが、きっぱりと拒否される。

 聞き出すのは難しそうだと思ったボロッツは、報告の続きを聞く。


「それで? 潜入方法は分かったが、アルス・ローベントは殺せたのか?」

「そうですね……暗殺には成功したと言って良いと思いますよ。現時点ではアルス・ローベントは死んでいませんが、時間の問題です」

「どういうことだ」


 ボロッツは、曖昧な報告をしたゼツを睨み返す。


「毒を与えたのですが、即死するような毒じゃないので、まだ死んでません」

「何? いつ頃アルス・ローベントは死ぬのだ」

「あんまり大量に与えられなかったので、思ったよりかかるかもしれませんが、持って一月ほどでしょうね」

「……解毒されたりはしないのか?」

「それはないと思いますね。いくら、ローベント家の家臣が優秀といえどね」

「ないと思う、だと? 確実とは言い切れないのだな?」

「まあ、世の中何があるか分かりませんからね。時間が経過すれば分かることです」

「ふざけた奴だ」


 ニヤけながら言うゼツに、ボロッツは本気でイラついているような表情を見せる。


「なぜ即死するような毒を使わなかった」

「使わなかったのではなく、使えなかったのですよ。向こうに優秀な用心棒がいまして、大抵の毒なら匂いでバレます。絶対にバレずに人を殺せる毒は、今回使ったものだけでしたので。まあ、本来は毒じゃなくて首を落としたかったんですが、それは阻止されました。そこに関してはミスですね」

「……もし、生きていたら報酬はなしだ。そして、貴様の首を貰う」

「怖いこと言いますね。報酬はなしでいいですよ。でも、首は上げられませんね。一度の失敗で差し上げられるほど、安くはないので」


 怒気を込めた視線で、ボロッツはゼツに宣告したが、ゼツは飄々と受け流した。

 ボロッツとしても、実際にゼツの首が取れるとは思っていない。少なくとも、大勢の追手を差し向けないと、殺せないだろうが、そこまでする価値があるとは思えなかった。


「一つアドバイスしますが、アルス・ローベントが毒でしばらくの間苦しむことは確実ですので、ローベント家はその間、だいぶゴタゴタするでしょうから、攻め時かもしれませんよ」

「一介の暗殺者が、私に戦略の提案とは舐められたものだな」

「すみません。こういうの考えるの好きなんですよ。今のは聞かなかったことにしてください」


 脅すようにボロッツは言ったが、ゼツは特に動じていないようだった。


(ふん、食えない奴だ。依頼した奴を間違えたかもしれぬな)


 そんなゼツの様子を見て、ボロッツは少しだけ後悔をしていた。


「それでは報告は以上です。アルス・ローベントの死を確認し次第、もう一度ここに来ますね」


 ゼツはそう言い残して、部屋を去っていった。


「そうなると良いがな」


 疑うような表情を浮かべながらでボロッツは呟いた。


(奴の言葉通り、アルス・ローベントが重篤な状況になれば、ローベント家はかなり混乱するはず。攻め時なのは間違いない。奴の言葉通り行動するのは癪ではあるが……個人的感情で、今やるべきことを見誤るべきではないな)


 先程ゼツが提案した戦略は、ボロッツも間違ってはいないと考えていた。


(何はともあれ、状況を確認せねばならん。ローベント家の様子を至急探らせて、状況によってはすぐに兵をあげ、カナレ城を攻めよう。ごたごたが起こっている状態なら、兵力が集まっていなくても、カナレ城を落とせるはずだ)


