第176話 交渉
リーツが撤退の指示を出すと、近くにいた音魔法を使う魔法兵が、ハイパーボイスで巨大な音を出し、撤退を全軍に伝えた。
ハイパーボイスは音を拡大する魔法で、使用者の声をそのまま届けられるのだが、当然直接撤退と言ったりはしない。
カナレ軍の場合、撤退する場合は「作戦D発動」という声が鳴り響く。
こうしておくと、敵軍に何をしてくるか警戒をさせた上で、こちらは逃げる準備を進められるので、時間を稼ぎやすくなる。
当然、一度使うごとに、合図となる声は変える必要があるので、次回からは作戦Dは撤退ではなく、別の作戦への変更の合図となるだろう。
戦は勝つことだけを考えるのではなく、負けた時被害を最小限にすることも考えておかなければならない。
撤退する訓練も、カナレ軍はだいぶ積んでおり、リーツの命令が下ると、テキパキと各々が準備を始めて撤退を開始した。
殿になるのは、最前線で戦っていた兵たちである。
ハイパーボイスは戦場全体に響き渡るほど、声が大きくなる。
撤退の指示は最前線の兵にも届いており、なるべく時間を稼ぐような戦い方をしていた。
撤退の準備を完了させ、リーツを先頭に撤退していく。
後方に陣所を事前に築いてあるので、そこまで撤退する形になる。
殿をしていた兵士たちがだいぶ奮闘しているようで、追撃の兵士たちは来なかった。
被害を最小限に抑えた上で、リーツは撤退を成功させた。
「自軍の被害は?」
「二百五十名ほどです」
後方に設置した陣所へと撤退し、リーツは状況を正確に把握しようと努めていた。
殿の兵士たちは、多くが討ち取られたか、敵に捕縛されたようで、戻って来る者もいたが少数であった。
その戻って来た者も、怪我をしており今すぐ戦えない者がほとんどであった。
自軍の損害も、総兵数からすると、決して軽くはないが、敵兵の損害はかなり多そうだった。
正確な数値は分からないが、少なくとも千人以上は魔法攻撃の連撃で戦闘不能状態にしたと思われる。
殿の兵士たちも奮闘していたので、それなりの数敵を討ち取っただろうし、決して少なくはない損害を与えることはできたはずだ。
撤退の際、物資を持っていくと速度が遅れるため、いくらか失ってしまったのは、損害として決して無視はできない。
クランから支援は受けているとはいえ、カナレは資源には限りがある。
サイツ軍より使える資源は多くないだろう。
(しかし、敵はなりふり構わず落としにきたという感じだった。あれだけ士気が高いのも意外だったし……今回の戦で、自軍の指揮にも悪影響はでたから、最小限の犠牲で撤退できたとはいえ、痛いものは痛い。とにかく早く、アルス様に報告をしなければ)
リーツはそう思い、すぐに書状を書いて、それをアルスのいるクメール砦まで届けさせた。
○
クメール砦。
私は、ミレーユ、ロセルと共に、リーツからの書状を読んでいた。
書状を運んだ者は、馬を使って最速で届けたため、リーツが書状を書いた日のうちに、読むことが出来た。
敵軍の勢いが強く、撤退したと書かれている。
やはり、そう上手くはいかないかと、私は「むむむ」と唸った。
「敵さんは凄いやる気みたいだねぇ」
ミレーユも敵兵の士気がかなり高いことが、予想外だったのか意外という表情をしている。
「ど、どうしよう。このまま勢いに乗られると、すぐここまで来ちゃうよ。敵の方が兵数はかなり多いんだし、いくらリーツ先生とシャーロット姉さんがいても、多勢に無勢だし……」
ロセルは動揺している。
ネガティブな思考に陥っているようだ。状況が状況だけに、仕方ないかもしれない。
「とりあえず、和平交渉してみた方がいいかもねぇ。敵さんも結構被害が出てるようだし、色々貢物をしたらもしかしたら乗ってくるかもしれないよ」
「貢物とは?」
「まあ、兵糧とか金とか資源とか、芸術品みたいな価値のある物を渡すのもいいかもね。条件を書状に書いて、それを兵士に届けさせてみればいい」
