第169話 カナレ危機

 私たちは兵を集めて、クランの軍に合流する準備を進めていた。


 想定した通り資金不足が影響して、動員できる兵の数は少なくなってしまった。


 サイツの攻撃を警戒するため、ある程度兵を置いておかなければならないので、出陣できる兵たちはだいぶ少なくなりそうである。


 まあ、クランは兵の数自体は足りているだろうし、欲しいのは兵ではなく攻めるアイデアを考えられる、優秀な人材であると思う。特に人口が多いわけでもないカナレの兵数に、それほど期待を寄せているわけではないだろう。


 対アルカンテスは兵数的にこちらが大きく上回っているようだが、それでもバサマーク本人が使う兵は、決して弱くはないだろう。


 勝てる戦ではあるだろうが、楽に勝てる戦ではないかもしれない。私たちの働きで、それを楽に勝てる戦にすれば、クランからの評価も高まるだろう。


「アルス様、出陣の用意が整いました」


 リーツが報告してきた。


「よし、では今すぐ出陣を……」


 私が号令をかけようとしたとき、慌てた様子で誰かが来た。


 シャドーの伝令役を務めているベンである。基本的にあまり表情を変えないベンであるが、少し焦ったような表情をしていた。


 彼の表情を見て、私は嫌な予感を感じる。


 とてもいい話を持ってきたとは思えない。


「何があった?」


 私が尋ねると、ベンは少し呼吸を落ち着かせて、いつも通りの無表情になり、淡々とした口調で報告をしてきた。


「サイツ州が兵を集結させております。集結させている場所は、カナレ郡の隣にある、プルレード郡です。現在目的は明確に判明してませんが、高確率でカナレに侵攻する軍であると予想されます」

「な……何?」


 私は心底驚いて、そう言った。


 サイツがカナレに来るかもしれないとは理解していたが、このタイミングで来るとは。


 しかも、兵を集結させているという。

 どのくらいの数集めているのか分からないが、本気でカナレを攻め落とすつもりの可能性もある。


「兵の数はどのくらいなんだ?」

「八万はいたかと」

「は、八万……」


 あまりにも多すぎる。

 とてもカナレだけで太刀打ちできる数ではない。


 相手はカナレを落として、それからミーシアン全土をも落とすつもりなのかもしれない。


「と、とにかく一旦出撃は中止だ。急ぎクラン様に書状を送る。そのあと、緊急軍議を始めるぞ」

「かしこまりました」


 先ほどまで如何にして手柄を立てるか? という事を考えていたのが、一転して領地を守る手立てを考えることになった。


 とにかく自室まで戻り、急いでクランへの書状を書いた。


 状況と、それから可能なら援軍を派遣してほしいという要請を書状には書いた。


 それを家臣に送らせる。


 その後、リーツ、ミレーユ、ロセルたちを集めて、緊急で軍議を開催した。


「いやぁ、大変な事になったねぇ」


 ミレーユは何とものんきな他人事という感じでそう言った。

 相変わらず、常に緊迫感に欠ける奴だ。どこかスリルを楽しんでいるかのようにも思える。


「そ、そんなのんきに言ってる場合じゃないでしょ。だ、大ピンチだよ!」


 ロセルが顔を青くしながら、至極真っ当な意見を言った。

 本来ロセルのように、慌てるのが普通なのである。

 だが、この飄々とした態度で、どこか安心感を感じることもあるのは事実なので、ミレーユの態度も悪いとは思わない。


「シャドーの報告が正しければ、間違いなく我々だけで対処できる数ではないですね。やはり援軍を待つ必要があるでしょう」


 リーツは比較的冷静な様子でそう言った。


 それは分かり切ったことではあった。八万の軍勢をカナレだけで対処するのは不可能だ。


「問題はどのくらい援軍が来れるかだけどねぇ……」


 ミレーユが呟く。


「それなりに数は出すのでは? カナレはそれほど要所ではないが、地理的にクラン様の現在の本拠地である、センプラーに割と近い位置にある。落とされると脅威になるのは明白だ」


 リーツの意見にミレーユがすぐに反論する。


「甘い考えだねぇ。サイツがカナレに八万の軍勢を出してきたのは、ほぼ確実に侵攻することで利益を得られると、確信があるからだ。そう考えると、何らかの手を打って、侵攻してきている可能性が高い」