 ボロッツはそう考え、至急部下たちにローベント家の状況を探るよう命令を出した。


 ○



「アルス……」


 リシアは、ベッドに横たわっているアルスを見ながらつぶやいた。


 衰弱し、アルスは痛々しい姿になっていた。

 頬はやせこけて、呼吸は常に苦しそうだ。

 二日ほど前は、多少意識はあったが、ここ一日はずっと目をつぶって、話しかけても応答しない。

 もう、そう長くはないかもしれない。

 医者からはそう告げられていた。


 リシアは、カナレに戻ってから、ずっとアルスの看病を手伝っていた。

 カナレ城にいるメイドからは、「看病などは自分たちがするので、リシア様は休んでいてください」と言われていた。

 だが、どうしても自分で看病をしたかったので、メイドたちの言葉は聞かずに自分で看病を行っている。


 寝る間も惜しんで看病を続けていたので、リシアの顔に疲れがはっきりと出ていた。

 何度も泣いたため、瞼は赤く腫れていた。

 睡眠不足で目の下に濃いクマもある。

 髪の毛もボサボサで整っていない。


「リシア様……流石にそろそろお休みになられてください。このままではお体に障ります」


 リシアにそう言ったのは、カナレ城に勤務する医師長の『マイク・メインツ』だった。

 中年の細身の男だ。目じりが下がっており、優しそうな顔をしている。その顔通り、性格は温厚で怒ることは滅多にない。


「そういうわけにはまいりません……アルスがこのような目に遭っているのに、妻であるわたくしが休むなど……」

「しかしですね……リシア様まで倒られてしまっては……」

「わたくしは大丈夫ですわ……」


 明らかに強がった様子で、リシアはそう言った。

 実際は体は限界に近かった。

 それでも、苦しんでいるアルスのそばを離れたくはなかった。


 マイクは、リシアの様子を見て、それ以上何も言えなかった。


「アルスはわたくしが診ておきますので、マイクさんはロセルくんのお手伝いをしてください」

「承知しました」


 ロセルは今も毒について調査を続けている。

 マイクは部屋を出て、ロセルの下へと向かって行った。


 部屋にはアルスとリシアの二人きりになった。


 リシアはアルスの手を握る。


 体温が落ちており非常に冷たくなっていた。

 いつも暖かかったアルスの手は、大きく変わっていた。


「アルスはわたくしにローベント家を任せると言っていましたが……アルスがいない世界で生きていけるとは、とても思えませんわ。わたくしには絶対に無理です」


 リシアの目から涙が流れていた。

 ここ数日では何度も涙を流していたが、枯れる気配なかった。


「だから早く元気になってください……」


 絞り出すように願い事を口にした。

 横になっているアルスは一切反応せず、目をつぶったままだった。






 クライツとレンが、ペットのリオと一緒に城の中を散歩していた。


 リオは最初に会った時からだいぶ成長していた。体高がクライツとレンと同じくらいになっている。大型犬くらいの大きさだ。


「兄上の病気はまだ治らないのかなぁ。早く一緒に遊びたい!」


 とクライツは少し不満げな表情をしてそう言った。

 隣で歩いているレンは、かなり暗い表情をしている。


「なあ、リオも兄上と遊びたいだろ?」

「コン!!」


 とクライツの言葉に返答するように、リオが鳴き声を上げた。


「クライツ、兄様は……」


 レンは言葉に詰まった。

 年相応の精神年齢であるクライツとは違い、レンは成長が早く賢い子だった。

 兄がどういう状態にあるか、正しく理解していた。

 もしかしたら、もう二度と会えなくなる可能性もあると理解していた。


「……もし兄様に何かあったら、次のローベント家の当主はクライツになる」

「は、はは……な、何かって何だよ。縁起でもないこと言うなよ」


 レンが冗談を言っていると思ったクライツは、半笑いで返答した。


「笑わないで! 真剣に聞いて! もし兄様が死んでも、私たちに悲しんでる暇なんてないの。ローベント家の当主として、家臣たちを導かないといけない。だから、クライツその時が来た時、すぐに動けるように覚悟だけはしておいて。クライツには難しいことも多いし、悩むこともあるだろうけど、その時は私が手助けをするから」


 レンは大人びた表情をしていた。

 とても十歳未満の子供の表情には見えなかった。


「そ、そんなことになるかよ!! 俺は、当主になんかなりたくない!! 最強の戦士になって兄上と一緒にローベント家を発展させていくって決めたんだ!! こんなところで兄上が死ぬもんか!!」 


 怒ったクライツは、声を張り上げてそう言った。


 レンは怯まずにクライツの目を真っ直ぐ見て言い返す。


「聞きなさいクライツ!! 兄様が死んだら、私たちはもう子供ではいられないの!! 一人の貴族としてローベント家を背負っていかなくてはいけない!!」

「そんなの俺にはわかんねぇーよ!! 兄上が死ぬなんてそんなことあるわけない!! もう二度とこんな話するな!!」

「クライツ!!」


 激怒したクライツは一人でその場から去っていった。


「こ〜ん……」


 リオが元気のない様子でなく。

 何か良くないことが起こったということは、リオにも理解できたようだ。


「クライツの馬鹿……私だって兄様が死ぬなんて、そんなことかんがえたくもないわよ……」


 レンの両目から涙が流れ始めた。


「こ〜ん」


 彼女が悲しんでると理解したリオは、体を寄せた。そして、レンの涙を舐めた。


「リオは優しいね……」


 レンは、リオの体に抱きつき、肩を震わせそのまま声を殺して泣き続けた。


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