03 強欲



 私、イヴ・ラピスラズリは目の前に座る人物を前に、ひどく緊張していた。柔らかな癖のある金髪、少し釣り目の赤い瞳は私と同じ珍しい色。


『イヴ、アイツには気を付けろ。絶対に気を許しちゃダメだ』


 義兄のブルースは前世の記憶というものがある。前世では私と双子の兄弟で、この学園で起きる事件を事前に知り、最悪の未来を掴まないように模索していた。


 彼の知る未来の中で、私の目の前にいる少年、ジェット・アンバーは特に危険人物だという。私は顔に出やすいからとブルースは詳しい未来を教えてくれなかった。

 彼、ジェットとはいくらか会話をしたことがあるが、彼に悪意は微塵にも感じられない。


 私はそっと彼を見ると、カルボナーラを口にしていた彼は一度食べるのをやめて私に微笑みけた。


「……もしかして緊張してる?」

「えっ⁉ あ、そんなことは!」


 やはりブルースの言う通り、顔に出やすいようだ。ジェットはそんな私を見て、くすくすと声を抑えて笑っていた。


「もう、そんなこと言って。全然隠しきれてないよ? まあ、ボクは一応王族だし、緊張するのも仕方ないけど。初めてヴィンセントと話した時なんて、彼はすごかったしね」


 それは意外だ。常に彼と一緒にいるヴィンセントは入学して早くに口調も態度も砕けた仲を見せていた。特にヴィンセントはとても傲慢な男だと聞いていた分、さらに意外性があった。


「あのヴィンセント様がですか? とてもそうには見えないです……」

「見た目はあれだけど、素直になれないだけでとても優しい性格なんだ。もし良かったら、君も砕けて話してくれると嬉しいな」


 天使のような笑みを浮かべているが、私の脳裏で彼によく弄られているブルースとグレイムが「騙されるなっ! ヤツは悪魔だぞ!」と叫び、私は慌てて首を横に振った。


「いえ、そんなっ……ジェット様に軽々しい口は利けません! クリスティーナ様もいらっしゃるのに!」

「別に、クリスは友達さ。彼女はシヴァルラス殿下の婚約者候補なんだし、今のボクとはそれ以上の事は何も関係ないよ」


 そう言いながら、彼の一番のお気に入りがクリスティーナであることは周知の事実だ。彼女の事を愛称で呼び、クリスティーナも王族である彼を無下にできず、愛称呼びを許しているようだった。誰もが彼がクリスティーナにひそかに想いを寄せているのではないかと噂を立てるほどだ。しかし、当の本人はそんな事を微塵にも思っていないようだ。


「ジェット様は、変わった御方ですね……」

「そうかなぁ? あ、でも確かにヴィンセントからは王族のくせに変わり者だって言われたかも? ボクからしたら、ヴィンセントなんてもっと変わってると思うけどね」

「ふふっ、本当に仲がいいんですね」

「ああ、大好きな友達さ。彼も……」


 会話が途切れ、食堂で楽し気に聞こえる話し声が雑音のように聞こえた。まだ彼と話すのに緊張が抜けない私に、彼は唐突に口を開く。


「ねぇ、君は好きなものがあるかい?」

「好きな物ですか?」

「うん、好きなことでもいいよ? 何かある?」


 人懐っこい笑みを浮かべて問いかける彼に、私は1番好きなことを口にする。


「えーっと、お菓子です。食べるのも、作るのも大好きなんです。孤児院にいた時は、お小遣いをもらったらクッキーを作ってみんなで食べていました」

「そうなんだ。ボクもお菓子が好きなんだ。特に、クッキーがね」


 そういえば、この間のお茶会で「自分が好きなものだから」と言ってこの国に遊びにきた家族からクッキーの箱をお土産に渡されたと言っていた。甘いものが好きだとは何となく知っていたが、よほど好きなのだろう。


「なんのクッキーが好きなんですか?」

「そうだね……ステンドクラス風の奴も綺麗で好きだけど……普通の手作りが1番好きかな? 一流のシェフが作ったようなのじゃなくて自分で作るようなヤツ」

「手作りですか?」


 これはまだ意外だ。王族ならお抱えのお菓子職人がいるだろうに。それにどこかで食べたのだろうか。


「うん、シンプルだけど……昔友達と一緒に作ってね。初めて作ったクッキーは嬉しくて全部食べたよ」


 恥ずかしそうにそう口にする彼がなんだか微笑ましく、私は笑みをこぼしてしまう。


「じゃあ、そのお友達もきっと喜んだんじゃないですか?」

「ふふっ。そう思うだろう? 実はそのクッキーって失敗作で、ボクが1口食べた時は顔を真っ青にしてたさ」

「ええっ! 大丈夫なんですか⁉」

「うん、昔から胃は丈夫でね。別の友達がそのクッキーを食べた後、倒れて大騒ぎさ」


 それは大変だっただろう。それにしても倒れるようなものを食べても平気な彼の胃袋がすごすぎる。しかし、その友達というのが、自然にヴィンセントとクリスティーナで想像してしまう。ブルースの話ではクリスティーナは料理が上手くなく、見た目も食べられるものではないと聞いていた。実際は違ったのだが。


「…………そのお友達はクリスティーナ様とヴィンセント様ですか……?」


 私がそういうと、彼の目が一瞬、見開いた。そして、すぐに笑みを浮かべる。


「ボクがこの国に来たのは今年からだよ?」

「あ、そういえば……」


 そうだ。彼はこの学園に入学するまでこの国に来たことがない。あまりの仲の良さに3人が私とグレイムのような昔馴染みの関係だと錯覚していた。


「あの時は楽しかったな……ずっと、子どもだったらよかったのにって……何度も思ってたよ」


 彼は少し遠いところを見るような目をして、コップを口に運ぶ。


「今も、すごく楽しいけどね。クリスはともかく、ヴィンセントともあんなに仲良くなれるとは思わなかった。でも、クリスと同じくらいヴィンセントもボクは大好きだ」

「羨ましいです」


 恥ずかし気もなくそう口にして笑って見せる彼が、私には眩しくて素直に言葉にする。



「うん、だからあげないよ?」



「え……?」


 私は驚いて声を漏らすと彼の瞳が細められ、それには強い光が宿っているように見えた。



「クリスも、ヴィンセントも、君にはあげない。絶対に……ボクは強欲だからね」



 まるで宣戦布告のように彼は宣言し、私の姿を捉えた赤い瞳から目が離せなかった。

 周りの声が遠くなっていき、今までにない緊張感が私を襲う。自分の鼓動が早鐘を打ち、きっと顔にも出ていると思う。私と彼が見つめ合っていると、彼の顔がぱっと明るくなる。



「なーんちゃって!」

「へっ……」


 素っ頓狂な声を上げる私をからかうように、彼は笑って頬杖をついた。


「こんな事言ったらヴィンセントに『オレは物か!』って怒られちゃうよ」

(冗談……だった?)


 まだ緊張感が抜けきれず、私はただ曖昧な笑みを返すしかなかった。



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