12 悪夢の箱(3)

「なんだよ、心配して損した……」


 肩透かしをくらったと言わんばかりにヴィンセントがそう言葉を漏らすと、鳥籠の中に氷砂糖を放り込んでいたジェットが首を傾げる。


「心配って……昨日からヴィンセントもクリスもどうしたの? いきなりボクの家族仲を心配したり、2人でコソコソ逢引して内緒話したり……正直感じ悪いんですけどぉ~?」


 口をへの字に曲げて拗ねて見せる彼に、私はヴィンセントを見上げる。


「言っていいと思います?」


 前世の事、ジェットが悪魔の箱を使って何かをやらかしてしまうのではないかと2人で心配していたこと。それを彼に伝えてしまっていいものだろうか。

 低く唸りながら彼は考え、小さく頷いた。


「どうせ、オレ達の思い過ごしだったんだ……話してもいいんじゃないか?」

「そうですね……ここまで来たら私達の勘違いで終わったんでしょうし」


 おそらく、ブルースはバッドエンドしかないと言っていたが、彼が知らないだけでマルチエンディングが存在していたのだろう。ヴィンセントや他のみんなが知っていて、ジェットだけ知らないのもかわいそうだ。


「ジェット様……いえ、ジェット。貴方に話さないといけないことがあるの」


 私がいつも2人で話す時の口調で言うと、ジェットはちらりとヴィンセントを一瞥し、小さく頷いた。


「何? この間、君が口を滑らせたジェットルートってやつ?」

「そうよ。ヴィンセント様は私と貴方の関係を知ってるわ。ジェット人形のモデルが貴方で、その人形で貴方が暴れていたこともね」

「へぇ、そうなんだ?」


 面白くなさげに相槌を打ち、ヴィンセントに向けている視線は今にも八つ当たりをしてやりたいという感情が込められている。


「それで? そんな幼馴染のボクに話さなくて、ヴィンセントには話せる隠し事ってなんだったの?」


 彼の肩にいるドラゴンは唸るように短く鳴き、主人を守るように寄り添っている。ジェットは微笑みながらドラゴンを落ち着かせるように喉を撫でているが、目は笑っていなかった。


「私、自分が生まれる前の記憶があるの」

「胎児だった頃ってこと? たまに覚えている人がいるっていうよね」


 私は首を横に振る。


「私がクリティーナとして生まれる前、別の人間として生きていた頃の記憶があるの。昔、貴方に話していた不思議な夢の話が、前世の記憶の一部だったの」

「……それで?」


 彼は表情一つ変えずに、ただ相槌を打つ。いつもは茶化して話の腰を折る彼だが、ただ静かに相槌を打つだけなのに、緊張で手に汗が滲む。


「前世の私が遊んでいたゲームブックがあって、そのゲームブックの内容が、イヴ・ラピスラズリという少女を中心に学園で起こっていることが書かれているの」


 そう口にした時、彼は一瞬だけ、本当にほんの一瞬だけ目を見開いた。


「……そのゲームブックの内容は預言書みたいになっている?」

「そう……登場人物はシヴァルラス、ヴィンセント、ブルース、グレイム、私、そして貴方よ、ジェット」

「そう……」


 特に驚きもせず、口元だけ持ち上げる。


「でも、君はその預言書を読んでる割にはボクが人間だったこととか、全然知らなかったよね? まさか演技だったとか?」


 まさか、と私は苦笑しながら首を横に振る。


「そのゲームブックは登場人物の中の1人と恋愛をしていく物語なの。話の大筋は同じでも、その人物の背景は恋愛相手の物語を読まないとわからないようになってて、私はジェットとイヴが恋愛する物語はまだ読んでなかったの」

「ふーん……ボクと彼女が恋愛をねぇ……」


 彼はどこか腑に落ちない部分があるのか口元に手をやる。ヴィンセントと私を交互に見ながら再び首を傾げる。


「じゃあ、クリスはどこまで知ってるの?」

「え?」


 彼は天使のような笑みを浮かべながら言った。


「そのゲームブックは預言書みたいになってるんだよね? どこまで語られてるの? それに君たちはその預言書の内容を信じてボクのところに来たなら、その預言書のボクは何をしてたのかな?」

「そ、それは…………」


 本当に言ってしまっていいのだろうか。彼がイヴに手をかけるバッドエンドがあることや、悪夢の箱を生み出して、悪夢を操っていたのではないかと思っていたなんて聞いて、彼は傷つかないだろうか。


