第171話 サイツ軍の狙い

 サイツ州、プルレード郡、プルレード砦。


 荒野に作られたこの砦は、荒地には似合わないほど美しいデザインの城で、異様な光景を作り出していた。


 その砦から出陣していく大勢の兵士たちを、サイツ州の新総督の右腕と呼ばれる男ボロッツ・ヘイガンドが見守っていた。


 長身で綺麗に整えられた長い髭を持つ男である。年齢は三十代前半くらい。

 目は細く少し垂れ気味、口角がやや上がっており、常に少しだけ微笑んでいるような印象を受ける。第一印象は善人と思う人が多そうな顔だ。


 今回の戦の総大将を任されたボロッツは、このプルレード砦に本陣を置き、各部隊の将達に指示を送る。彼は武勇はそれほど高くはないが、軍略家としては、かなりの才能を持つ男であった。


「しかし、今回の戦は解せんところが多いな。我が主人も相変わらず変わった考えの持ち主だ」


 ボロッツは自慢の髭をいじりながら、そう呟いた。


「バサマークの援護のためカナレを占領する見返りは、とても多くは見えない。大した領地を貰えるわけではないし、兵糧や資源もそれほど多く貰えるわけではない。バサマークがミーシアンを統一した時、恩を売っておけば、何かと都合がいいというのもあるが……それでももう少し見返りは引き出せたはずだが……それほどまでカナレ郡にいる人材が欲しいのだろうか」


 サイツ総督は、バサマークの方が、クランよりも人物として優れており、彼と手を組みミーシアン統一の手助けをすれば、これは大きな味方を得ることになる、と表向きには家臣たちに説明している。


 しかし、側近中の側近であるボロッツには、本音を語っていた。


 現サイツ総督は、人材こそが最も重要であり、それを有するものがサマフォースを統べると考えている男だった。


 総督はカナレ郡長となった、アルスの存在に着目した。


 かなりの若さで郡長に任命されたのには、何かあると判断し色々情報を集めていたようだ。


 情報を一つ一つ精査して、アルスが、他者才能を見抜く能力、もしくは他者の才能を伸ばす能力のどちらかに非常に長けていると判断した総督は、ぜひ自身の家臣に欲しいと考えた。同時に今までアルスが集めた優秀な人材も家臣にしたいとも思っていた。


 人材が重要というのなら、優秀な人材を見抜くもしくは作り出す能力を持つ者こそが、最も重要な人材だ。


 他人を家臣にするには、いくつか方法があるが、今回はとにかく戦で負かして、屈服させるというのが、唯一の方法であると総督は思ったようだ。


 領地を持っている者を家臣にするには、同じくらいの価値のある土地を用意しないと難しいが、サイツにそれを用意できる余裕はなかった。


 強引に土地を用意しても、サイツ国内からの大きな反発があるのは目に見えている。


 金銭で釣るにも、大金持ちのクランに勝ち目はない。アルス自身がクランに不満を抱いているという話があるなら、離反させることも可能であるが、現状そんな話も全くない。


 戦でカナレ領を占領し、さらにアルスの身柄を確保した上で、強引に家臣にするのが一番手っ取り早く、かつ家臣にする確率が高い方法であると総督は確信し、戦を起こすことを決めたようだ。


 恨みをかわれて、家臣にならない可能性も考えられる。全力で説得すれば、何とかなると思っていたが、何ともならない場合は、確実に殺すつもりではいた。


 優秀な人材は家臣にならないのなら、殺さないと脅威になる。


 現状、カナレというサイツに隣接している郡に、アルスがいるのはサイツ州からすると、脅威であるのは間違いなかった。


 アルスを家臣にするか、もしくは殺す事はサイツ州の今後を考えると、非常に重要な事であると、サイツ総督は考えているようだった。


「果たしてそこまで評価するほどの人材なのだろうか、アルス・ローベントは。まだ子供ではないか。人材を見出す能力、もしくは育成する能力というのも、たまたま優秀な者が集まっているだけという可能性もある。……まあ、総督は変わったお方ではあるが、考えが間違っていたことはない。かつて、元総督に反旗を翻すとお決めになられた時も、勝てるはずはないと最初は思ったが、結果は勝った。今回もきっと総督が正しいだろう」


 ボロッツは総督に全幅の信頼を寄せていた。理解できずとも総督の考えが間違っているとは、全く思っていなかった。


「兵力はだいぶ差があるが、それでも敵は優秀な人材が揃っている。簡単には勝てないかもしれないが、総督は、何としてでも、早いうちに決着を付けろ、兵は多く失うことになっても構わんと仰られた。絶対に勝たねばならないな」


