月の光

石田夏目

出会い、惹かれあう

Hの文字が消えかかりそうにチカチカとしているしがないラブホテル




「今夜は本当最高でした…。」

「ん。今日はありがと。」

プラダの財布からお金を取り出し彼に渡す

「えっ別にいいっすよ」

「いいの。タクシー代だから受け取って。」

「ありがとうございます。」

じゃあと扉を開けて出て行った彼を確認するとベットから出てバスルームに向かった。

今日の人はそこそこ当たりだったかな

鼻唄混じりにシャワーを浴び身体をふくと

簡単にメイクをすまし散らばっていた

下着と服を身につけホテルを後にした。

まだ誰もいない道をスタスタと歩き始めると

昇ったばかりの朝陽と冷たい空気が

私を包み込んだ。





片平智子 35歳 既婚


そろそろ結婚してもいい年齢だろうという

社長の言葉で彼の息子と半ば強制的に結婚してからはや七年

夫婦仲は正直完全に冷えきっている。

お互いプライベートには干渉しないこと

それが条件で結婚したのだから仕方ないと

いえば仕方ないのだが。




「皆、おはよう」

「おはようございます」

「佐藤さん、今日のプレゼンの資料できてる?」

「はい。出来てます。」

「じゃあ11時から会議室だから

よろしくね。」

「はい…!」


「やっぱり片平チーフってかっこいいよね」

「うんうん。できる女って感じで

ほんっと憧れる…!」


世間から見た昼間の私は

大手食品会社開発チーフで

旦那は同じ会社社長の息子

都内一等地の高級マンションで

なに不自由なく暮らしている

なんてそんなとこだろうか

ほんとつまらない肩書き。




けれど昼間の私どうでもいいのだ。

本当の私はこれからなのだから。

仕事終わりの週末の夜

結婚指輪をジャケットのポケットにいれると足取りも羽のように軽くなり

会社から少し離れたバーに向かった。

扉を開き薄暗い店内へと入ると

白髪をポマードで固めた無口なバーテンダーのおじさんがいつものように迎えてくれた



「いらっしゃい。」


「カルーアミルク1つ。」


「かしこまりました」


実はここのbarは隠れた出会いスポットで

様々な年齢層の男女が出会いを求めてやってくる。

オフィス街から離れているということもあり

人はまばらだが

ある程度遊びなれている人が多く

相手を探すにはうってつけの場所だ




「お待たせしました。」


カルーアミルクはコーヒーリキュールを牛乳で割ったカクテルでこの甘い口当たりに騙されやすいが度数が高く酔いやすい。

けれど少し酔っているくらいのほうが

セックスの時の気分も盛り上がるし男性も声をかけやすいという私なりの経験があり

いつも頼んでいる。



「すみません。」


「はい。」


「隣いいですか?」

茶色い革靴にアイロンがぴしっとかかった

スーツとワイシャツ、ピンクのネクタイに、高級ブランドの金色の腕時計。

年齢は私と同じか少し上くらいか。

うーん

これは間違いなくクロ。

顔もタイプじゃないし。

適当に返事してさっさと諦めてもらおう。


「すみません。友人と待ち合わせしているので。」


「さっきから見てましたけどずっと

一人ですよね?」


何気なく隣に座られ距離を詰められ

うっと鼻をつまみたくなるような香水の香りが広がる

これはデパートの化粧品売り場の匂いより

ずっとひどい匂いだ。

私だって相手は誰でもいいというわけではない。

まずはじめに既婚者ではないこと

そして一夜限りであること

そしてもうひとつは絶対に本気にならないこと。

それが私の中で決めているルールだ。


彼は指輪はしていないがおそらく既婚者だ。

三十五年培われた私の勘がそう言っている。


「すみません。ほんとにあと五分ほどで

来るので…。」

「あなたもそういう相手が欲しくて

ここに来てるんでしょ?

お互い楽しみましょうよ」

男の手がすっと私のおしりに回り何度かごそごそと動かしている。

こういう男はほんとにめんどくさい。

仕方ない。今日は諦めるか

ふぅとため息をついて席を立ち上がろうとしたまさにその時だった。


お客様お飲み物は…と

天然パーマに分厚い眼鏡をかけたバーテンダらしき人が声をかけたきた。

バーテンダーにしてはあまりにも冴えない

ルックスで声も弱々しい。


「なに??君空気読めないの?