「クリス……」


 言い淀む私に、ジェットが優しく呼びかける。彼を見ると、あの天使のような笑みではなく、いつか見た優しい笑みに変わっていた。


「ボクは別に、怒りもしない傷つきもしない。それにボクはどんな運命でも捻じ曲げる自信がある。だから、言ってもいいよ」

「…………」


 私は肩にいた5号を抱き寄せ、息を吸い込んだ。


「物語は……イヴがこの学園に入学してからだいたい半年までの話が語られるの……」


 私は『センチメンタル・マジック』のおおよそのあらすじを語り、彼は首を傾げる。


「悪夢の箱のイベントね……でも、それは入学から半年後の話なんでしょ? 今はまだ入学して2か月になるくらいだよ? ずいぶん預言とずれてない?」


 私もこれから悪夢の箱イベントが始まると聞き、同じ疑問が頭に浮かんだ。


「それは貴方のせいよ。ジェット」

「ボク? ボクが何をするのさ?」


 おどけたように言う彼に私はまっすぐ彼を見つめた。


「あのゲームブックでは、貴方の物語に入ると他の登場人物にあるはずの恋に発展する話がないの。シヴァルラス様が悪夢に襲われた後、すぐにジェットとシヴァルラス様、イヴは校舎で悪夢探しの話になる」


 本来、ルート確定後、すぐに悪夢の箱のイベントが始まるわけではない。ルートが確定してイヴが恋を自覚し、2人は愛と絆を深めイベントがいくつか起きるのだ。

 しかし、ジェットルートではルート確定後、すぐに悪夢のイベントが開始されるらしい。そうなると、時間軸はおかしくないのだ。


「つまり、今ここで起きている内容はボクとイヴ・ラピスラズリの恋愛物語ってこと? でも君はボクの物語は知らないんじゃなかった?」

「私以外にも前世の記憶を持つ人がいて、その人は途中までジェットの物語を読んでたの。最後までクリアしてなかったみたいだけど」

「ああ……なるほど……」


 ようやく彼は納得いったという顔をして、深いため息をついた。彼のドラゴンが心配そうに彼の頭を小突き「大丈夫だよ」とジェットは頭を撫でていた。

 そして、彼は笑みをかき消し、赤い瞳をまっすぐ私に向けた。


「じゃあ、もう1度聞くよ、クリス。ボクはその物語で何をして、君はその先にどんな未来があるのを知っているのかな?」


 赤い瞳に輝きが増す。彼が私の心の色を見る時の瞳。

 その瞳から私は逃げなかった。そのまままっすぐに見つめ返し、私は意を決して口を開く。


「3つあるエンディングうちの2つ、貴方はイヴに手をかけるわ。3つ目は知らないけど……それが私の知る未来よ」

「……え?」


 彼は私が言ったことに驚きもせず、食い気味に問い、そのまま探るような目で私を見つめる。


「その先の未来は? 少なくとも君は、他の人の未来を知ってるんでしょ? 、イヴ・ラピスラズリと恋愛相手はどうなるの?」

「何って……シヴァルラス様とイヴは婚約して……」

「この1年の話じゃない、もっと先。数年後の未来」


 もっと先の未来。


 乙女ゲームではエンディング後の未来を語る追加エピソードや書下ろし小説などあったりするが、そういったものは用意されていない。そして、どのエンディングも数年後の未来を語るエンディングはない。


「わ、わからない……その物語はそこまでしか語られていないから……」


 私がそう答えると、ジェットは項垂れるようにため息を漏らすと眉間に手で押さえた。


「……か」

「え?」


 彼が何か呟いたが、私はそれを聞き取れなかった。


「君の隠し事を無理にでも聞き出しておけばよかったって今後悔してるところ……クリス、ヴィンセント、君達は大きな勘違いをしてる」


 やれやれと肩をすくめる彼に、ヴィンセントの眉間にしわが深く刻み込まれた。


「大きな勘違いだと? それはイヴ・ラピスラズリに何かしようとしていることか?」


 確信をついたヴィンセントの言葉に私は5号を抱きしめた。

 私が1番起きて欲しくない未来。あのジェットが人を殺めるなんてことをして欲しくない。私は彼を見上げると、ジェットは短く嘆息を漏らした。


「残念だけど、そっちの未来はホント。それにイヴ・ラピスラズリの方には

「──っ!」


 気づいたら私はその場から駆け出していた。身体強化をし、階段を飛ぶように駆け上がり、イヴがいる第2校舎に繋がる渡り廊下へ向かう。


(ジェット! ジェット!)

 

 私は5号の頭に触れ、ジェットに語り掛ける。


 こんな結末は絶対に嫌だ。


 大好きな友達が誰かを殺すだなんて、たとえどんな理由があっても絶対にさせたくない。

 私は流れてくる涙を拭いながら渡り廊下を駆け抜け、第2校舎に入る。


 一体いつから彼はそんな事を考えていたんだろう。こんな事を考えていたなら、最初から隠し事をせずに話しておけばよかった。


(ねぇ、ジェット! 返事をして!)


 私が必死に呼びかけると、大きなため息が耳元で聞こえた。



(クリス、うるさい)



 いつもの声の調子で答えられた彼の声に、私はハッとする。


(ジェット! 貴方、今どこにいるの!)


 私が足を止めて、彼を問い詰めると再び深いため息が聞こえた。


(そんな叫ばないでよ……安心して、無事に邪魔が入ったから。3階の西階段辺りの廊下にいるから、こっちにおいで)


 そう言い、彼は思念通話を切った。

 私は再び涙を拭い、階段を駆けあがり、ジェットの下へ向かった。


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