 今回カナレ軍が予想以上に強く、激しい抵抗にあっても、攻め続けることにした。


 実際はカナレを占領した後、クラン本軍の背後を突く形で、センプラー付近まで攻め込む必要があるので、兵を失いすぎるのはまずいのだが、最悪バサマークが負けてクランがミーシアン総督になっても、アルスだけは確保もしくは殺す必要があると考えていた。


 この機を逃して、クランがミーシアンを統一すると、アルス・ローベントを家臣にするか、殺す機会が今後、訪れなくなるかもしれない。


 クランはアルス・ローベントを高く買っており、手放したり蔑ろにする可能性は低い。暗殺するにも優秀な密偵が家臣になっているので、成功する可能性も極めて低い。チャンスは今しかないかもしれないと、ボロッツは総督より念を押されていた。


「さて、それでは兵たちに指示を出すか」


 ボロッツは確実に総督の意を叶えるため、行動を開始した。



 前線に到着したリーツは、敵が来た場合どうするか、各隊を指揮する者たちと軍議を行なっていた。


 この場にいるのは、リーツ、シャーロット、ブラッハム、ザット、クラマントの六人だ。ミレーユやロセルは、アルスとともにクメール砦に残っている。


「よし!! 敵が来たら俺の隊が一気に突撃して全員討ち取ってやる! 何人いようと関係ない!」


 大声でそう言ったブラッハムをリーツが無言でジロっと睨む。


 何が言いたいのかその表情で瞬時に理解したブラッハムは、先程までの勢いを急激に萎えさせ、「ごめんなさい……」と縮こまりながら謝った。


 そんなブラッハムをザットが呆れた表情で見ていた。何で俺がこいつの下につかされるんだと、不満に思っているような表情にも見える。


「我々は川の前に陣を置いている。この辺りは水深が浅い場所で、歩いて渡れるけど、それでも動きは遅くなるから、そこを狙って魔法を打つ。当然敵軍も移動中狙われるのを見越して、防御しながら攻めてくるだろうけど、それは強引にシャーロットの魔法の力で破壊する。相手の算段が狂ったところで、弓を放って狙い撃ちにして、そうすると一時態勢を立て直すために、敵軍は撤退していくだろうから、追撃する。それで上手く損害を与えることができれば、もしかしたら敵軍は引いていくかもしれない」


 初戦で敵軍に損害を負わせるこの作戦は成功する可能性は高いとリーツは思っていた。敵将は名将ではあるようだが、こちらの兵の質の高さを完全に見抜いてはいないだろう。油断してくるとは言わないが、それでも十分撃退可能な戦力で最初は来るはずだ。


 恐らくは様子見も兼ねた部隊ではあるだろうから、そこでこちらの戦力をある程度分析して、次の兵を出すという流れにはなるはず。


 思ったより一方的な戦になり、相手側が兵の数では勝っているが、質では大きく負けているので、敗北する可能性もあると分析してくれれば、そこで引き返してくれるのも期待できる。


 リーツは引き返してくれる可能性は、決して低くないと分析していた。


 新しく総督になったばかりの現サイツ総督は、この短期間では流石に州内の勢力を完全にまとめ上げてはいないはず。

 反感を持っている勢力も多くいるはずだ。

 戦で大敗をしようものなら、再び州内で内乱が勃発しても全くおかしくはない。


 バサマークが何を対価として差し出したのかは不明であるが、そんなリスクを冒してまで取りに行きたい高価なものを差し出すのは、バサマークの現状では難しいはずだ。


「シャーロット……アルス様が魔法の才があると、家臣にしたムーシャは、現時点でどの程度の力量がある?」


 リーツはそう尋ねた。シャーロット以外に強い魔法が使える者がいれば、成功確率が格段に上昇するだろう。シャーロットはムーシャが家臣になってから、結構面倒を見ており、力量については一番詳しい。


「うーん、まだまだだね。まあ、一応連れてきてるけど。たまぁに結構威力のある魔法使うことがあるけど、ほんとたまぁにだし」

「そうか」


 シャーロットの言葉を聞き、少し残念な表情でリーツはつぶやいた。


 シャーロット一人でも大丈夫だとは思っていたが、それでももう一人強い魔法が使えるものがいるのといないとでは大違いである。


「先生! 俺はどうすればいいんだ!」

「さっきの話を聞いて、自分で考えて分からないか?」

「分からん!!」


 堂々とブラッハムは言い放った。


「堂々と言うなよ……君の隊の役目は最後だ。敵が大崩れして、撤退した時に追撃をしてほしい」

「追撃!? 弱った敵をいじめる感じで、何か嫌な感じがする! ほかの役目を与えて欲しい!」


 ブラッハムは率直に思ったことを口にする性格で、その場の空気を読んだりはしなかった。


「追撃は立派な仕事だ。敵を簡単に逃してしまったら、兵に損害を与えられず、戦に勝利して得るものが少なくなってしまう。君の部隊は機動力があり、その上兵の質も高い。追撃の役目には向いているんだ」