ちょっと後にしてくれる?」



「ですが…」

その時、彼の手が私のグラスに触れ倒れてしまい男のズボンにかかってしまった


「おい!

これいくらしたのか知ってんのか!?」


「申し訳ありません…!!」


男はかなりご立腹でいまにも頭から湯気が

出そうな勢いだ。

すっと財布から一万円札を取り出すと男の目の前に差し出した。

「そんな大したことない服ぐらいで

いちいちうるさいのよ。

これクリーニング代だから受け取って

さっさと帰んなさい。」


「はぁ!?お前ちょっときれいだからって調子にのったんじゃねーぞ!」


「ほらさっさと帰んないと皆見てるわよ?」



あたりを見回すと皆くすくすとこちらを見て笑っていた。

男はお金を受け取らず顔をかあっと真っ赤にさせ扉を開けその場を出ていった。



「本当にすみません…」

「ううん。

助けてくれようとしたんでしょ?

ありがとう。」


「いえ…なんの役にもたてなかったですけど。」

彼が少し照れた様子で頭をぼりぼりと掻いている。

よく見ると結構タイプかもしれない。

「ねぇ今日この後空いてるの?」

「え?この後ですか?電車の時間もあるので

0時くらいには終わると…」

「 そう。

なら今夜私に抱かれてみない?」

我ながら思いきった台詞だったが

彼は驚いた表情で目を見開くと

ゆっくりコクンと頷いた。


彼が終わるのを待ってからタクシーを拾い

いつものラブホテルへとむかった。


「あの…こういった場所は

あまり経験がなくて」

「なに?まさか童貞なの?」

「いえ、そういうわけでは」

もごもごと口を動かしながらずっと

下を向いている煮え切らない態度にイライラしてきて

「とりあえず服脱いで」

と少し荒っぽい口調で言うと彼はおずおずと服を脱ぎ出した

必要なところにしっかりと筋肉がついており無駄のない美しい身体だ。

私は彼の眼鏡に手を伸ばしそっと外すと

唇を寄せ短いキスをした。

すると今度は彼から性急にキスをされ唇を

こじ開けられると舌をいれられた。

だんだんと激しさを増していくキスに息があがっていき呼吸をするのも苦しい。


そうして両腕を掴まれベットに押し倒され

彼の胸にそっと手を寄せると

ドキドキという鼓動が伝わってきた

「緊張してるの?」


「はい。とても。」


「大丈夫私もだから。」


こういった行為は今まで何度したか分からないのにまるではじめてするかのようにドキドキと胸が高鳴った。


「きれい…。」


私とは違うなんの穢れもない

まっすぐで美しい瞳。

私にもこんな頃があったのに。

どうしてこうなってしまったのだろう。


私はゆっくりと目を閉じると彼は

私に再びキスをした


そうしてそれを合図に彼の手がするりと私の身体を這わし快楽の波へと誘ったのだった。




「はぁ…はぁ…」

結局二回もしてしまった。

腰がズキズキと痛む。

ほんと若いっておそろしい。

「あの…。大丈夫でした?」

「なにが?」

「僕こういうの慣れてなくて」

いや、慣れすぎでしょ…という言葉をぐっと

飲みこみ重い腰をあげふらふらと立ち上がった。

バスルームに行き軽くシャワーを浴びていると彼に触れられた部分がまだ熱を帯びていて

全身がかあっと熱くなった。

バスルームから出て簡単に身支度を済ますと

財布からお金を取り出し彼に渡そうとした


「これタクシー代。」


「そんなのいりません。」


「なんで?」


「この時間なら電車もありますし

女性にお金を出させるわけにはいきませんから。」


女性…

そんな風に言われたのいつぶりだろう。

旦那にももう女として見られていないのに。


そうと平然を装いつつお金を財布にしまう。


「じゃあ私帰るから。」


「あの…また会えますよね」



その言葉を聞き一瞬動きを止めたが

返事はしないまま早足で歩きバタンと扉を閉める

動揺するなんて私らしくもない。



大通りに出てタクシーをひろうと

マンションの近くでおろしてもらいガチャと玄関の鍵を開けた。

玄関には珍しくピカピカに磨かれている革靴が一足あった。

もしかして


リビングの扉を控えめに開けると彼が座って新聞を読みながらコーヒーを飲んでいた。




「おかえり。」


