09 地獄を見た男、ヴィンセント



「こっちです!」


 オレはブルースを先導に問題の場所へ向かっていた。


(なんで喧嘩なんて始めたんだ、あの淑女はっ!)


 確かに溜まった鬱憤をここぞとばかりに吐き出す癖は、昔からあった。お茶会で嫌味を言う輩を人形でボロクソに打ち負かせたり、シヴァ兄やオレの悪口を言う相手を吊るしあげたり。あの光景は悪夢と言ってもいい。


 ここ2年はアイツもそれなりに成長したので大人しくなっていたが、最近相当なストレスを抱えているらしい。


 その証拠に、2年間ずっと喋らなかった5号が急に喋り始めたのだ。


 新しい環境で負担がかかっているのに、さらに先日イヴがやらかしたのでストレスが爆発したのかもしれない。


 急に社交界専用淑女を演じ出したのもストレスの1つだろう。


「ここです」


 現場に着いたオレ達はこっそりと茂みに身を潜めた。喧嘩をしていると聞いていたが、意外にも静かだ。


 オレ達が茂みの隙間から様子を窺うと、そこには──和やかな雰囲気でお茶会を開いている淑女達の姿があった。


「おい、節操無し……喧嘩してたんじゃねぇのかよ? 楽し気に茶ァ飲んでんぞ」


 そう言ったのはグレイムだった。


「本当に喧嘩してたのかよ?」


 彼の言う通り、喧嘩とは程遠い空気だった。魔法で作ったのか、即席の椅子とテーブルが用意されており、お茶菓子まで用意されていた。クリスティーナもいつもの淑女の笑みを浮かべており、他の淑女達も笑顔でとても楽し気だ。


「おかしいな……本当に喧嘩してたんですよ! 一触即発みたいな雰囲気で!」

「そういえば、あの令嬢達ってクリスの事、すごい敵視してたよね~? 最近はクリスから彼女にターゲット移してたみたいだけど」


 ジェットが面白がってそう口にし、オレはアイツの頭に手刀を落とす。


「痛いっ!」

「そういうことを大っぴらに言うな」


 クリスティーナはシヴァ兄やオレと一緒にいるせいか他の婚約者候補から少し嫉妬されている。しかし、それをシヴァ兄の前で言うのはどうかと思う。


 シヴァ兄は少し居心地が悪そうにしながらも、偽ることなく頷いた。


「まあ、確かに彼女達は仲が良いとはいえない。表向きでは互いに軽く挨拶をする程度で、こんな風にお茶会をしているところは見たことがない……」


「なんつーかさぁ……顔おかしくね? 淑女ってあんな風に笑うのかよ?」


 グレイムがそう指摘したのは、彼女達の表情だった。


 クリスティーナは少し翳がありながらも陰鬱な印象を与えない洗練されたいつもの表情。


 しかし、イヴの除いた他の令嬢達はまるで貼り付いたような笑みだった。その目にはうっすらと涙が浮かんでいるようにも見える。


 オレとシヴァ兄はハッと息を呑んだ。


(ま、まさかアイツ!)


 オレが立ち上がろうとした時、それを押しのけて茂みから飛び出したヤツがいた。


「ク~リ~ス~っ! こんなところで何してるの~っ!」


 わざと空気を読まない声の調子でジェットは向かっていき、オレ達もそれに乗じて茂みから出て行った。


 クリスティーナは表情を崩さずに小さく首を傾げた。


「あら、ごきげんよう。皆さん、お揃いでどうされたのですか?」


 他の令嬢達は笑みを浮かべたままオレ達を見ており、その理由を察しているオレはクリスティーナに近づく。


「お前も何をやってんだっ!」

「何って、お茶会です。ねぇ、皆さん? そうですよね?」


 青白い顔で人形のように頷く彼女達、ブルースは恐る恐る自身の義妹いもうとに語り掛けた。


「イヴ? それって本当?」


 びくっとイヴは大きく肩を震わせた後、ぶんぶんと首を縦に振った。それはもう勢いよく。


「は、はいっ! 私達は清く正しく美しくをモットーに社交界の華となるべく、クリスティーナ様に淑女とはなんたるかと教えていただいておりましたでありますございますっ!」