 ブラッハムの部隊は、カナレの中でも接近戦に強い者たちが選ばれている。


「立派な仕事か……先生がそう言うのなら、仕方ない従おう」


 自分を負かしたリーツの言葉には、ブラッハムは割と素直に従うようになっていた。


「クラマント殿の兵には、魔法兵、弓兵、それから歩兵か騎兵がそれぞれどのくらいいるだろうか?」


 リーツがクラマントにそう尋ねた。


「歩兵騎兵が一番多い。魔法兵はあまりおらず、弓兵はそれなりにいる。割合で言うと、歩兵4、騎兵4、弓兵1.5、魔法兵0.5という感じだ」


 クラマントの兵の数は、3000くらいだ。

 魔法兵は才能のあるものしかなれないので、優先して集めないと、かなり少なくなるのは当然である。


「魔法兵に関しては、数も必要だけど、それより質が重要だ。その点はどういう感じだろうか?」

「無能は我が傭兵団にはいない。ただ、そこの女ほどの魔法兵はいない。実力が近いものすらいないな。以前、魔法を使っているのを見た時、一番実力のある魔法兵が、規格外と言っていた」


 クラマントに規格外と言われて、シャーロットは胸を張って、渾身のドヤ顔をした。


 規格外というからには、シャーロットと比べると、メイトロー傭兵団所属の魔法兵の質はかなり落ちるのだろう。シャーロットの能力が高すぎるだけかもしれないが。


 質が落ちるとはいえ、クラマントが無能ではないというからには、使える魔法兵であるという可能性が高い。使える魔法兵は一人でも多い方がいいので、プラス要素なのは間違いなかった。


 その後、再び細かく戦場での合図などを確認し、万全の準備を整えた後、斥候から敵兵が来たという報告を待った。



 ○



 リーツとの軍議が終わった後、シャーロットは魔法兵を集めて、戦の準備を進めていた。


 大型触媒機をどこに配置するだとか、誰がどの触媒機を使うのだとか、色々と指示を出している。


 普段はマイペースに見えるシャーロットであるが、戦場での指示は極めて的確で、まるで普段とは別人のようであった。


 魔法兵たちは普段のシャーロットの性格をあまり知らず、戦場や訓練での顔しか知らないので、優秀であるが非常に怖い面もあると思い、畏敬の念を抱いていた。


「あ、あのシャーロットさん……私も戦うんですか?」


 ムーシャが恐る恐るという感じで、質問した。


「うん、ムーシャはアルスの話だと、凄い魔法の才能があるらしいから、経験を積むべき。訓練で使える魔法水の数には限りがあるから、こういう大型の触媒機は、実戦で使わないといけないし。それに結構いい感じの威力出る時がたまにあるから、そうなるとラッキーだし」

「大事な戦のようですし……私が足を引っ張るとまずいんじゃないでしょうか?」

「大丈夫。ちょっとくらいムーシャが足引っ張っても、わたしがいるから作戦は成功するよ。全然問題なし」


 自信満々にそういうシャーロットを、ムーシャは素直にかっこいいと思った。


「魔法の威力は多少弱くても全然構わないけど、撃つのを躊躇っちゃダメ。わたしは良くわからないけど、いざ本番になると、魔法使えなくなる人が結構いる」


 ムーシャはシャーロットの言葉を聞いて、戦場で魔法を使うということは、人を殺すということに今更ながら思い至った。


 今まで人を殺した経験などない。


 ムーシャの心に恐怖心が湧いてきた。


 シャーロットは少し怯えた様子のムーシャを見て、戦場でのアドバイスをする。


「人を殺すと言っても悪いことをすると思っちゃ駄目だよ。敵兵ってのは自分や仲間を殺すために、向かってくるんだから。だから殺さないと、自分や仲間がやられる」

「そ、そうですね……」


 アドバイスだけではどうにもなるものではない。

 こればかりは実際に体験して、乗り越える必要があった。


 アルスはムーシャには魔法兵の才能があると言っていたので、乗り越えるだろうとシャーロットは信じていた。

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