「よし、やってみよう」
私はミレーユの助言通り、和平交渉を行うことにした。
現状出せる兵糧、金、資源、それから城にある芸術品など、出せる範囲でどのくらいがいいのかを考えて、書状に条件を書いて、それを使者に送ってもらった。
結果から言うと失敗だった。
敵は、私が和平交渉のため送った使者を斬り捨てはしなかったが、断りの書状を書いて送ってきた。
代わりに和平の条件が書かれてある。
「カナレ郡をサイツ州の領地とすること。アルス・ローベント殿はそのまま郡長を務めてもいい。何か希望があるなら、出来る限り応える……仮にミーシアンのクランが攻めてきた場合は、援軍の兵を出す……」
そんな感じの内容が書かれていた。
「ふーん。サイツは今すぐミーシアンを乗っ取ってしまおうって腹ではなくて、カナレ郡でもいいから、頂きたいと思っているみたいだね。カナレはそこまで価値のある郡ではないけど、一応カナレを持っておけば、ミーシアンに睨みを効かせられる状態になるね。サイツの今後の戦略を考えると、欲しいってことなのかね? まあ、サイツがいずれシューツを攻めるにしても、ミーシアンは警戒しておかなければならない相手だし、カナレを持っておく価値もなくはないか」
ミレーユはそう分析した。
結局サイツは、下剋上を起こした後、外に敵を作って州内をまとめる必要があるのだろう。
そのために戦は必須。
今後、ミーシアンを攻めるにしても、シューツを攻めるにしても、カナレを持っていると、何かと便利なのは間違いない。
ミーシアン州内がゴタゴタしている今が、カナレ奪取のチャンスという事で、狙ってきてはいるのだろう。
「これ本当なら受けるってことも考えていいかもしれないよ」
ロセルがそう言った。
「このまま戦ってもどうなるか分からないし。これを受ければ少なくとも、このままアルスは郡長のままでいられるんだし」
そこまで呟いて、ロセルは「いや……でも……」と自分の意見を否定する考えを呟き始める。
「これはただの嘘で、その後殺される可能性も……本当だとしても、クラン様から援軍をいただいている立場なのに裏切るのは、ローベント家は信用できませんよ、と宣伝してるようなものだし……信用はやっぱ大事だよね……」
ここで裏切るという選択肢もあるはあるが、デメリットは多いようだ。
「わたくしは、裏切らない方がいいと思いますわ」
私の近くにいたリシアが発言した。
「クラン様は、アルス様の目から見て非常に優秀なお方なのですよね」
「はい」
「それで、アルス様のことを高く評価していたようですし、下手に裏切ってしまうと、潰されてしまいかねませんわ」
潰される……か……怖いことを。
ただ、間違いではない。
私はクランに高く評価されているということは、敵になるとそれだけ警戒心を強く持たれるということである。
一度裏切ると、もう信用は絶対にしない、とクランが思うタイプだった場合、カナレを落とされて処刑される可能性大である。
「カナレ郡長に据えたままってのは普通に嘘だろうから、郡長でいたいならやめた方がいいだろうねぇ。落とした後、カナレは、サイツにとって重要な土地になるのに、信用できない人をそのまま郡長にはしないでしょ。坊やが自分の能力を上手くアピールできれば、サイツの偉い人の家臣位なれるかもしれないけど、郡長はやっぱ外されるだろうね」
最初は降伏した方がいいと意見したミレーユも、今回は反対した。
総合的に考えて、裏切るという話はやはりなしだ。
そもそも、裏切るのはルメイルと約束した手前、気が進まないしな。
「しかし、敵の話に乗らないということは……和平はあり得なくなるというわけで……」
「戦に勝つしかなくなるね」
ミレーユが淡々とした表情でそう述べた。
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