「何らかの手……とは?」

「恐らくサイツの奴らはバサマークと手を組んだのさ。どういう取引があったかは分からないが、恐らくサイツの動きに呼応するかのように、バサマーク側も何か仕掛けてくるはず。恐らくクランはその対応で、援軍を大量には送ることが出来なくなる」


 ミレーユの話は妙に説得力があった。


 今サイツが動くのは確かに少し不自然だ。


 バサマークと取引があって、一緒にクランを打倒しようと言うのなら、辻褄は確かに合う。


 まあ、確証のある話ではない。単純にサイツがミーシアンを占領するために、攻めてきたと言う事も、あり得なくはないだろう。


 クランから、バサマークが動き出したので、その対応をするため、援軍は送れない、などの返信が来た場合は確実にミレーユの予想が当たっているだろうが。


「俺は師匠の予想は当たっていると思うな。バサマークは、知略に優れているって話だし、このまますんなりいけるのかな、って思ってはいたんだ」


 ロセルはミレーユの意見に同意した。


「どうなるかは分かりませんが、最悪の事態を想定してここは動くべきだと思いますね。援軍が来ず、我々だけで、カナレを守る事になるかもしれません」

「仮にそうなるなら……どう守る?」


 私の質問に、三人は黙った。


 この三人の知略をしても、八万の軍勢を撃退する方法は、簡単には思いつかないようだ。


「ま、無理だろうね。カナレは兵が少ないだけでなく、都市の防衛機能がお粗末だ。あまり強力な魔法兵器が城壁に搭載されてないからね。相手が本気で落としにきたなら、持って一年だね。それまでにクランがバサマークを倒して、援軍に来てくれるのを待つってのが、助かる一つの道だね」


 時間稼ぎをするために戦うということか……

 人任せになってしまうが……それしかないのか?


「もう一つ手がある」

「なんだ?」

「早々にサイツに降伏するのさ。敵は最初降伏勧告をしてくるだろうから、それに従い降伏すれば、命は助けてくれるかもしれない。坊やの力はサイツ州総督も欲しがるだろうから、上手く取り入れば、出世も可能になる。サイツはそのままクランの背後を突くため、センプラーに侵攻するだろうから、その戦で活躍が出来れば、取り立てて貰えるとは思うよ。カナレ郡の領地もそのまま治め続けられるかもしれない」


 裏切りの提案であった。


 確かにそうすれば、私や家臣たちの命は、守れるかもしれない。


 リスクもそこまでないように思える。


 私は今までローベント家の存続という事を一番に考えてきたので、本来は選択肢の一つには入れておかないといけないかもしれないが、気は進まなかった。


 理由としてクランの人格を個人的に気に入っていたという事が一つ。


 器が大きく、嘘は吐かず。

 きちんと褒美も大盤振る舞いしてくれる。


 私のことも一番高く評価してくれている。

 サイツの総督がここまで評価してくれるかは、未知数だ。


 クランのこと以外にも、ルメイルとの約束もある。


 彼はクランに忠誠を誓っているように思える。

 そのルメイルから後を継いだ領地で、クランに反旗を翻すというのは、あまりにも情がない行動のような気がする。


 私は結論を出した。


「ミレーユ、なるべく降伏はしたくない」

「坊や。もしかして裏切りになると思っているかな? 今回は援軍が来なかったか、少なすぎた場合の事を話しているんだ。家臣の求めに応じて援軍を出せないのは、主君としては失格なんだ。とても勝てないような数で相手が攻めてきて、それで援軍が来なかった場合降伏するのは、主君が全て悪く、降伏したからといって裏切りと見なされたり、家名に傷がつくなんてこともない」


 そう言われると、また少しだけ心が動いたのだが、一度決めた結論は変えなかった。


 リーツとロセルは降伏には一定の理解を示していた。


 無抵抗で素通しにするのはまずいが、いよいよとなったら降伏も止むを得ないという考えのようだ。


 私も流石に死ぬまで戦いたいとは思ってはいない……結局やばくなったら、降伏するのが、家臣、家族、許嫁のリシア、領地領民、そして私自身の命を守るためには、最善の行動なのかもしれない。


「まあ、あくまでこれは仮に援軍が全然来なかった場合の話だ。ひとまずクラン様の返答を待つ。それから州境に兵を出そう。すぐに出来るか?」

「もともと出陣予定でしたので、兵はすぐに動かせます。急ぎ要所に陣を築きましょう」

「兵への指示はリーツに任せた。頼んだぞ」

「分かりました」


 リーツはそう言って、兵に命令を出しに行った。




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