 まるで騎士団に入りたての新米騎士のように、ぴしっと背筋を伸ばして口上を読み上げていた。


「イヴ様」

「はひっ⁉」

「もっとお淑やかに。口調はゆっくりと、それでいて言葉ははっきりと丁寧に申し上げる。それではまるで兵士です」

「は、はい……失礼しました……」


 涙目でぷるぷると震えるイヴ。どうやら彼女はまだ無事なようだ。問題は他の令嬢だ。


 クリスティーナは嘆息を漏らして、頬に手を当てた。


「まったく、令嬢歴3年の新人にはまだまだのようですね。生まれも育ちも立派な大ベテランの先輩方にお手本を見せてもらいましょう」


 クリスティーナがすっと指を動かしたのを見てオレは確信した。そして、青白い顔をした令嬢達は、涙を浮かべた目をオレ達に向けた。


「た、たすけて……」


 そう1人が言った時、テーブルにいたオレそっくりの人形がフォークをテーブルに叩きつける。すると、彼女の前にあったパンケーキが木端微塵に消し飛んだ。


 しんっと辺りが静まり返り、クリスティーナのお淑やかな笑い声だけが響いた。


「うふふふっ……嫌ですわ~、先輩ったら殿下達の前できっと緊張なさっているのね?」

「申し訳ございませんっ! 次は‼ 次こそは、必ず! 失敗致しませんので、どうかっ……どうかお助けをっ!」


 目の前で消し飛んだパンケーキを見て、震えることすらも許されない彼女は、クリスティーナに涙ながら訴える。


「うふふふっ……何を仰っていますの?」


 5号が新しいパンケーキを令嬢の前に置いたと思うと、グサッとパンケーキにナイフを突き立てた。


 まるで『次、こうなるのはお前だ』と言わんばかりに。そして、彼女はお淑やかに言った。


「殿方に出会ったら、まず最初は『ごきげんよう』……でしょ?」

「ゴ、ゴキゲンヨウ!」

「ゴキゲンヨウッ!」


 オウムのように繰り返し、こちらまで背筋を伸ばしてしまいそうだった。


「女って怖ぇ……」

「ば、バカっ! 聞こえたら……」


 横でグレイムの呟きがクリスティーナの耳に届いていないはずながない。


「はい、何か仰いまして?」

「あっ……うおぉっ⁉」


 ピッと魔力の糸を飛ばし、グレイムの猫背が矯正される。


「正しい姿勢を保った方が見栄えがとてもいいんですよ? その猫背を私が直して差し上げますね?」

「いでででででででっ! 何しやがるこのアマァ!」

「あらあら~、ずいぶんと大きな口を開くお人形さんだこと……」


 きゅっと唇を縫い留められ、満面な笑みを作らされる。にっこにこの笑顔になったグレイムは、即席で作った椅子に座らされた。


「ちょうど殿方役が欲しかったの……さあ、ブルース様もおいでになって?」


 テーブルには顔面蒼白の令嬢達、小さく震えるイヴ、不自然な笑みを浮かべるグレイム、そしてすでにクリスティーナの隣を陣取ってお菓子を齧っているジェットの姿があった。


(なんでお前は平然と席についてるんだよ)


 ブルースがなかなか動かないからか、5号がガチガチとフォークを鳴らし始めた。


「さっさと来いよォ……この色男さんよぉ~」


 5号はザクザクとフォークでシュガーポットの角砂糖を砕き、汚い笑い声を上げている。


『オメェもこうなりてぇのか』と心の声が聞こえてきそうだ。


 ブルースも身体強化をしても逃げ場がないことを悟ったのか……いや、すでに腕に魔力の糸がついていることに気づいたらしく、自ら席に着いた。


「シヴァ兄……」

「何だい?」

「今度の休み、アイツを連れて買い物に行かないか?」


 これは1度ガス抜きをした方が良さそうだ。彼女の機嫌が直る方法と言えば、シヴァ兄しかいない。


「ああ、そうだね。ボクもちょうど買い物をしたかったところだよ」


 シヴァ兄はオレの肩にポンと手をやり、そして2人で幼馴染のおままごとに付き合う事にした。

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