「…珍しい。いたの。」


「自分のうちにいたら悪いのか?」



「別に。いつも家にいないから珍しいって

思っただけ。」



「お前もなにか食べるか?」


「いい。とりあえず疲れたから寝る。」


ん。という一言で会話終了。

こんな時間まで何をしていたとか

昨日はどこにいたとか

そういった詮索はしない。

お互いに。

彼は妻という肩書きの女が必要なだけ。

まぁそれは私も同じなのだけど。

服を脱ぎ洗濯かごにいれると

部屋着に着替えベットに入る。

とにかく今は何も考えず昨日の余韻のまま寝てしまいたい

目を閉じるとすぐに睡魔に襲われ

結局起きたのは夜18時だった。




んーと背伸びてちらりと時計を確認する

まだ15時かぁ…。

小腹が空きそばにある新商品のチョコレートに手を伸ばし口にぽいっと入れると

またカタカタとパソコンをうちはじめた。


「また会えますよね?」


また会える…か。


いや、何考えているの私


一夜限りで終わるのが私のルールでしょ


首をブンブンと横にふり

またカタカタとパソコンをうちはじめた


だが仕事が終わると私の足は自然と

あの場所にむいていた



リンというベルがなり

扉を開けると人はおらずいつものおじさんがグラスを拭いていた。



「いらっしゃい」


「あの…彼は」


「彼?」


「天然パーマで分厚い眼鏡をかけた…」


「あぁ。磯くんね。彼は今日ホテルの

バーでピアノを弾いていますよ。」


「ピアノですか?」


「よければ聞きに行ってみてくれ。

彼のピアノはとても素晴らしいから。」




教えられたホテルのバーに向かうと

小綺麗なスーツを着た彼がピアノにむかい

静かに演奏していた


あのしなやかで長い指に抱かれたのだと

思うと胸の奥がきゅっと疼き

全身が熱をおびはじめた。


カウンターに座りいつものカクテルを頼むと

彼の音に耳を傾ける。


なぜだろう。

とても優しいメロディーなのに聴いていると

悲しくなる。

深く深くどこまでも海の底に沈んでしまうようなそんな風な

そうして曲が終わると彼はゆっくりと目を閉じ再び演奏をはじめた

あぁこの曲は聴いたことがある

これはそう月の光。

演奏が終わるとすっと立ち上がり一礼をするとぱちぱちとまばらな拍手がおき

一瞬彼と目があった。

さっきまでの彼とはまるで違う

明るい笑顔で軽く目配せしてくれた


「またお会いできて嬉しいです

まさかここに来てくださるなんて知らなくて…

僕一応ピアニストで時々ここでアルバイトがてら弾いているんです。」


「えっピアニスト…?」


「はい。まぁ駆け出しですけど。」


「今いくつなの?」


「今22です。」


にじゅうに…

その言葉が頭の上にずしっと重くのしかかる

若いだろうなとは思っていたけれど

まさか一回り以上も年下だったなんて


「すみません。名前まだでしたよね

僕は磯政行です。」


「片平智子です。」


なんだか改まって挨拶すると不思議な感じだ


「ピアノ弾いてる時と違う人みたい。」


「よく言われるんです。ピアニストって

結構豹変する人多いんですよね。」


「素敵な演奏だった。とても。」


「ありがとうございます。」


「あの曲って月の光よね?」


「はい。僕の一番好きな曲なんです。」


「私も一番好き。」


お揃いですねと彼がはにかむ


お揃いか

彼はこの曲が人妻に贈られたということを知っていて演奏したのだろうか

まさか私が既婚者だということも?


少し考え込んでいると彼が急に真剣な顔になった。


「あの。」





ごくりと唾を飲みこみ彼から吐き出される次の言葉に期待してしまう自分がいた。


「あの。今夜僕に抱かれてみませんか。」



私があの時言った言葉と同じ。


なにかがパリンと音をたてて割れるような

そんな音がした。


これ以上進んではいけない。


そうわかっているのに。


この時私は気づいてしまったのだ

どうしようもなく彼に惹かれはじめてしまっていることに。

そうしてもう戻れないところまできてしまっていることに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る